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第43回「SGIの日」記念提言㊤-3 

SGIの平和運動の源流に脈打つ牧口会長と戸田会長の精神

2018126

 

   出獄後、アフリカ民族会議の副議長として

   来日したネルソン・マンデラ氏と、

   人間の尊厳が輝く時代を切り開くための道筋を展望

    (1990年10月、東京・信濃町の聖教新聞本社で)

 

その一方で、頼みにしていた2人の弟子を亡くし、胸を痛めなが

らも自らを鼓舞して前に進むことをやめなかったのが釈尊であり、

80歳を過ぎて体の無理がきかなくなったことを受け止めつつも、人々のために最後まで法を説き続けたのが釈尊

だったのです。

失意の闇に沈む人がいれば寄り添い、辛い出来事があっても心に太陽を昇らせて、人々を励まし勇気づける――。

この人間・釈尊の振る舞いという源流があればこそ、法華経の”万人の尊厳”の思想は、生き生きとした脈動を現代

まで保ち続けることができたのではないかと思えてなりません。

大乗仏教において、仏を「尊極の衆生」と名付けていたように、仏といっても、人間と隔絶した存在では決してな

い。不軽菩薩のように、自己の尊厳に目覚め、その重みをかみしめながら、周りの人々を大切にする人間の振る舞

いが、そのまま、仏界という尊極の生命の輝きを放ち始めるというのが、法華経の核心にある教えなのです。

大聖人は、この生命のダイナミズムを、「我等は妙覚の父母なり仏は我等が所生の子なり」(御書413ページ)

と説きました。

仏法には、苦難を抱えながらも、人々のために行動する一人一人の存在こそ、尊厳の光で社会を照らし出す当体に

他ならないとの思想が脈打っているのです。

人権も同じく、法律や条約があるから与えられるものではないはずです。人間は本来、誰しもかけがえのない存在

だからこそ、自由と尊厳が守られなければならないのです。

人権を守る制度づくりに息吹を吹き込んできたのも、ハンフリー博士やマンデラ元大統領のように、差別や人権侵

害に見舞われながらも、”この辛い思いを誰にも味わわせてはならない!”と、社会の厳しい現実の壁を一つまた一

つと打ち破ってきた人たちの存在だったのではないでしょうか。

 

