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暁鐘 七十六

 山本伸一は、六月二十五日午後五時(現地時間)、百五十人ほどのメンバーに見送られ、

カナダのトロント国際空港を発ち、約一時間半の飛行でアメリカのシカゴに到着した。

シカゴでは、二十八日に、今回の北米訪問の最も重要な行事となる、第一回世界平和文化

祭が開催されることになっていた。それは、世界広布新章節の開幕を告げる祭典であり、

まさに世界宗教としての創価学会の、新たな船出の催しであった。

伸一は、シカゴ訪問では、「シカゴ・タイムズ」のインタビューにも応じた。

また、シカゴ市は、市長が公式宣言書を出して、伸一の平和行動を高く評価し、二十二日

から、平和文化祭が行われる二十八日までを、伸一の名を冠した週間とすることを宣言。

シカゴ市民に対して、伸一並びに平和文化祭参加者の歓迎を呼びかけたのである。

同行した日本の幹部たちは語り合った。

「本当に世界広布の時代が到来している! こうしてアメリカで、メンバーの社会貢献の

活動や、青年を大切にし、青年がはつらつと活躍しているSGIの運動に、大きな期待が

寄せられていることが、何よりの証拠だ」

「残念だが、日本には島国根性のようなものがある。新しい民衆運動に対しても、その発

展を妬んだりして、正視眼で見ない。時代はどんどん変化している。狭い心では、世界か

らどんどん取り残されていってしまう」

「一月に山脇友政が恐喝容疑で逮捕されて以来、山脇が一部マスコミを利用して学会を誹

謗中傷していた内容が、いかにいい加減なものかが明らかになった。今こそ、学会の真実

を訴え抜いていくのが私たちの使命だ」

二十七日には、学会が寄進したアメリカ五カ所目の寺院(出張所を含む)がシカゴ郊外に

完成し、法主の日顕が出席して落慶入仏式が挙行された。これには伸一も参列した。

彼は、僧俗和合によって、広宣流布が進むことを願い続けていた。ただ、ただ、広宣流布

大願成就のために――これこそが、常に創価学会に脈打つ不変の大精神であった。

 

 

暁鐘 七十七

 六月二十八日、二十一世紀へと羽ばたく歴史的な第一回世界平和文化祭が開催された。

シカゴ郊外にある会場のローズモント・ホライゾン(後のオールステート・アリーナ)に

は、世界十七カ国の在米大使館関係者をはじめ、各界の来賓、各国のSGIメンバーの代

表ら約二万人が集った。

テーマ曲「朝日」の合唱が流れる。「生命の世紀」の朝だ。白いユニホームに身を包んだ、

眠りから覚めた青年たちが、躍動のダンスを踊り始める。

ステージは四面で構成され、中央と、その前、そして左右にも舞台がある。それらを駆使

して、アメリカのメンバーが、ラテン・アメリカ、アフリカ、西ヨーロッパ、東ヨーロッ

パ、中東、アジアの歌と踊りを相次ぎ披露していく。メンバーは、日々、練習を重ねて、

各国の踊りを習得したのだ。

ロシアのダンスを踊ったニューヨークの友は、ソ連の人びとに思いを馳せ、その心になり

きって踊ろうと努めた。練習に励むうちに、イデオロギーや国家の壁を超えて、まだ見ぬ

ソ連の人びとが、親しい友人に思えてきたという。文化には、心と心をつなぎ、人間と人

間を結び合う力がある。

日本からの親善交流団も日本舞踊や民謡などを披露。日本の音楽隊も登場した。

また、創価合唱団が力強く「威風堂々の歌」を合唱すると、アメリカの草創期を切り開い

てきた婦人たちが、労苦の幾山河を思い起こし、目に涙を浮かべる一幕もあった。

長野県男子部は、舞台狭しと組み体操を展開し、五段円塔をつくり上げた。「オーッ」と

感嘆の声が場内を包み、喝采が広がった。

どよめきが続くなか、二つのグループが左右の舞台で、パレスチナとイスラエルの民族舞

踊を踊る。踊り終わって双方から何人かが中央の舞台に近づく。しかし、ためらう。それ

でも、自らを鼓舞するように歩みを運んでいく。そして、固い握手を交わした。

大拍手が沸き起こった。それは、平和を願う全参加者の願いであり、祈りであった。

 

 

