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〈虹を懸ける〉 池田先生と香港③

2018年1月29日

   持続の信心で勝利の人生を

 

 

   地道な唱題で生命力を高め、現実社会で勝利を! 

   人間革命の実証を!

   ――香港広布18周年記念勤行会に出席した先生が、

   同志の奮闘をたたえてスピーチ

              (79年2月、九龍会館で)

 

間もなく香港は「春節」(中国正月)のお祝いの時季を迎える。

今年の元日は、2月16日。一年で一番のにぎわいを見せる。

1979年2月、5年ぶり8度目となった香港訪問は、春節の祝日期間だった。

2月3日、池田先生は鹿児島から空路で香港へ。街は新年を寿ぐ文字や赤いランタンで彩られていた。

香港会館には、師の来訪を聞きつけた青年部や近隣の同志が集まっていた。

先生は会館に到着するや、居合わせたメンバーと庭で記念撮影を行い、仏間に移動して共に勤行を。そのまま懇談

会となり、「持続の信心」の大切さを訴えている。

「生まれたばかりの子どもは、1週間や10日では大人にはならない。同様に、10年、20年と信・行・学の実

践を続けるなかで、考えもしなかった幸福境涯が開けるものなんです」

さらにこの後、先生は各部代表者会議へ。九州指導を終えた直後にもかかわらず、激闘の疲れを見せることなく、

香港の未来のために、初日から次々と手を打っていった。

 

体験を語ろう

翌4日午後、池田先生は香港広布18周年を祝賀する勤行会に出席(九龍会館)。スピーチを終え、ピアノを演奏

すると、合唱を披露した男女青年部と記念のカメラに納まった。

夜には会場を移し、香港本部長会が行われている。

61年の初訪問の際、10世帯ほどのメンバーにより、最初の地区が結成された香港SGIは、18年の時を経て、

5本部にまで拡大・発展していた。

先生は参加者の近況や意見を聞きながら、一人一人をねぎらい、励ましの言葉を贈っている。

①信心とは遠くではなく、身近にあるものである。ゆえにまず自分自身を磨くこと。家庭を盤石にすること。地域

 に貢献できる力を付けること。

②財物を得て感じる幸せには限りがあるが、信心によって勝ち得る幸せは、満足の深さが違う。

③信心を一生涯やり抜いた人は、人生の勝利者になる。

④地道な努力を積み重ね、本当に力あるリーダーに成長していただきたい。

⑤同志に対しては、わがきょうだい・家族のように親切にしてあげてほしい――と。

先生の指導を一言も聞き漏らすまいと、真剣な表情で耳を傾ける香港の友。その一人、李倫歓弟さん(香港副婦人

部長)は当時、本部の婦人部長を務めていた。

入会は68年。5人の子を抱え、ミシン縫製の仕事をしながら、懸命に家計を支えていた時である。過労で肺を患

うが、休むわけにもいかず、人生に疲れ果てていた。

そんなある日、ふとしたきっかけで13歳の少女と知り合う。

何気なく病気のことを口にすると、“私のお母さんも体が悪かったけれど、元気になったわよ”と。

聞けば、水上生活者であった彼女の一家は学会員だった。

後日、李さんは少女が暮らす船を訪ね、そこで初めて仏法に出合う。帰宅してからも、言われるままに題目を唱え

た。

すると、気持ちが安らぎ、ぐっすりと眠れるように。仕事も軌道に乗り、体調面でも医師にかかる必要がなくなっ

ていった。

入会後は、夫が部品製造工場を開業。当初は経営に四苦八苦するも、信心根本に夫婦二人三脚で取り組んだ結果、

大口の注文が入るようになった。工場は現在、長男が後を継いでいる。

折々に師との出会いを刻んできた李さん。

「かつて先生が言われた指導が、心に深く残っています。『この信心で得られた自身の体験を、どんどん周りの人

たちに語っていくのです』と。入会から50年、本当に幸せな人生になりました。これからも、この信仰の喜びを

一人でも多くの人に伝えていきたい」

これまで実らせた弘教は18世帯。子どもたちも、孫たちも広布後継の人材へと育ち、世界に羽ばたいている。

 

必ず健康に!

2月5日は、次の目的地であるインドへ旅立つ日だった。

出発を前に、池田先生は時間をこじ開け、香港広布の功労者宅を訪問。その道中、九龍の大通りで、一人の青年を

激励している。

彼の名は、周亜生さん(副本部長)。そのシーンを、先生は小説『新・人間革命』第29巻の「源流」の章につづ

った。

地下鉄工事の作業員として働いていた周さん。昼食を取るために地上に上がったところで、偶然にも先生一行と対

面した。

この3年前に、妻の葉泳芬さん(本部副婦人部長)と結婚。家庭を持ったが、仕事が安定せず、経済的な苦境に立

たされていた。

加えて、ぜんそくの持病を抱えていた周さんに、先生は「必ず健康になるんだよ!」と渾身の励ましを。思いがけ

ない言葉に、胸が熱くなった。

だが翌年、ぜんそくの症状は悪化。医師からは、完治は難しいと宣告されてしまう。

それでも“先生との約束だ。絶対に病を克服してみせる!”と、周さん夫妻は決して諦めなかった。自行化他の題目

を唱え抜き、学会活動に励む中で、少しずつ健康を取り戻していく。

さらには、信心の功徳で海運業に転職。世界一のコンテナターミナルでの仕事ぶりが認められ、会社の経営陣にも

加わり、悠々たる境涯を築くことができた。3人の子も金鷹体操隊や紫荊鼓笛隊に入るなど、創価家族の輪の中で

成長している。

周さん夫妻は誇らかに語る。「先生との出会いを原点に、健康と勝利の人生を開くことができました。感謝の心を

忘れず、広布の大道を歩み続けます!」

 

親から子へ

11日間に及ぶインド訪問から、池田先生が再び香港に戻ったのは2月16日。4日後の帰国まで、数々の行事が

予定されていた。

翌17日夜、香港中文大学の歓迎晩さん会に出席した後、宿舎で東南アジアの代表らを激励。翌日にも香港をはじ

めマレーシアやタイなどの同志と懇談し、“太陽の仏法を、太陽のごとく燃え上がる信心で、アジアの大地に燦々

輝かせよう”と呼び掛けた。

61年の平和旅以来、アジア広布の起点となってきた香港。働き口などを求めて、東南アジア等の国々からやって

来る人も多い。

副総合婦人部長の郭許翌雲さんも、タイの出身である。華僑の父とタイ人の母との間に生まれ、日本語学校のクラ

スメートの紹介で信心に巡り合った。

草創のタイで女子部のリーダーとして活躍し、結婚を機に香港へ移り住んだのは、73年のこと。長年、香港在住

のタイのメンバーを支えながら、婦人部の最前線を駆けてきた。

「女子部時代から、折あるごとに先生に励ましていただき、今日の私があります。タイの同志と共に香港にお迎え

できた79年は、宝の思い出の一つです」

生涯現役の決意で、所願満足の人生をと誓う郭さん。長女の心心さんは香港青年部長。3月の世界青年部総会へ、

若きスクラムを広げる。

先生が香港の同志に示した「持続の信心」は、親から子へ、世代から世代へ、確かに継承されている。

 

 

 

 

 

 

 

 


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