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第43回「SGIの日」記念提言㊤-5 

消極的な寛容を乗り越え「人権文化」建設の挑戦を!

2018126

 

 核兵器禁止条約の交渉会議で、SGIが参加する「核兵器を

 憂慮する宗教コミュニティー」が共同声明を発表。

 核兵器は、安全で尊厳をもって生きる権利を求める信仰の価

 値観を蔑ろにするものであると訴えた

          (昨年3月、ニューヨークの国連本部で)

 

これまでSGIは、1995年にスタートした「人権教育のための

国連10年」を支援するとともに、そうした国際的な枠組みの継続

を呼び掛け、2005年から国連が新たに開始した「人権教育のた

めの世界プログラム」を推進する活動を行ってきました。

その上で、多くの団体と協力しながら、「人権教育および研修に関する国連宣言」の採択を市民社会の側から後押

しし、2011年の採択以降は、人権教育に関わる市民社会のネットワークづくりに取り組んできました。

また、人権教育映画「尊厳への道」を制作して上映会を開催してきたほか、昨年3月にジュネーブの国連欧州本部

で行った新展示「変革の一歩――人権教育の力」の開催を各地で進めています。

映画や展示で紹介している事例の一つに、オーストラリアのビクトリア州警察での人権研修から広がった社会の変

化があります。

ある捜査でLGBTと呼ばれる人々への不当な扱いが問題となったことを契機に、全職員を対象とする人権プロジ

ェクトを導入した州警察では、移民の人々に対する厳しい態度も改められるようになりました。

警察官は「人」と「行為」を混同してはならない。あくまでも「人」は保護し、違法な「行為」があれば、その

「行為」に対処する。これが、人権を基盤にした警察の責務である――との認識が徹底されていったのです。

以来、移民の人々の間でも変化が生じました。ある青年は語っています。

――悪いことをしていなくても、警察官が近づくだけで不安を感じていたが、ある時、「青年のためのリーダーシ

ップ育成のプログラムに参加しないか」と声をかけられた。

プログラムに参加して、警察に対する印象も変わり、“この国の警察官は、制服を着ていても同じ市民であり、普

通の人間と変わらない”と思うようになった――と。

こうして人権研修の導入をきっかけに、警察官の意識が変わり、移民の人々の不安も次第に解消される中で、警察

に対する市民全体の信頼が高まっていったのです。

 

