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〈地域を歩く〉 高知県 中芸地域

2017年12月20日

ゆず香る人材の森

 

 

  馬路村の魚梁瀬(やなせ)丸山公園には、

   かつて中芸地域を走った森林鉄道の軌道が

    復元されている

 

 

あさっては「冬至」。

一年の間で、昼が最も短く、夜が最も長い日だ。

冬の寒さを象徴する日に、香り高い「ゆず湯」に入り、冷えた体を温める人も多いだろう。

高知・中芸地域は、ゆずの日本一の産地である。かつては林業が盛んだったが、時代の変化に合わせ、ゆず栽培

が取って代わった。

木材を運ぶために敷設された、西日本最大の「森林鉄道」が、廃線後はゆず畑の広がる「ゆずロード」に――

そんな地域のドラマが本年4月、「日本遺産(注)」に認定された。

今回の「地域を歩く」では、奈半利町、田野町、安田町、北川村、馬路村の中芸地域5町村からなる中芸本部

(梶原章介本部長、梶原朱実婦人部本部長)の友を訪ねた。

 ◇

土佐湾岸から川沿いの山道を進むとすぐ、車窓にゆず畑が広がり始めた。緑の中に、無数の黄色が見える。

今月中旬、まず訪問したのは、北川村で生まれ育ち、村の教育委員長を19年務めた川北俊夫さん(副県長)の

自宅である。

「きれいなバラと同じように、ゆずにもトゲがあるんですよ。これがなければ、ゆずらしい香りが落ちるんです」

温厚な川北さんの人生にも、“トゲ”のような時があったという。

今も引きずる右足が痛み出したのは、高校1年の時。

原因は不明。その後、学校を中退。入退院を繰り返すうち、家に引きこもるようになった。

そんな川北さんを、2年もの間、激励し続けてくれたのが、小学校以来の学会員の友人だった。

その友人は、自身が命に及ぶ事故を経験していたが、そうとは思えないほど明るかった。

(注)地域の歴史的魅力や特色を通じてわが国の文化・伝統を語るストーリーを、文化庁が認定するもの。

 

