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勝ち鬨 五十一

 

 十二月十三日昼、山本伸一は、学会員が営む喫茶店で、五十人ほどの各部の代表と懇談会

をもち、さらに南九州婦人会館を視察して熊本文化会館に戻ると、会館を訪れる人と相次ぎ

記念撮影した。

夜には、熊本文化会館での会館落成五周年を記念する県幹部会に出席した。

県幹部会では、県長の平賀功一郎から、明年五月に文化祭を開催することや、新世紀への出

発の誓いをこめた「熊本宣言」などが発表された。

伸一は、席上、熊本県、なかんずく水俣、八代、人吉、荒尾、天草、阿蘇方面等の同志の奮

闘を讃えたあと、広宣流布のために呼吸を合わせていくことの大切さを訴えた。

「広宣流布を進めていくうえで最優先すべきは、皆が呼吸を合わせていくことであるといっ

ても過言ではない。学会が未曾有の大発展を遂げたのも、御本尊の仏力、法力によるのは当

然として、皆が信心を根本に呼吸を合わせ、それぞれの地域の広宣流布に邁進してくださっ

たからにほかなりません。

活動を推進していくうえでは、協議が大事です。ところが、いろいろな考え方があり、なか

なか意見がまとまらないこともあるかもしれない。そうした時には、常に、“なんのためであ

るか”に立ち返ることです。

たとえば、旅客機の操縦士ら乗員は、大勢の乗客を無事に目的地へ運ぶために、安全を第一

に考え、任務を遂行していきます。無理をしたり、冒険をしたりすれば、大きな事故につな

がりかねない。私たちの活動も、多くの仏子である同志を、安全、無事故で、崩れざる幸福

の都へ運ぶことが目的です。そのために、皆が楽しく、生活と人生を歩めるように考慮し、

全体観に立つことが必要です。

皆が、この目的観に立ち、心を一つにして呼吸を合わせてこそ、実りある協議もできるし、

目的を成就していくこともできる。

よく戸田先生は、言っておられた。

『信心のうえで呼吸が合わない人は、必ず落後していく』と。心すべきご指導です」

 

 

勝ち鬨 五十二

 ここで山本伸一は、今回の宗門事件のなかで、学会の組織を攪乱するなどした幹部がい

たことから、その共通性に言及していった。

「これまで、私の側近であるとか、特別な弟子であるなどと吹聴し、皆に迷惑をかけた幹

部が一部におりました。結局、私を利用して自分の虚像をつくり、同志を騙す手段にして

きたんです。

私は、日々、さまざまな会員の方々と接しておりますが、皆、平等に、指導・激励にあた

ってきたつもりです。信心のうえで特別なつながりなどというものはありません。

強いて言えば、私の身近にいて、すべてを託してきたのは、十条前会長であり、秋月現会

長です。したがって、“自分は側近である。特別な関係にある”――などという言葉に騙さ

れないでいただきたい。そんな発言をすること自体、おかしな魂胆であると見破っていた

だきたい。どこまでも、会長を中心に力を合わせていくことが、広宣流布を推進していく

うえでの団結の基本です。未来のためにも、あえて申し上げておきます」

さらに伸一は、「甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独

なれば悪しきみちには・たうれぬ」(御書一四六八ページ)などの御文を拝して指導した。

「信心を全うしていくうえで、大事なのは善知識であり、よき同志の存在です。不甲斐な

い者であっても、助ける人が強ければ倒れない。反対に、少しばかり強くとも一人であれ

ば、悪路では倒れてしまう。どうか、同志の強い励ましの絆で、一人も漏れなく、広宣流

布の二十一世紀の山を登攀していっていただきたいことをお願い申し上げ、私のあいさつ

とさせていただきます」

県幹部会を終えた伸一は、熊本文化会館内にある「聖教新聞」熊本支局の編集室を訪れた。

翌日付の、岡城址での記念撮影が載った新聞の早版を、見ておきたかったのである。彼は、

竹田から阿蘇に向かうバスのなかで、できる限り大きく写真を掲載してあげてほしいと、

担当の記者に頼んでいたのだ。

 

 