「因陀羅網(いんだらもう)」の譬え

この事例が象徴するように、人権教育や人権研修の意義は、知識やスキルを身に付けるだけで完結するものではあ

りません。

異なる集団の人々に対し、同じ人間として向き合う心を取り戻し、社会で共に生きていく関係を紡ぐことに眼目が

あるのです。

これまで「人権教育のための世界プログラム」では、5年ごとに重点対象を設け、1.初等・中等教育、2.高等教育

と教育者や公務員等、3.メディアとジャーナリスト、の三つの段階で進められてきました。

続く第4段階は2020年から始まりますが、私は、その重点対象を「青年」にすることを提唱したいと思います。

青年は、フィルターバブルの影響を受けやすい面がある一方で、人権教育で学んだ経験を周囲に語り、発信するこ

とで偏見や差別を克服する輪を広げていける存在です。

核兵器の禁止を求めるICANの活動の中核を担ったのも、20代や30代の青年たちでした。

人権の面からも、そうした世代が形づくられていけば、世界の潮流を分断から共生へと大きく転換できるに違いあ

りません。

フィルターバブルや“無意識の壁”に囲まれていると、他者の人間性の輝きは目に映らず、自分に本来具わる人間性

の輝きも曇らされて周囲に届かなくなってしまいます。

人権教育には、属性や立場の違いがつくり出す自他を隔てる壁を取り払い、自分にとっても、他の人々にとって

も“人間性の光”を豊かに輝かせる場を広げる力があります。

大乗仏教に「因陀羅網」(帝釈天の宮殿を飾る網)の譬えがあります。

壮大な網の結び目の一つ一つに付けられた宝玉が、互いの姿を映し合う中で、それぞれの輝きを増し、網全体も荘

厳されていくイメージに、私は、人権教育が切り開く社会のビジョンをみる思いがします。

人権教育に関する国連宣言が呼び掛ける「多元的で誰も排除されない社会」は、その“人間性の光”を豊かに受け合

うつながりを幾重にも織り成す中で、力強く支えられていくのではないでしょうか。

国連の取り組みが目指す社会の姿第三の柱で論じたいのは、人権文化の紐帯は“喜びの共有”にあるという点です。

先月、世界人権宣言が採択された日(12月10日)に合わせ、宣言誕生の場となったパリのシャイヨ宮で「世界

人権宣言70周年」のキャンペーンが立ち上げられました。

国連のゼイド・フセイン人権高等弁務官は、声明でこう呼び掛けました。

「私たちは、妥協することなく決然たる立場をとらなければなりません。なぜなら、他者の人権を断固支持するこ

とは、自分たちの人権や将来世代の人権を守ることでもあるからです」

この呼び掛けを貫く“力を合わせて人権を共に守る”との問題意識は、国連の他のキャンペーンにも共通するもので

す。

難民や移民の人々が直面する状況の改善を目指す「TOGETHER」(トゥゲザー)や、ジェンダー平等を推進

する「HeForShe」(ヒー・フォー・シー)の取り組みでも、タイトルが象徴するように、差異を超えて行

動の連帯を広げることが鍵となっています。

それは、他者の置かれた境遇への理解を必ずしも伴わない消極的な寛容とは本質的に異なる、人権文化の建設を志

向したものといえましょう。

消極的な寛容の場合、共生といっても、同じ地域で暮らすことを受け入れるとか、法律やルールがあるからそれに

従うといった、表層的なものだけに終わる恐れがあります。

そうした消極的な寛容では、同じ人間として向き合う姿勢には結びつかないために、社会で緊張が高まった時には

排他主義を食い止めることは難しいのではないでしょうか。

だからこそ、一人一人の意識変革を通し、「誰もが尊厳をもって生きられる社会」という新しい現実を一緒につく

りあげようとする人権文化の取り組みが、今、国連を中心に進められようとしているのです。

仏法に「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(御書761ページ)という言葉がありますが、共生の社会を築く源泉とな

るのは、一人一人が尊厳を輝かせていく姿を互いに喜び合う生き方にあるのではないかと、私は考えます。

法華経では、“万人の尊厳”を説く釈尊の教えに心を打たれた弟子たちが、一人また一人と誓いを立てていく場面が

あります。

その姿を前に周囲に広がるのは、「心大歓喜」や「歓喜踊躍」といった言葉が随所に出てくるように、喜びの輪で

あり、その喜びを分かち合う中で人々が“万人の尊厳”への思いを深めていく姿が描かれているのです。

SGIの民衆運動を突き動かしているのも、そうした“喜びの共有”に他なりません。

国や人種の隔てなく、互いが直面する課題に対し、共に前に進んでいけるよう支え合っていく。そして、困難に立

ち向かう中で尊厳の光を輝かせる友の姿を胸に焼き付け、その友の前進を我が事のように一緒に喜び合っていく思

いが源泉となってきたのです。

 