魚梁瀬湖の展望台から千本山方面を見渡す。杉の日本三大美林である魚梁瀬杉の森には、樹齢200年以上の巨杉

が林立する

友人の熱意に触れ、22歳で創価学会員となった川北さん。

明らかに表情が変わっていくその姿に驚いた両親と祖母は、すぐに入会。気付けば川北さんは、社会復帰どころか、

池田先生や同志に支えられ、思ってもみなかった人生を歩んできた。

現在、食虫植物であるサラセニアの栽培・販売を手掛ける。

「植物も人間も、種を植え、芽が出るまで見守る存在が大事なんです」

それを聞き、妻の優子さん(婦人部副本部長)が笑って言った。「あなたは学会の中で育てられたみたいな感じや

ね」

◇ ◇ ◇

何事も成就するまでには相応の年月がかかる。

果樹の姿は、崩れざる信頼の連帯を広げる学会の同志の姿に通じる。

「『桃栗3年、柿8年、ゆずの馬鹿野郎17年』てことわざ、知っとる?」――こう笑顔で尋ねてきたのは、安田

町生まれの小松羽津美さん(婦人部副本部長)。

ゆずには「接木」と、種からつくる「実生」の二つの育て方がある。実生のゆずは、初めて実がなるまでに17年

ほどかかるが、その木は100年もつといわれる。

中学卒業と同時に、集団就職で町を離れていた小松さん。定年まで働くつもりでいた職場を辞めて帰郷。理由の一

つが、母親が守ってきた20アールの実生のゆず畑を守ることだった。

45度もある斜面を上り下りするだけでも足腰を痛める、山あいでの作業。さらに当時、小松さんは子宮がんの手

術を終えたばかりの、満身創痍の状態だった。

帰郷して約19年が経った。助かった命を人のために使って恩返ししたいと、題目根本に、ゆず栽培に加え、ヘル

パーや、町が運営する宿泊施設「せせらぎの郷 小川」の管理人を続けている。

そんな小松さんを励まし続けてきた中野眞弓さん(県婦人部主事)は振り返る。「(小松さんを)安田の人材に、

と祈ってきたがよ」

二人は、学会創立100周年の2030年へ、さらなる地域貢献の人生を誓っている。実生のゆずに負けないよう

にと。

◇ ◇ ◇

中芸地域を歩くと、至るところに森林鉄道の面影を残すトンネルや橋が点在している。そのうち、18の遺構が国

の重要文化財。これほど広域で文化財の指定を受けるのは、めずらしいという。

魚梁瀬杉で知られた馬路村。木材搬出のため、村に鉄道が開通したのは、今から100年以上前の1911年(明

治44年)である。それとともに、林業が盛んになると、集落ができた。鉄道は生活の足にもなった。

祖父の代から馬路村で林業に携わってきた木下泉さん(副本部長)。振り返ると、仕事中のけがに加え、交通事故

や病気など、宿命の連続だった。仕事に出られない時は、妻の福子さん(地区副婦人部長)が代わりに仕事に出て、

3人の子どもたちを食べさせてきた。

やがて、時代の移り変わりとともに、鉄道は廃線(63年<昭和38年>)。

軌道は撤去されて道路になった。

しかし、木下さんは、自分には馬路村にいる使命があると決めた。学会活動の中で得た、ある思いがあったからだ。

「『魚梁瀬杉のように、地域に根付いた貢献の人材をたくさん育てたい』と祈っていたんです。その思いは今も変

わりません」

今、少子高齢化の波が地域に押し寄せている。

だからこそ、ゆず栽培によって郷土が活気づいてほしいと願う。

木下さんの取材の後、ゆず加工場の、年内の仕事が落ち着いたばかりの青年に出あった。

奈半利町に住む巳嵜隼人さん(男子部員)は、19歳で仕事の関係で関西へ。そこで学会の同志に励まされながら、

信心の基本を学んだ。「人に恵まれました。だからこそ、人との縁を大切にするようになりました」

しばらくして奈半利町に戻った。故郷を一度、離れたことで、地元に対する気持ちが深まった巳嵜さん。今後のこ

とを聞くと、工場で出会った友人と一緒に、地域で農業をしていきたいよいう。

「この町を、人材が集う地域にしたい」

その願いは、木下さんの願いと一致していた。

◇ ◇ ◇

この地には、過去を生かしながら、未来に向かって地道に努力を重ねる人が数多くいる。

小松広義さん(地区部長)は、安田町生まれ育ち集団就職で関西へ。ジャムの製造工場や鉄工所などを経て、菓子

の販売で独立。36年後に、安田町に戻ってきてからも、木工所や社会保険事務所などで働いてきた。

「だから、ゆずに関しては、俺はズブの素人やな」――ゆず畑に向かう荒い山道を走る車中に、関西弁が響く。

ゆず畑は父親の代からのものだが、栽培歴は3年足らず。「でも風雪に耐えたものは、ちゃう。それは分かる」

これまで父親と自分以外の兄弟を亡くし、現在は、母親と2人暮らし。5年前には、自身が前立腺がんを患った。

それでも前を向く原動力は、ずばり「勤行」。

「御書に『設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはくらせ給うべし』

(1088ページ)とあるやろ。人生いろいろあるけど、後ろを向いてもしゃあないわな」

そう話す小松さんに、同行してくれた小松儀正さん(県副総合長)は声を掛けた。「過去は変えられんからな。

でも未来は今、変えられる。そう考える人は若い!」

かつて池田先生は次のように語った。

「『足下を掘れ、そこに泉あり』という言葉が、私は好きである。一つ一つ目標を明快にして、着実にていねいに

取り組んでいく。その積み重ねのなかにしか道は開けない。小さなことを決しておろそかにしてはならない」

間もなく、「世界広布新時代 栄光の年」がやってくる。明年も、中芸本部の一人一人は、わが足下を地道に掘り

下げながら、”人材の泉” ”勝利の泉” を広げていく。

 

 

 

 

 

 

 

 


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