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勝ち鬨 五十六

 

 自由勤行会は、希望みなぎる新しき旅立ちの集いとなった。地元・熊本の県長をはじめ、

県幹部らのあいさつに続いて、地域広布への誓いを込めた、「天草宣言」「城南宣言」が、

それぞれ採択された。

「天草宣言」では、こう述べられていた。

「天草の地は、歴史的に不幸な、あまりにも不幸な地であった。しかし、今我らは、日蓮

大聖人の大仏法を根本として、楽土天草の建設に努力しあうことを誓う」

「我ら“妙法の天草四郎”は、生涯青春の信心をもって、生き生きと、広宣流布の模範の地

としゆくことを、ここに誓う」

このあと、各県長らが登壇した。鹿児島県長は、明年中には鹿児島文化会館が完成の予定

であることを報告し、佐賀県長は、明春、二万人の県友好総会を開催することを発表。

長崎県長は、明春、諫早文化会館が完成の運びであることを紹介した。

参加者の喜びのなか、マイクに向かった山本伸一は、熊本訪問に先立ち、十三年半ぶりに

大分を訪れたことを述べ、西南戦争での大分・中津隊の戦いについて語っていった。

「一八七七年(明治十年)、西郷隆盛の軍と政府軍は、田原坂で激戦を展開し、西郷軍は

敗退してしまう。一方、大分の中津では、増田宋太郎と共に数十人が義勇軍として挙兵し

た。これが中津隊です。

彼らは、阿蘇で西郷軍と合流し、見事な戦果をあげるが、最後は政府軍に敗れ、命を散ら

してしまう。勇壮な戦いであったが、あまりにも悲惨です。

広宣流布の前進にあっては、一人たりとも犠牲者を出してはならないというのが、私の決

意であり、信条です。また、戦争で最も苦しむのは民衆であり、民衆は、常に苦渋を強い

られてきた。それを幸せと希望の歩みへと転換していくのが、日蓮大聖人の御精神であり、

創価学会の運動の原点でもあります」

――「君の無骨な手がふるえ 素朴な顔に輝きわたる生の歓喜を この地上に獲得するま

で戦う」とは、彼の詩「民衆」の一節である。

 

 

勝ち鬨 五十七

 山本伸一は、確信のこもった声で言った。

「広宣流布に生き、弘教に励むならば、経文、御書に照らして、難が競い起こることは間違

いない。これまでに私たちが受けてきた難も、すべて法華経の信心をしたがゆえに起こった

ものです。

しかし、『開目抄』に説かれているように難即成仏です。広宣流布に戦い、難を呼び起こし、

それをバネに偉大なる人生へ、無上の幸福へと大飛躍していく力が信心なんです。

また、万策尽きて、生活や人生で敗れるようなことがあったとしても、私たちには御本尊が

ある。信心さえ破られなければ、必ず最後は勝ちます。いや、すべての労苦を、その後の人

生に、財産として生かしていけます。

安穏な人生が、必ずしも幸福とは言い切れません。また、難があるから不幸なのではない。

要は、何があっても負けない、強い自己自身をつくることができれば、悠々と、あたかも波

乗りを楽しむように、試練の荒波も乗り越えていくことができる。そのための信心であり、

仏道修行なんです。

ゆえに、いかなる大難があろうが、感傷的になるのではなく、明るく、朗らかに、信念の人

生を生き抜いていただきたい。

熊本といえば、『田原坂』の歌が有名ですが、人生には、いろいろな坂がある。広宣流布の

道にも、“越すにこされぬ”険路がある。しかし、広布の使命に生きる私たちは、その宿命的

な坂を、一つ一つ、なんとしても乗り越えていかねばならない。その戦いが人生であり、

信心です。小さな坂で、へこたれては、絶対になりません。

『田原坂』の歌には、『右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年』とある。

私たちは、『右手に慈悲 左手に生命の大哲学』を持つ、凜々しき後継の青年部に、次代の

一切を託してまいりたい」

そして、結びに、「城南並びに天草の同志が、ますますの精進と団結とをもって、福運と栄

光の人生を歩まれんことを、心よりお祈り申し上げたい」と述べ、あいさつとした。

 

 

勝ち鬨 五十八

 山本伸一の話が終わると、会場には大きな拍手が広がった。なかでも、城南、天草の

同志の多くは、感涙を拭い、頰を紅潮させ、立ち上がらんばかりにして、決意の拍手を

送り続けるのであった。

自由勤行会は、感動のなかに幕を閉じた。

参加者は、熊本文化会館を出ると、足早に会館から歩いて二分ほどのところにある壱町

畑公園に向かった。伸一の提案で、ここで記念撮影をすることになっていたのである。

公園には、櫓が組まれていた。千五百人という大人数の撮影となるため、高い場所から

でないと、全員がカメラに納まりきらないのである。

皆が公園に集まったところに、伸一が姿を現した。

うららかな春を思わせる陽気であった。

「さあ、一緒に写真を撮りましょう!