厳しい弾圧の中で貫き通した信念

私どもSGIの平和運動の源流は、第2次世界大戦中に日本の軍部政府と戦い抜いた、創価学会の牧口常三郎初代

会長と戸田城聖第2代会長の信念の闘争にあります。

牧口会長は20世紀初頭に著した『人生地理学』で、植民地支配の広がりによって世界の多くの民衆が苦しんでい

る状況に胸を痛め、「競いて人の国を奪わんとし、之がためには横暴残虐敢て憚る所にあらず」と警鐘を鳴らしま

した。

また、日本が軍国主義への傾斜を強め、その影響が教育にも色濃く及ぶ中で、1930年に『創価教育学体系』を

世に問い、子どもたちの幸福と社会全体の幸福のために価値創造の力を養うことに教育の目的があると訴え、自ら

実践の先頭に立ち続けました。

その信念は、国家総動員法=注1=が敷かれ、「滅私奉公」のスローガンの下、政治や経済から文化や宗教にいた

るまで統制が進んだ時も変わることはなく、「自己を空にせよということは嘘である。自分もみんなも共に幸福に

なろうというのが本当である」と、軍部政府の方針に痛烈な批判を加えたのです。

思想弾圧によって機関紙が廃刊を余儀なくされ、会合に特高刑事の監視がつくようになっても、一歩も退かずに声

を上げ続けた結果、牧口会長は43年7月、治安維持法違反と不敬罪の容疑で弟子の戸田理事長(当時)らと共に

逮捕されました。

「表現の自由」「集会の自由」「信教の自由」のすべてが奪われ、投獄までされながらも、牧口会長は最後まで信

念を曲げることなく、獄中で73年の生涯を終えたのです。

マンデラ元大統領の忘れ得ぬ言葉に、新しい世界を勝ち取る人間とは腕組みをした傍観者などではなく、「暗澹た

るときでも真実を見限ることなく、あきらめることなく何度も試み、愚弄されても、屈辱を受けても、敗北を喫し

てもくじけない人」であるとあります。

獄中で生涯を閉じたという事実だけを見れば、牧口会長の信念は結実をみなかったように映るかもしれません。

しかし、その信念は、獄中闘争を共に貫いた戸田第2代会長に厳然と受け継がれ、途絶えはしなかったのです。

冷戦が深まる中で朝鮮戦争が起きた時、戸田会長の心を占めていたのは、「戦争の勝敗、政策、思想の是非」とい

った国際政治の次元で語られる関心事ではありませんでした。

「この戦争によって、夫を失い、妻をなくし、子を求め、親を探す民衆が多くおりはしないか」と憂慮し、「人民

がいくところがない。楽土にたいする希望がないほど悲しきことはない」と述べたように、その思いは牧口会長と

同じく、何よりも民衆の窮状に向けられていたのです。

56年にハンガリー動乱が起きた時にも、その眼差しは変わりませんでした。政治的な経緯もさることながら「国

民が悲痛な境遇にあることだけは察せられる」とし、「ただ、一日も早く、地上からかかる悲惨時のないような世

界をつくりたい」と、時代変革の波を民衆の行動で起こすことを固く誓ったのです。

こうした信念に基づき、どの国の民衆も踏み台にされることのない世界を築く「地球民族主義」を提唱した戸田会

長が、絶対に見逃すことのできない一凶と捉えていたのが、民衆の生存の権利を根底から脅かす核兵器の問題に他

なりません。

であればこそ戸田会長は逝去の7ケ月前に「原水爆禁止宣言」を発表し、核兵器の禁止と廃絶への道を切り開くこ

とを、当時、青年だった私たちに託したのであります。

 

一人一人の生命と尊厳を守り抜く

このように、二人の先師にとって世界平和の追求は、国家間の緊張解消や戦争の防止にとどまらず、民衆一人一人

の生命と尊厳を守り抜くことに主眼がありました。

SGIが核兵器禁止条約の制定を目指す中で、「生命の権利」を守る人権アプローチを重視してきたのは、牧口会

長と戸田会長の精神を受け継いだものだったのです。

その意味でも、禁止条約が軍縮に関するものでありながら、国際人権法の精神を宿していることに深い意義を感じ

てなりません。

条約の最大の特色は、核兵器を禁止する理由として「すべての人類の安全」への危険性を挙げ、被害を受ける”人間”

の観点を条約の基礎に据えていることにあります。また、条約に関わる主体として、国家だけでなく、市民社会の

役割の重要性を明確に位置付けていることです。

歴史を振り返れば、国際社会における個人の存在を、同情の対象ではなく権利の主体として位置付けるきっかけと

なったのは、「われら人民」の言葉で始まる国連憲章であり、「すべての人」という主語を掲げる条文などで構成

された世界人権宣言でした。

核兵器禁止条約でも、自らの被爆体験を通して核兵器の非人道性を訴え続けてきた行動の重みをとどめるべく、

「被爆者」の文字が前文に刻まれています。

禁止条約の交渉会議で、市民社会の代表が座っていた席は議場の後方でした。

しかし、ある国の代表が、市民社会は”尊敬の最前列”にあったと語ったように、禁止条約を成立させる原動力とな

ったのは、広島と長崎の被爆者や核被害を受けた世界のヒバクシャをはじめ、心を同じくして行動を続けてきた市

民社会の声だったのです。

SGIもその連帯に連なり、ICANとの共同制作による展示を通した核兵器の非人道性に関する意識啓発や、国

連への作業文書の提出などを通して、核兵器禁止条約の制定プロセスに深く関わってこられたことは、大きな喜び

とするところであります。

平和や人権といっても、一足飛びに実現できるものは何一つありません。

”自らが体験した悲惨な出来事を誰の身にも起こさせない”との誓いが平和と人権を守る精神的な法源となり、市民

社会の間で行動の輪が大きく広がる中でこそ、一人一人の生命と尊厳を守る法律や制度の基盤は固められていくの

ではないでしょうか。

 

国と国をつなぐインフラの構築

次に第二の柱として挙げたいのは、分断を乗り越える人権教育の重要性です。

近年、移民と難民の急増に伴う入国管理の強化や資源の領有に関する係争など、国境を巡る問題がさまざまクロー

ズアップされるようになってきています。

一方で、それとは正反対の動きが勢いを増していることが注目されます。

多くの国を直通で結ぶ鉄道をはじめ、国をまたいだ電力供給網やインターネットの海底ケーブルの敷設など、共通

インフラの整備が広がっていることです。

最新の研究によると、これまで敷設された海底ケーブルは約75万キロ、鉄道は約120万キロといったように、

その長さは、世界の国境線の総計である25万キロをはるかに上回る規模になっています。

 

 

 

 

 

 

 

 


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