自由と平等求めた公民権運動の精神

この“喜びの共有”に関連して頭に浮かぶのは、以前、歴史学者のビンセント・ハーディング博士から伺ったアメリ

カ公民権運動の思い出です(『希望の教育 平和の行進』第三文明社)。

博士が運動に身を投じたのは、大学院生だった頃、マーティン・ルーサー・キング博士の自宅を訪れたことがきっ

かけでした。

当時、アメリカでは、バス・ボイコット運動を機に差別撤廃を求める動きが広がる一方で、黒人の大学生が登校停

止になったり、黒人の生徒が高校の入学を拒否され続けるなど、南部の州を中心に緊張が高まっていました。

シカゴにいたハーディング博士は、黒人と白人のキリスト教徒が協力し合う活動に参加していましたが、そのうち、

仲間の間で次のような自問が広がるようになったといいます。

「もし我々が、黒人と白人が兄弟姉妹として一緒に暮らすことが違法で危険な南部に住んでいたなら、我々はどう

行動するだろうか。重大なトラブルに巻き込まれても信念を貫き、互いの関係を守ることができるだろうか」

そこで博士たちは「それなら、南部へ行ってみよう」と決断し、2人の黒人と3人の白人の5人組で車に乗り込み

ました。

最初に立ち寄ったアーカンソー州で目にしたのは、入学拒否にあった生徒を支援する中心者の家に向けられていた

非道な脅迫の実態だったといいます。

差別に反対する人々への暴力が続いていたミシシッピ州を通り抜け、アラバマ州に着いた時、キング博士はナイフ

で刺される事件に遭ってまもない頃で、モンゴメリーの自宅で安静を余儀なくされていた状態でした。

それでもコレッタ夫人は来訪を大変に喜び、キング博士との面会が実現しました。

その時の出会いを回想して、ハーディング博士は語っていました。

「モンゴメリーで初めて出会ったとき、私たち二人の黒人と三人の白人の五人組が『兄弟』として、南部での旅を

試みていることに、キングはとくに感銘を受けていました」

「というのも、彼の主要な目標の一つは、単に黒人のために法的な権利を確立することではなく、それを超えて、

彼が『愛に満ちた共同体』と呼んでいた“同じ人間としての根本的なつながり”を再発見できる場を創ることにあっ

たからです」と。

もちろん、キング博士にとって、新たな法律の制定を後押しし、平等と社会的公正を実現する道を開くことは、何

としても勝ち取らなければならないものでした。

公民権法のような法律の整備は、差別や抑圧の蔓延を阻止するための社会の礎として、絶対に欠かせないものだか

らです。

その上でキング博士の眼差しは、根強い偏見や感情的なしこりを取り除く努力、そしてさらに、ハーディング博士

の表現を借りれば、「黒人や白人、そしてあらゆる人々が一緒になって、“共通の善”のための“共通の基盤”を見い

だすことのできる

『アメリカ』を創ること」に向けられていたのです。

公民権運動が大きなうねりとなり、二人の出会いから5年後(1963年8月)

にワシントン大行進=注3=が実現した時には、人種の違いを超えて多くの人々が参加しました。

キング博士は、その大勢の人々の思いを代弁するかのように、こう述べています。

「その日首都に旅してきたおよそ二十五万人の人々の中には多くの高官や名士たちがいた。しかし真に人々の心を

揺り動かす感動は、一意専心自分たちの時代に民主主義の理念に到達しようと決意して、堂々と立ち尽くしていた

普通の一般大衆からやってきた」(クレイボーン・カーソン編『マーティン・ルーサー・キング自伝』梶原寿訳、

日本基督教団出版局)

そこに集った人々の胸に脈打っていたのは、自由と平等への思いを共にする中で社会に巻き起こしてきた一つ一つ

の変化に対する“分かちがたい喜び”ではなかったでしょうか。キング博士の言葉に「旅」とありますが、私は、そ

の当日だけでなく、そこに至るまでの日々というプロセスの中でさまざまな労苦を重ねてきたからこそ、多くの人

々の胸に迫る万感の思いがあったと感じるのです。

であればこそ、多くの白人が参加しただけでなく、キング博士が当時の記者の見解として特筆していた、「平和時

におけるこの国のどんな問題よりも、米国の三大宗教信仰を近づけた」という歴史的な連帯が築かれたのだと思え

てなりません。

 

8回にわたって共同声明を発表

テーマは異なりますが、SGIが核兵器の禁止を目指す中、さまざまな信仰を背景とする団体と協力し、宗教コミ

ュニティーとしての共同声明を発表してきたのも、民衆の連帯によって時代変革の波を起こしていかねばならない

との一意専心の思いからでした。

くしくも、その連帯を築く出発点となったのは、アメリカのワシントンで2014年4月に開催した宗教間シンポ

ジウムです。

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教を信仰する人々が集まり、核兵器の問題について語り合った末に、14