皆さんは耐えに耐え、戦い、勝った。まことの師子です。晴れやかな出発の記念撮影を

しましょう。この写真は、『聖教新聞』に大きく載せてもらうようにします」

歓声があがった。伸一は、皆に提案した。

「皆さんは、試練の坂を、見事に越え、“勝利の春”を迎えた。一緒に、胸を張って、

『田原坂』を大合唱しましょう!」

熊本の愛唱歌ともいうべき、郷土の誇りの歌である。

ゆっくりとした、力強い、歌声が響いた。
    
 〽雨はふるふる 人馬はぬれる

  越すにこされぬ 田原坂

  右手に血刀 左手に手綱

  馬上ゆたかな 美少年
    
 皆、勤行会での伸一の指導を嚙み締めながら、“これからも、どんな苦難の坂があろうが、

断固、越えてみせます!”と誓いながら、声を限りに歌った。

同志の目は、決意に燃え輝いていた。決意は、強さを引き出す力である。

 

 

勝ち鬨 五十九

喜びにあふれた、はつらつとした「田原坂」の歌声が、晴れた空に広がっていった。

熊本の同志たちは、熱唱しながら、悪僧らとの攻防と忍耐の日々が脳裏に浮かんでは消

えていった。しかし、今、皆が勝利の喜びを嚙み締めていた。

山本伸一は、熊本の宝友の敢闘に対して、“おめでとう! ありがとう!”と、心で何度

も叫びながら、共に合唱した。
   
 〽天下取るまで 大事な身体

  蚤にくわせて なるものか

   
合唱が終わると、伸一は提案した。

「凱歌は、高らかに轟きました。今、私たちは、見事に田原坂を越えました。万歳を三

唱しましょう! 皆さんの大勝利と、二十一世紀への熊本の門出を祝しての万歳です」

皆、大きく両手を振り上げ、胸を張り、天に届けとばかりに叫んだ。

「万歳! 万歳! 万歳!」

カメラマンがシャッターを切った。

この熊本での写真は、十七日付の「聖教新聞」に、二・三面を使って大きく掲載された。

無名の庶民による広布の凱歌の絵巻が、また一つ、描かれたのである。

この日、伸一は、城南、天草の同志の代表に歌を贈った。

 「妙法の 城の南に 嵐をば

     耐えに耐えたる 友や尊し」

 「天草に 老いも若きも 堂々と

     広布に生きゆく 笑顔忘れじ」

伸一が、九日間にわたる九州指導を終えて東京に戻ったのは、十二月十六日であった。

そして二十二日には、神奈川の小田原、静岡の御殿場方面の代表が集い、神奈川研修道場

で開催された勤行会に出席した。これらの地域でも、悪僧らによって学会員は中傷され、

非道な仕打ちを受けてきた。しかし、師弟の誓いに生きる同志は、決して負けなかった。

師弟は魂の柱である。

 

 

勝ち鬨 六十

 山本伸一は、全国を回り、正信会僧の攪乱に苦しめられてきた同志を励まし、共に二十一

世紀への出発を期そうと心に決めていた。

小田原と御殿場は、神奈川県と静岡県に分かれているが、江戸時代には、共に小田原藩領で

あった。また、両地域の同志は、「日本一の富士山」を誇りとしてきた。

一九七五年(昭和五十年)八月、小田原の友が「箱根すすきの集い」を開催した折には、

御殿場の代表を招待した。そして、九月に行われた「御殿場家族友好の集い」には、小

田原の代表が招かれている。

宗門事件の烈風が吹き荒れてからも、互いに励まし合いながら、広布の険路を突き進ん

できたのであった。

「信心を教えてくれたのは学会だ!」

「『魔競はずは正法と知るべからず』(御書一〇八七ページ)だ。負けてたまるか!」

同志は皆、師弟の道を堂々と踏破して、神奈川研修道場に集って来たのである。

空は晴れ渡り、青く輝いていた。箱根の外輪山の向こうに、くっきりと、白雪の富士が

浮かぶ。皆で、スクラムを組み、「ふじの山」の歌を合唱した。

   
 〽あたまを雲の上に出し

  四方の山を見おろして……

    
巍々堂々たる富士の如く――それは、小田原と御殿場の同志の、心意気であった。

この日、伸一は、和歌を贈った。

「白雪の 鎧まばゆき 富士の山

    仰ぎてわれらも かくぞありけり」

「限りなく また限りなく 広宣に

    天下の嶮も いざや恐るな」
    
伸一は、年の瀬も、東京の板橋、江東、世田谷、江戸川の各区を訪問し、さらに神奈川文

化会館を訪れている。御聖訓に「火をきるに・やす(休)みぬれば火をえず」

(同一一一八ページ)と。全精魂を注いでの間断なき闘争によってこそ、広布の道は切り

開かれるのだ。

 

 

 

 

 

 

 


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