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〈希望航路 池田先生と進む人生旅〉 タイ4=完

20171127

                                                                                          第1回タイ総会で友を激励する池田先生(1994年2月6日)

翌7日には、タマサート大学での「世界の少年少女絵画展」で

ガラヤニ王女を案内し、同展を鑑賞。

8日には、プーミポン国王と3度目の会見を行った。

完成間もないタイ本部に池田先生を迎え、友の歓呼は天を突くかのようだった。

タイへの訪問は、2年ぶり6度目。1994年2月6日、タイ本部に到着した先生ご夫妻を、民族衣装に身を包ん

だ未来部員が歓迎した。

「インディー・トーンラップ、センセイ!(タイ語で「ようこそ先生!」)」

この時、先生にジャスミンの花飾りをプレゼントしたのが、タウィーサック・ワッタナスッティポンさん(男子部

総合本部長)。

「先生は一人一人に声を掛けられ、『お父さん、お母さんの気持ちが分かる、いい子になるんだよ。勉強も頑張っ

てね』と励ましてくださいました」

当時、タウィーサックさんは9歳。病弱で毎月のように入退院を繰り返し、この時も退院した直後だった。

治療が功を奏して健康を取り戻すも、アジア通貨危機(97年)の影響で、印刷会社を営んでいたタウィーサック

さんの一家は多額の負債を抱えてしまう。

地区部長・地区婦人部長として奮闘していた両親は、「これが私たちの宿命だ。家族一丸となって必ず転換するん

だ」。昼夜を分かたず、家族の誰かが御本尊の前に座り続けた。

工場を閉鎖し、首都バンコクから郊外へ。学校の授業を終えたタウィーサックさんらも仕事を手伝った。顧客と誠

実に接する中で、危機を脱した。

アメリカの大学院を卒業したタウィーサックさんは、印刷会社で営業を担当。バンコクで男子部本部長として拡大

の指揮を執った。

タイではバンコクのリーダーが週末に地方に赴き、広布の原動力となってきた。タウィーサックさんも仕事を終え

た金曜の夜に、片道12時間かけてタイ南部のプーケットへ。

苦しい生活ではあったが、交通費を工面して激励に駆けた。「御本尊には、不可能を可能にする力がある!」――

友への訴えに呼応するかのように、タウィーサックさんの営業成績も伸び、今は毎週、飛行機で南部に通う。

現在、プーケットでは約300人の男子部員が活動に励んでいる。

「自分の将来を信じてくださった池田先生に恩返しがしたい――その一念で広宣流布に生き切ろうとしたからこそ、

ここまで変われたんだと思います」

家族で印刷会社を経営する傍ら、韓国かき氷(ピンス)の専門店も営むタウィーサックさん。全国創価班・牙城会

副委員長としても尽力し、明年の「11・18」へ、「使命を自覚した青年部5万の陣列を目指したい」と決意を

みなぎらせる。

永遠に所願満足の境涯で

「偽物の幸福は人を図に乗らせ、醜く高慢にしてしまう。真実の幸福は人を歓喜させ、知恵と慈悲で満たしていく」

――第1回タイ総会(94年2月6日)の席上、池田先生は、タイに伝わることわざを通して語った。

「人と比較してどうとか、また時と共に消え去るような、はかない幻の幸福ではない。どんな時でも、『生きてい

ること自体が楽しい』という境涯を開いていくのです」

総会にはタイ全土から同志が喜び集った。東北部のウボンラーチャターニーから駆け付けたサワコン・タンカワニ

ットさん(支部副婦人部長)とサワラック・タンカワニットさん(同)姉妹は、母と一緒に会場の中ほどに座って

いた。

「母は糖尿病を患っていたため、視力が低下していました。先生の姿が何とか母に見えるように、胸中でずっと祈

っていたんです」