暁鐘 七十八

 世界平和文化祭は、開催国アメリカの音楽と踊りに移った。カウボーイハットを被って

のウエスタンダンス、ハワイアンダンス、さらに、チャールストン、ジルバ、タップダン

スと、陽気で賑やかなアメリカンダンスの世界が繰り広げられていく。

一転。暗くなった舞台に立つ一組の男女をスポットライトが照らす。山本伸一が詠んだ詩

「我が愛するアメリカの地涌の若人に贈る」の、力強い朗読の声が流れる。

 「あらゆる国の人々が集い共和した

  合衆の国 アメリカ

  これこそ世界の縮図である

  このアメリカの

  多民族の結合と連帯の中にこそ

  世界平和への図式の原則が

  含まれているといってよいだろう……」

やがて朗読が終わると、決意のこもった大拍手が場内を揺るがした。拍手には、アメリカ

から世界平和の波を起こそうとする同志の思いが、ほとばしりあふれていた。

フィナーレでは出演者が舞台を埋め尽くし、アルゼンチン、オーストリア……と、各国の

旗を持った出演者が前へ進み出て、高く掲げる。全世界から人びとが集う、人間共和の合

衆国アメリカの理想を讃え、決意を表明したものだ。観客席では、それぞれの国の関係者

らが立ち上がって拍手し、喝采の波が会場中に広がる。そして、歓喜の歌声が響き、スク

ラムが大きく揺れる。

地球は一つ、世界は一つであることを、描き出した、美事な世界平和文化祭であった。

ここに、創価の世界広布新章節の幕は上がり、高らかに、晴れやかに、旅立ちのファンフ

ァーレは轟き渡ったのだ。

この世界広宣流布の大潮流は、いかなる力をもってしても、決して、とどめることはでき

ない。「一閻浮提広宣流布」は、日蓮大聖人の御遺命であるからだ。そして、その御本仏

の大誓願を実現しゆくことこそ、創価学会が現代に出現した意義であり、われらの久遠の

大使命であるからだ。

 

 

暁鐘 七十九

 世界平和文化祭には、テレビ局をはじめ、三十余の報道各社が取材に訪れた。ABC放

送は、終了後、直ちにニュース番組で、その模様を放映。祭典は世界平和と生命の尊厳を

志向して開かれたものであり、出演者は素人であると紹介した。

テレビのインタビューに登場したメンバーは、「一人ひとりの人間の可能性を最大に発揮

させつつ、世界平和のために貢献しているのが、創価学会の運動です」と胸を張った。

翌二十九日昼、世界平和文化祭の感動は、シカゴの街に広がった。晴れ渡る空の下、シカ

ゴ市庁舎前の広場で、文化祭の舞台が再演されたのだ。シカゴ市並びに市民の惜しみない

協力に感謝しての催しであった。

市庁舎前には、各界の来賓、招待した老人ホームのお年寄り五百人をはじめ、一万人の市

民が詰めかけ、熱演に喝采を送り続けた。

音楽隊の演奏、イタリア・韓国・ハンガリー・インドの民族舞踊、日本の交流団による勇

壮な太鼓演奏や梯子乗りの妙技、オーケストラによるテーマ曲「朝日」の演奏、組み体操

では人間ロケットが飛び交う。

山本伸一と共に演技を鑑賞していた来賓の一人は、満面に笑みをたたえて語った。

「感動しました。すばらしい文化をありがとうございます!」

喝采と賞讃の交響曲に包まれて、創価学会は、アメリカの天地から二十一世紀への新しい

船出を開始したのである。

伸一がシカゴから最後の訪問地ロサンゼルスに到着した七月一日、詩人のクリシュナ・ス

リニバス博士が事務総長を務める世界芸術文化アカデミーは、伸一に「桂冠詩人」の称号

授与を決定した。

後に届いた証書では、彼の詩を、「傑出せる詩作」と評していた。伸一は、過分な言葉で

あると思った。そして、心に誓った。

“私は、人間の正義の道を示し、友の心に、勇気を、希望を、生きる力を送ろうと、詩を書

いてきた。この期待に応えるためにも、さらに詩作に力を注ぎ、励ましの光を送ろう!”

 

 

暁鐘 八十

 山本伸一は、平和と民衆の幸福への闘争を重ねつつ、詩を書き続けた。多忙なスケジュ

ールの合間を縫うようにして口述し、書き留めてもらった作品も数多くある。

その後、彼には、インドの国際詩人学会から「国際優秀詩人」賞(一九九一年)、世界詩

歌協会から「世界桂冠詩人賞」(九五年)、「世界民衆詩人」の称号(二〇〇七年)、

「世界平和詩人賞」(二〇一〇年)が贈られている。

伸一がアメリカでの一切の予定を終えて、成田の新東京国際空港(後の成田国際空港)に

到着したのは、日本時間の七月八日午後四時過ぎであった。空港には、会長の十条潔らの

笑顔が待っていた。

今回の訪問は、六十一日間に及び、ソ連、欧州、北米と、八カ国を訪ね、ほぼ北半球を一

周する平和旅となった。各国の政府要人、識者らと、文化・平和交流のための対話を展開

する一方、世界広布の前進を願い、各地でメンバーの激励に全精魂を注いだ。

第一回世界平和文化祭をはじめ、ヨーロッパ代表者会議、各国各地での信心懇談会や御書

研鑽、総会、勤行会、交歓会など、いずれの行事でも、力の限り同志を励まし続けた。

また、今こそ、未来への永遠の指針を残そうと必死であった。片時たりとも無駄にするま

いと、パリでは地下鉄の車中など、移動時間を使って詩を作り、フランスの青年たちに贈

りもした。

間断なき激闘の日々であった。しかし、進むしかなかった。二十一世紀を、必ずや「平和

の世紀」「生命の世紀」にするために――。

彼は、新しい時代の夜明けを告げようと、「時」を待ち、「時」を創っていった。一日一

日、一瞬一瞬が真剣勝負であった。死闘なくしては、真実の建設も、栄光もない。

その奮闘によって、遂に“凱歌の時代”の暁鐘は、高らかに鳴り渡ったのだ。今、世界広宣

流布の朝を開く新章節の旭日は、悠然と東天に昇り始めたのである。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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