• ただいま、Word Press 猛烈習熟訓練中!!
Pocket

池田先生の「第1部隊長」就任65周年 師の構想を実現してこそ弟子

2018112

  世界広布は、私たちの手で!――

  昨年8月、研修会で来日したブラジル青年部の友。

  師との誓いに生きる青年のスクラムは世界へ

           (創価文化センター内の金舞会館で)

 

池田先生が男子部の第1部隊長に就任して、本年で65周年。

先生が指揮を執った1年余りで、第1部隊の陣容は約4倍に拡大

した。いかに青年を糾合し、新たな人材を育てたのか。

先生の行動から要諦を学ぶ。

 

1953年(昭和28年)1月2日、25歳の誕生日の日、池田先生は男子部の第1部隊長に就任した。

この日の日記につづっている。

「健男子として、何ものにも恐れず、青年を率いて起とう」

戸田先生は各部隊に目標を示した。年末までに「各部隊1000人」の達成である。

この時、第1部隊の部員数は337人。1年間で3倍の拡大である。

池田先生は、第1部隊の最初の班長会で力説した。

――「第1部隊」という名の通り、すべての戦いで「第1」になろう。

当時、先生の体調は万全とはいえなかった。「身体の調子すこぶる悪し」(53年1月25日)、「身体の具合、

悪し。背中に、焼けたる鉄板を一枚入れたるが如し」(同年2月4日)等と日記に記している。

さらに、先生は4月に文京支部長代理にも就任。戸田先生の会社では営業部長の重責を担い、多忙を極めていた。

そうした状況の中で、自ら拡大の先頭に立ち、同志の激励に奔走した。

ある日、第1部隊の友が尋ねた。

「私なんかより、はるかに多忙なのに、どうしてそんなに悠然としていられるのですか」

先生の答えは明確だった。「戸田先生の構想を破綻させるような弟子には、絶対にならないと心に決めているから

です」

そこには、「言われたから」「打ち出しだから」などという受け身の姿勢など微塵もない。

師の構想を断じて実現してみせる――25歳の青年の胸中には、誓いの炎が赤々と燃えていた。

 

「一人」を心から大切に

恩師が示した「部隊1000人」達成に向け、池田先生は目標を明確にした。

まず、新たな人材を登用し、六つであった班を、10班に再編・拡大。10人の班長を「部隊十傑」と命名し、中

心者の団結を図った。

さらに、各班で10人の分隊長を登用して「部隊百傑」として、各分隊が10人の部員を達成することを掲げたの

である。

目標は定まった。では、それを遂行するための鍵とは何か――先生は「一人」を心から大切にした。

形式的に人数が増えることが広宣流布ではない。

この信心で何人の人が幸福になったのか。何人の青年が広布の使命を自覚し、自らの人間革命に挑んでいるのか。

ここに広布の実像があることを、池田先生は第1部隊の戦いで示した。

第1部隊の活動の舞台は、墨田・江東・江戸川区など、いわゆる下町中心とした地域であった。

先生は同志から自転車を借り、路地を走っては、一軒また一軒と、班長と共に訪問激励に回った。

会えない友には、移動の合間を縫って、はがきを書き送った。会合の前には、部員のもとへ足を運び、不在の場合

には、激励の言葉や御書の一節をつづったメモを残した。会合の後にも参加できなかった友への激励に走った。

また、壮年・婦人部の対話で信心を始めた家庭に青年がいれば、あいさつに行った。同世代の友として、成長を誓

い合った。

下町で働く同志は残業が多かった。先生は日曜日に自宅を開放し、集ってくる友に励ましを送った。

時には、レコードをかけて親しく語り合い、戸田先生から作り方を教わったカレーを振る舞ったこともあった。

こうした懇談の場が、自然と”勝利への作戦会議”の場となった。

さらに、先生は教学に力を注いだ。第1部隊には、読み書きが苦手な青年もいた。先生は友を自宅に招き、「観

心本尊抄」「撰時抄」「当体義抄」「如説修行抄」「顕仏未来記」などを共に研さん。部隊独自の弁論大会も企

画した。

教学の研さんを通し、第1部隊のメンバーは、自らの深い使命を自覚し、現実を変革する仏法の哲理を声明に刻

んだ。

こうして、第1部隊の戦いは、日を追うごとに勢いを増していったのである。

 

友を奮い立たせた檄文

同年10月、2ケ月後の12月20日に行われる第2回男子青年部総会に、各部隊1000人の結集目標が発表さ

れた。

この時点での第1部隊の部員数は約600人。1月のスタートから2倍近くの拡大である。

しかし、「1000人の結集」という目標達成のためには、わずか2ケ月で、それまで以上の拡大が求められる。

浮足立つメンバーに、先生は確信を込めて語った。

「そんなに大変なことじゃないよ。簡単なことなんだよ。一人があともう一人を連れてくれば、目標は完遂するこ

とができる」

戦いが終盤に差し掛かった時点で、再び「一人」を焦点にした拡大を訴えたのである。

先生は自ら最前線の友を励まし続けた。共に戦ってきた班員一人一人に激励のはがきを書いた。

第1部隊の拡大は加速し、10月の1ケ月間で、部員数は800人を突破。そして翌11月、ついに「部隊1000

人」を成し遂げた。

同年11月20日、第1部隊の臨時の決起大会が開催された。この場で、参加者に1枚の印刷物が配られた。「我

が親愛なる同志諸君に告ぐ」と題する、先生自らが自費で作った活版刷りの檄文である。

そこには、部隊1000人の結集の意義とともに、広布の使命を果たすための心構えが、4点にわたって示されて

いた。

1点目は、御本尊を信じ、自分は折伏の闘士であると確信すること。

2点目は、教学に励むこと。

3点目は、行動に当たっては、勇気を持ち、沈着にして粘り強くあること。

4点目は、学会精神を会得し、自ら広宣流布の人材たらんと自覚すること、である。

男子青年部総会を目前に控えた同年12月7日にも、先生は総結集を呼び掛ける檄文を送った。先生の大情熱に、

友は奮い立った。

ある班は、4月の時点で部員数は20人ほど。メンバーは東京のほか、埼玉にもいた。だが、総会には、埼玉で

50人、東京で50人を超える部員を結集した。

ほかの班も次々と壁を破り、第1部隊は1000人を超す結集を果たした。

池田先生は、翌54年(同29年)3月に青年部の室長に就任するまで、第1部隊長として指揮を執った。その間

に、部員数は当初の4倍近くまで拡大した。

さらに、第1部隊からは、多彩な人材が陸続と育っていった。それは、「一人」を大切にする行動の持続が、新た

な歴史を開くという証明でもあった。

 

積み重ねの上に勝利が

53年(同28年)という年は、「創価学会の発展の歴史にあって、最も折伏意欲にみなぎった年であった」と

池田先生はつづっている(『人間革命』第7巻「翼の下」の章)。

事実、この1年で、学会の世帯数は約2万から7万世帯にまで伸びている。

前年の「二月闘争」で、「201世帯」の弘教という当時の支部の限界を突破する拡大を達成し、53年に青年拡

大の金字塔を打ち立てた池田先生の戦いは、学会の飛躍的な勢いを生み、恩師の願業である75万せたいの弘教へ

とつながった。

第1部隊の戦いを通し、池田先生は語っている。

「会合も、個人指導も、御書講義も、一回一回が真剣勝負だった。疲れて、ペンを握ることさへ辛い夜もあった。

だが、必死に書いた激励の手紙ほど、同志は奮い立ってくれた。勝利は突然やってくるものではない。日々の、懸

命な『小勝利』の積み重ねの上に『大勝利』があるのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください