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〈地域を歩く〉 北海道千歳市

2018年2月15日

   青年の心輝かせて

 

 

        千歳・支笏湖氷濤まつり。

          色とりどりにライトアップした

           オブジェが観光客を魅了する

               (先月31日、千歳市内で)

 

北海道の空の玄関口・新千歳空港や、支笏湖を擁する千歳市は、

古来、太平洋側と日本海側を結ぶ内陸交通の要衝として発展してきた。

道央の主要都市となった現在、人口の増加を維持し、平均年齢が道内で最も若い、未来性に富んだ都市となって

いる。

一方、人口の移動も活発で、毎年、市民の6~7%、15人に1人が転入・転出する。

同市で青年の心を燃やして活動する千歳県(伊藤康文県長、白石明子婦人部長)のメンバーは、どう地域に根差し、

貢献してきたのか。その象徴ともいうべきイベントが開催されると聞き、先月末、同市を訪問した。

 ◇

市の中心から、車で約30分――湖畔には、「支笏湖ブルー」と呼ばれる青色をした大小さまざまなオブジェが並

んでいた。今年で第40回を迎えた「千歳・支笏湖氷濤まつり」(~18日)である。

環境省による水質測定の結果、湖沼部門で「10年連続日本一」に輝いた支笏湖。オブジェは、その湖水を、スプ

リンクラーを使って吹き付け、凍らせたものである。夜には、ライトアップされて色とりどりに輝き、周囲を、幻

想的な雰囲気に変える。

観光客でにぎわう支笏湖ビジターセンターで働く木田橋幸子さん(副白ゆり長)は語った。「明るいあいさつを心

掛けています。添乗員さんに『いつも笑顔で接してくれてホッとします』と言われてうれしかった」

この木田橋さんの父親こそ、「氷濤まつり」に第1回から関わった千葉信一さん(副支部長)である。

 

             自動車整備工場で働く小澤さん(手前)。

             作業の様子を深川さんが見守る

 

千葉さんが、共に千歳広布を進めてきた髙橋澄子さん(支部副婦人部長)の自宅

を訪問していると聞いて、現地に向かった。

千歳広布の第一歩は、池田先生が初来道(1954年〈昭和29年〉8月10日)

の折、千歳飛行場(当時)に降り立ったところから始まる。

その時、支笏湖にも足を運んだ先生。雄大な自然の中で生き抜く苦労に耳を傾け

るとともに、挑戦の中にこそ真の人生の勝利があり、その勇気を湧き出させる根源が信心だ、と励ましを送った。

千葉さんの入会は22歳の時である。以来、55年余にわたり、池田先生の心を胸に、商工会の会長など、愛する

地域のためにできることは何でもやってきた。「最初の頃は創価学会といっても、村八分だったから、地域の役を

受けても、いりいろ言われたよ」

「氷濤まつり」は、観光客がまばらになる冬季に、支笏湖を元気にしようと、地元の有志と力を合わせて企画した。

当初は何をしていいか分からず、北見や層雲峡、根室のイベントを見学することから始めた。

千葉さんは、16年間にわたって発展の礎を築き上げ、90年代半ばには、後進に道を譲った。今や毎年の「氷濤

まつり」には、国内外から約26万人ものひとびとが足を運ぶ。

現在も、老人クラブの会長を務める千葉さん。「皆と一緒に肩を組んで目標に向かって挑戦していくことが大事で

すね」

高橋さんが、親しみを込めて「信ちゃん」と呼ぶ千葉さんに言った。

「誰でも、大変な時もあるけど、幸せになるには、やっぱり信心から離れないことよpね」

 

千歳県の友の、地域貢献の形はさまざまだ。

千歳市には、第2次世界大戦後、食糧の増産や就業先の確保を目的に、国策で開拓事業が行われた歴史がある。

久保田さん(副圏長)の両親は、その”開拓民1世”だ。親が開拓した土地を受け継いだ当初は酪農を手掛けてきた。

忘れられない人生の原点がある。

椎茸栽培に転換し、苦労を重ねていた1980年(昭和55年)、東京に行き、ピアノを弾いて同志を激励する池

田先生の姿に触れたことだ。

”どんな時も先生は変わらない”――以来、久保田さんは、自らも不動の人生を貫こうと、妻・雅代さん(婦人部副

本部長)と共に、栽培技術を研究するなど挑戦を続けた。その結果、全道の品評会で第2位に輝いた。

98年(平成10年)頃、都市計画の変更を機に離農した久保田さん。現在は、不動産管理の仕事をしながら、町

内会の福祉部長などを務める。

一方、坂田正夫さん(副支部長)は、両親から継いだ開拓の土地を、家庭菜園として貸し出している。

個人経営の貸し菜園はめずらしく、地域で愛され続けてきた。

原動力は”広布のために”との思い。現在、妻・康子さん(婦人部副本部長)と共に、17軒に本紙の購読を推進す

る。

久保田さん、坂田さんの両夫妻の胸には、信心の実証を示すとの情熱が燃えていた。

 

地域に根差し、貢献する生き方は、青年たちにも伝わっている。

市内の自動車整備工場に勤める小澤勇一さん(男子地区副リーダー)。中学3年生の時、不登校になった。変わる

きっかけは、男子部の先輩が手渡した池田先生の「青年抄」だった。

「人生は自分次第である」「自分が道を切り開くのだ」

そうだ。環境が幸・不幸を決めるのではない!

――そこから題目根本に挑戦の人生が始まった。

工場の取締役でもある深川豊さん(圏長)は振り返る。「私も男子部の激励で、今の彼と同じ19歳で発心したん

だ。加えて自分も親になり、その苦労を思うと、私と彼が二重写しにもなったね」

周囲の学会員の励ましを支えに、小澤さんは現在、通信制の高校に通いながら働いている。

先日、小澤さんが励まし続けてきた地区の2人が男子部大学校1期生として出発を切った。

「お世話になった地域の人たちに、必ず恩返しする人生を歩みたい」と小澤さんは前を向いた。

 

写真現像・プリント店の店長を務める松本伸子さん(県女子部主任部長)。2016年4月の売り上げ前年比が道

内で第1位に、全国でも第3位に輝いた。

また、昨年の既製はがきの売り上げへの貢献から社長表彰を受けた。

20歳の時に父親を胃がんで亡くして以来、4にんきょうだいの長女として家計を支えてきた。

心が折れそうな時、女子部の先輩の励ましが、”このままではいけない”と常に御本尊の前に向かわせてくれた。

「学会家族の皆さんのおかげで、私も周囲を真剣に祈れるようになりました」――松本さんは、”楽しいところに、

人は集まる”との池田先生の指針をモットーに、きょうも店頭に立っている。

 ◇

取材の最後、千歳広布の歴史を聞いた。

2月は、千歳県の友にとって大事な月だ。96年2月8日、池田先生は3首の和歌を詠み贈った。

 「大雪の/道を堂々/歩み来る/仏のごとき/尊き君かな」

 「ひたすらに/また ひたすらに/祈るらむ/仏の使いの/尊きあなたを」

 「千歳城/何と偉大な/名前かな/あなたも生き抜け/千歳までもと」

 

広布後継の春3月へ、「従藍而青」の決意で進む千歳県の創価家族。大雪の中、地域のため、友のために心を尽く

す姿に、多くの青年が続いていくに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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