団体の宗教者の署名による共同声明を発表したのです。

以来、同年12月にウィーンで行われた核兵器の人道的影響に関する国際会議をはじめ、2015年のNPT再検

討会議や、2016年の核軍縮に関する国連公開作業部会、そして昨年の核兵器禁止条約の交渉会議など、重要な

節目ごとに宗教コミュニティーとしてその場に臨み、8回にわたって共同声明を積み重ねてきました。

私たちは宗教の垣根を越えた使命感を共有していますが、連帯の紐帯はそれだけではありません。力を合わせて挑

戦を前に進めること自体に、何よりの喜びを感じてきたのです。

SGIは、昨年11月にバチカン市国で行われた、核兵器のない世界への展望を巡る国際会議にも参加しました。

フランシスコ教皇は、核兵器の使用だけでなく核兵器の保有そのものについても明確に非難し、核兵器は誤った安

全保障観をつくり出すだけで、「連帯の倫理」こそが平和的な共存の基盤になると訴えました。

また、核兵器禁止条約の交渉会議で多くの国々が核兵器の非人道性を踏まえて示したような「健全なリアリズム」

の重要性を強調しましたが、私も深く同意するものです。

 

人類の歴史開く民衆の連帯を!

振り返れば、私が核兵器禁止の合意形成を強く呼び掛けたのは、今から50年前、キング博士が亡くなった翌月の

ことでした。

それだけに、キング博士が最後に行った講演の一節は、ひときわ胸に残っています。

博士は講演で、“もし人間の全歴史を眺めることができるとしたら、どの時代に生きたいか”と自問する中で、ルネ

サンスの時代や、リンカーンが奴隷解放宣言の署名を決断した時など、多くの出来事を見たいが、そこで立ち止ま

らずに、あくまで自分が生きている時代に立ち会いたいとし、こう述べました。

「さてこれは奇妙な発言だと思われることでしょう。なぜなら今世界はめちゃくちゃになっているからです。国は

病んでおり、地には悩みがあり、どこにも混乱があります。たしかにこれは奇妙な発言です。しかしどういうもの

か、私は真っ暗な時にこそ、星はよく見えることを知っています」

「そして私がこの時期に生きることを幸せと思うもう一つの理由は、われわれは人々が歴史を通じて取り組もうと

してきた地点に、どうしても来ざるをえないようにさせられているからです」(前掲『マーティン・ルーサー・キ

ング自伝』)と。

翻って現在、人権文化の建設に国連と市民社会が協働して取り組む流れが形づくられようとする一方で、世界の民

衆の「生命の権利」を守る核兵器禁止条約の発効に向けて正念場を迎えるこの時、キング博士の言葉を今一度かみ

しめるべきではないでしょうか。

私たちの眼前には、人類史を画する挑戦の舞台が大きく広がっています。

すべての人々が尊厳をもって生きられる平和と共生の地球社会という「新しい現実」を創造することは決して不可

能ではなく、その挑戦を成し遂げる原動力は民衆の連帯にあると、私は確信してやまないのです。(下に続く)

 

語句の解説

注1 国家総動員法

1938年3月に制定された、戦争遂行のために国内の人的資源と物的資源を統

制・運用する権限を政府に与える法律。同法に基づいて、国民徴用令や生活必需物

資統制令など多くの勅令がつくられた。太平洋戦争を機に適用が拡大され、国民生

活を全面的に拘束するものとなった。終戦を経て、45年12月に廃止。

注2 ニューヨーク宣言

2016年9月、ニューヨークの国連本部での「難民と移民に関する国連サミッ

ト」で採択された宣言。難民と移民の人権の保護をはじめ、子どもたちの教育の確

保、受け入れ国への支援などが約束された。また、難民と移民を巡る問題に対応す

るための新たな規範となるグローバル・コンパクトを、18年末までに採択するこ

とが盛り込まれた。

注3 ワシントン大行進

1963年8月28日に、アメリカの首都ワシントンで、人種差別の撤廃を求め

て開催された大規模な集会。この年は、リンカーン大統領の奴隷解放宣言から10

0周年にあたり、キング博士が「私には夢がある」との一節で知られる有名な演説

を行った。運動の高まりを背景に、64年7月、雇用における人種差別や分離教育

などを禁じた公民権法が制定された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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