勝ち鬨 五十三

 山本伸一が熊本支局で待っていると、ほどなく明十四日付の「聖教新聞」の早版が届い

た。彼は、すぐにページを開いた。二・三面に見開きで掲載された、竹田の同志との記念

写真が目に飛び込んできた。これほどの大きな写真の扱いは異例である。一人ひとりの顔

までよくわかる。誇らかに胸を張り、凱歌が轟くような写真であった。

そして、「雄々しき大分竹田の同志に、長寿と多幸あれ」「岡城趾で『荒城の月』を大合

唱」「『涙』と『悔しさ』に耐え抜いた三百人と」との見出しが躍っていた。

彼は、居合わせた記者たちに言った。

「すばらしいね。迫力がある。これで、みんな大喜びするよ! ありがとう!」

翌日、大分県では、早朝から同志の喜びが爆発した。その記念写真は、烈風を乗り越えて、

創価の師弟が二十一世紀への広宣流布の長征を誓う一幅の“名画”であった。

写真に写った同志の多くは、この新聞を額に入れて飾ったり、家宝として大切に保管した。

その後の人生のなかで、苦しいことや悲しいことに出遭うと、新聞に載った写真を見ては

自らを元気づけ、勇気を奮い起こして頑張り抜いたという人も少なくない。

この十四日、伸一は、福岡県にも足を延ばし、久留米会館を訪れた。会館に集っていた同

志と厳粛に勤行し、激励したあと、八女会館を初訪問した。八女は、初代会長・牧口常三

郎も、第二代会長・戸田城聖も弘教に奔走した、広布開拓の歴史を刻む地である。さらに、

八女支部の初代支部長を務めた功労者宅を訪ね、家族と語らいのひとときをもった。

引き続き、筑後市内の中心会場となっている個人会館で、筑後の代表や福岡県の幹部らと

勤行し、懇談会を開いた。伸一は、広宣流布の途上には予期せぬ困難が待ち受けており、

その時こそ、リーダーの存在が、振る舞いが重要になることを確認しておきたかった。

御聖訓には、「軍には大将軍を魂とす大将軍をく(臆)しぬれば歩兵臆病なり」

(御書一二一九ページ)と仰せである。

 

 

勝ち鬨 五十四

 山本伸一は、イギリスの首相チャーチルの姿を通し、指導者の在り方を語っていった。

第二次世界大戦中、ヒトラーのナチス・ドイツは、イギリスの首都ロンドンを爆撃した。

焼け跡に現れたチャーチルは、悠々と葉巻をくわえ、指でVの字をつくって歩いた。

その姿に、人びとは勇気づけられた。

「チャーチルには、“こんなことでロンドンは滅びない! イギリスは負けたりはしない!

”という強い一念があった。その心意気を、多くのロンドン市民は感じ取り、奮い立って

いった。一念は波動し、確信は共鳴し、勇気は燃え広がるんです。

また、ヒトラーのやり口を見た市民たちには、“ヒトラーは異常な破壊者である。そんな

人間が支配するナチス・ドイツに、断じて負けるわけにはいかない!”という強い思いが

あった。それは、平和を欲する良識からの、正義の炎であったといってよい。

今、正義の学会を攻撃し、破壊しようとする者もまた、いかに巧妙に善を装おうとも、

常軌を逸した卑劣な正法の破壊者です。私たちは、その悪を鋭く見破り、断じて勝たな

ければならない。それなくして、広布の道を開くことはできないからです。

リーダーである皆さんは、いかなる大難があろうが、巌のごとき信念で、絶対に勝つと

いう強い一念で、悠々と、堂々と、使命の道を突き進んでください。その姿に接して、

会員は、皆、安心し、勇気をもつからです。

リーダーには、次の要件が求められます。

『信念と確信の強い人でなければならない。

誠実で魅力ある人でなければならない。

さらに、健康でなければならない。常に生き生きと指揮を執り、リズム正しい生活であ

るように留意すべきである。

仕事で、職場で、光った存在でなければならない。社会での実証は、指導力の輝きと

っていくからである。

指導にあたっては、常に平等で、良識的でなくてはならない』

以上を、心に刻んで進んでいただきたい」

 

 

勝ち鬨 五十五

 十四日夜、熊本文化会館に戻った山本伸一は、翌十五日午前、長崎・佐賀県の幹部を招

いて今後の活動などを協議し、午後には同会館で自由勤行会を開催した。

これには熊本市内をはじめ、城南地域の八代・人吉・水俣本部、天草の同志、さらに、鹿

児島・佐賀・長崎・福岡県の代表も参加し、晴れやかで盛大な自由勤行会となった。

城南地域や天草からは、バスを連ねて集って来た。皆、喜びに胸を弾ませていた。

これらの地域では、悪僧の奸計によって、学会を辞めて檀徒になった幹部もいた。

昨日まで、すべて学会のおかげだと言っていた人物が、衣の権威を振りかざす坊主の手先

となって、学会を口汚く罵り、会員に脱会をそそのかしていったのだ。同志は、悔しさに、

断腸の思いで日々を過ごしてきた。

“寺の檀徒をつくりたいなら、自分たちで、折伏すればよいではないか! それもせずに、

信心のよくわからぬ、気の弱い学会員を狙って脱会させ、寺につけようとする! 卑怯者

のすることじゃ! 信仰者のやることではない!”

同志の憤怒は激しかったが、皆、僧俗和合のためにと、黙していた。理不尽な状況があま

りにも長く続き、耐え忍ぶしかないと考えるまでになっていたのだ。歯ぎしりしながらも、

ひたすら広布の前進と、正邪が明らかになることを願っての唱題が続いた。

そのなかで、“燦々と光が降り注ぐような、あの自由な学会を、また築こう!”と、自らを

鼓舞し、弘教に走ってきたのだ。

やがて、事態は動き始めた。そして、長い苦渋の時を経て、ようやく希望の曙光を仰ぎ、

伸一の熊本訪問を迎えたのだ。

メンバーは、勇んで熊本文化会館をめざした。苦闘を勝ち越えた同志の胸には、厳として

師がいた。伸一も、苦労し抜いて戦い続けてきた同志と会い、一人ひとりを抱きかかえる

ようにして励ましたかった。

遠く離れていようが、何があろうが、共に広布に戦う師弟は金剛の絆で結ばれている。

 

 

 

 

 

 

 


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