会場中央の入り口から入場した先生は、参加者をねぎらいながら壇上へ。その途中、タンカワニットさん一家の前

で立ち止まり、3人と握手を交わしてくれた。

「もう、うれしくて、うれしくて。”いつも見守っているよ”。そう言ってくださっているようでした。握手しても

らった手を、3人で思わず重ねました」

タンカワニットさん一家にとって、この日は、数々の困難を乗り越えて迎えた”勝利の総会”だった。

知人に貯蓄をだまし取られ、経済苦を打開するために、一家で信心を始めた。借金取りは、姉妹の絵本すら残さず、

根こそぎ家財を持っていった。

荒れ果てた家を補修する費用もなく、雨漏りするたびに、違う場所で身を寄せ合った。

「食べ物がなく、いつもおなかをすかせていました。地区の会合に参加した母が、仏壇にお供えしてある果物をも

らってきてくれ、皆で分け合って食べたことを覚えています」

家業の鉄工所を皆でもり立て、姉妹は共に女子部のリーダーとして奔走。治療費が支払えず、悪化するばかりだっ

た母の糖尿病も改善させ、多くの実証を示すことができた。

「池田先生は、人類全体の幸福のために、今日も希望を広げられています。私たちもそうなりたい」と、姉妹は声

をそろえる。

94年当時、1000世帯ほどだったタイ東北部のメンバーは、実に40倍の規模に発展。タイ広布を力強くリー

ドしている。

 ― ◇ ―

喜びの舞と歌声が広がったタイ総会。伝統舞踊が披露されると、池田先生は出演者と共に太鼓を打ち鳴らし、鼓笛

隊の演奏には三色旗を振って応えた。

ニパーポーン・ルートアモーンパットさん(支部副婦人部長)は鼓笛隊として師との原点を刻んだ。

名門のチュラロンコン大学に進学したが、卒業を間近にして、家族が営んでいた会社が詐欺に遭い、多額の借金を

背負ってしまう。

さらに、父が病で他界。催促の電話が鳴りやまず、ニパーポーンさんは心身をすり減らした。「宿命が一気に押し

寄せてきたようでした。出口が見えず、このまま目が覚めなければと、何度思ったか分かりません」

地域の同志が、共に題目をあげては励ましてくれた。「何があっても見捨てない創価家族の温かさを感じました。

宿命に立ち向かう勇気が湧きました」

厳しい姿勢を崩さなかった債権者が裁判を取り下げるなど、活路が見え始めた。資産の売却が好条件で進み、返済

のめどを立てることができた。

2007年9月、日本でのSGI青年研修会に参加し、ニパーポーンさんは日本語の通訳を志す。とともに、犯罪

に苦しんだ経験から、学んだ知識をより良い社会のために使う子どもたちを育成することを誓った。

2011年に創価大学の別科に進学。家業の経済も安定し、自力で学費をまかなうことができた。その後、創大大

学院で教育学を専攻。母国に戻るたび、創大の教育環境の素晴らしさを伝え、これまで後輩15人が創大に進んで

いる。

帰国後、中学校の教員として教壇に立つニパーポーンさん。次代を担う子どもたちの幸福を願い、保育園の開設な

どにも力を注ぐ。

1994年の総会で池田先生は、タイの国名には「自由」という意義があることに触れ、こう呼び掛けている。

「仏法こそ、真の『永遠の自由』を勝ち取る大法である。生命は永遠であり、永遠に楽しみきって生きていける境

涯になるのが、この信心なのである」

「どんなに苦しくても、今世を広宣流布に生き抜いて、一生成仏することである。そうすれば、必ず『所願満足』

の自分自身となる。未来永遠にわたって、『自在』の自分となる」

先生の94年の訪問から23年。当時、2万人だった同志は、今や17万人の連帯となった。

一瞬の出会いに真心を尽くす師と、出会いの意味を人生を懸けて深めゆく弟子――この師弟の絆によって織り成さ

れた幾筋もの希望の軌跡が、微笑みの国に輝いている。

 


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