2017年12月7日
香港島を東西に走るトラム。
車体に広告が描かれた、2階建ての路面電車だ。
人々の移動手段として活躍する、
香港の“顔”の一つである
紺碧の海がまぶしいビクトリア港。両岸の九龍半島と香港島には、
近代的な高層ビル群が、競い合うように天へと伸びていた。
より高く、どこまでも上へ上へ!
東洋と西洋、過去と現在が交わる国際都市・香港の発展の象徴である。
香港は今年、アメリカのシンクタンクが発表した「経済自由度指数」で23年連続、スイスのビジネススクール
による「世界競争力ランキング」で2年連続の第1位に輝いた。
その力強い経済成長とともに、アジアを代表する観光都市としても注目を集める。
香港島のビクトリア・ピークから望む「100万ドルの夜景」。インスタグラム(写真共有アプリ)でも話題と
なった超密集アパート。
さらに、グルメや買い物など、魅力いっぱいの”旭日の港”には、毎年、海外から2000万人をはるかに超える
観光客が訪れる。
ちなみに、人口約730万人。世界屈指の人口密度を誇る香港は、常に多くの人でにぎわっているのだ。
まさに、アジアの玄関となった香港を、池田先生が初めて訪問したのは、56年前の1961年1月28日。
夜には座談会に出席した。
先生は自らの筆による「純心」の文字を染め抜いた袱紗を手渡し、参加者と質問会を。「生命はなぜ永遠なのか」
との問いに丁寧に答えつつ、集った十数人に呼び掛けた。
その様子が、小説『新・人間革命』第3巻「仏法西還」の章につづられている。
「永遠の生命といっても、いっさいは『今』にあります。過去も未来も『今』に収まっている。ゆえに、この一瞬
を、今日一日を、この生涯を、感謝と歓喜をもって、広宣流布のために、力の限り生き抜いていってください」
そして、アジアで初となる地区の結成が発表されると、場内は賛同と感動の拍手に包まれた。
翌日、先生は同志の案内で香港を視察。未来へ伸びゆく街の勢いを感じながら、恩師・戸田城聖先生が夢見た東洋
広布に思いをはせた。不二の師弟の仏法西還の旅路は、ここから始まったのである。
以来、先生の香港訪問は、実に20度を数える。
84年12月、「中英共同声明」が発表され、イギリス領だった香港は、97年7月1日をもって、中国に返還さ
れることが決まった。
社会には不安が渦巻き、海外への移民ブームも起きた。
その中で先生は、返還前後の91年から98年まで、8年連続で香港へ。変換直前の97年2月には、「SGI総
会」や100ケ国の友による第16回「世界青年平和文化祭」が香港で開催された。
永遠の指針となる長編詩「『栄光の都市』香港の旭日」を贈ったのも、この時である。
その一節には、こうある。
「さあ 出発だ!
帆を上げよう
新しき航海には
不安もあろう
しかし
恐れるものなど何もない
人も変わる
社会も変わる
時代も変わる
すべては変化の連続だ」
変換から20年――。
あらゆる波浪を乗り越えた”人間主義の宝島”には、新たなる地涌の人材群が陸続と踊り出ている。