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〈教学〉 12月度座談会拝読御書 

諸経と法華経と難易の事

20171128

 

仏法やうやく顛倒(てんどう)しければ世間も又濁乱せり、仏法は体のごとし

 世間はかげのごとし体曲がれば影ななめなり

(諸経と法華経と難易の事、992ページ)

 

本抄について

本抄は、弘安3年(1280年)5月、日蓮大聖人が59歳の時、身延から下総国

(千葉県北部など)の富木常忍に送られた御書です。

富木常忍が法華経法師品の「難信難解(信じ難く、解し難し)」の文について質問

したことに対して、問答形式で答えられています。

本抄では、法華経以外の諸経は、九界の衆生の機根に応じて説かれた「随他意」の

教えであり、「易信易解(いしんいげ)」である。これに対して法華経は、衆生の

機根を問わず、仏が自身の内面の悟りを説いた「随自意」の教えであるゆえに「難

信難解」であり、一切衆生が成仏できる経であると示されています。

「機根」とは、仏教を理解し信じ実践する能力・資質をいいます。

さらに、大聖人は随他意の法門がはびこって仏教界が混乱し、根本である「体」が

曲がっている日本国の状態を憂えられ、仏の随自意の経である法華経の正法を立て

て体を正さなければならないと訴えられています。

12月度座談会御書は、本抄の文末の「仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲

れば影ななめなり」の有名な御文が学習範囲です。

当時、蒙古の再来が予想され、人々は恐怖の中で生活していました。

仏法は体(たい)であり根本ゆえに、国の仏法が顛倒すれば、影である世間は乱れ

ます。

故に、真言宗や浄土宗を立てるのではなく、法華経を立てなければならないと述べ

られています。

難信難解(なんしんなんげ)

「信じ難く理解し難い」の意味。易信易解(いしんいげ)に対する語句。

法華経法師品には、諸経の中で法華経が最も信じ難く理解し難いであると説かれて

いる。

仏が自身の悟りを直ちに説いた教え(髄自意)ゆえに難信難解である。

易信易解(いしんいげ).

「信じ易く理解しやすい」の意味。法華経以外の教えのこと。

随自意(ずいじい).

「自らの意(こころ)に随(したが)う」と読む。

衆生の機根にかかわらず、仏・仏界の内面をそのまま説き示すこと。

このため、境涯の違う衆生からは理解し難い。

髄他意(ずいたい)

真実の悟りに導くために、衆生の機根や好みに随って法を説くこと。

また、その方便の教えをいう。

○所感

私たちは苦難や不幸に見舞われたとき、とかく他人のせいにしがちです。

しかし、仏法では不幸の原因は自分自身の宿業と説きます。

周囲がゆがんで見えるのは、実は、自分自身の境涯・思想のゆがみが原因です。

故に、仏法の真髄である法華経、なかんずく南無妙法蓮華経の正しい仏法を実践し、

宿命転換しない限り、その歪み(問題)は改善できません。

誤った宗教によって、人生は歪曲し不幸になります。

正しい宗教によって、人生は清く正しく幸福にになります。

日蓮大聖人の仏法を根本としなければ幸福な人生は得られません。

大聖人はあらゆる不幸の根本原因について、法華経(正法)を根本とせず、他宗(邪義)

を根本としているからであると述べられています。

「仏法が顛倒(てんどう)するから世間もまた濁り、乱れる」

これは、個々においては「宗教の顛倒は人生を濁らせ乱れさせる」ということと同意です。

多くの人々は宗教に正邪があることすら認識していません。

誤った思想や宗教を盲目的に信じ、結果、濁悪の人生に堕していきます。

私たちの願いは「立正安国」であり、「自他共の幸福」です。

来年は「世界広布新時代栄光の年」であり、折伏弘教の年です。

大いに仏法対話を果たしてまいりましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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