• ただいま、Word Press 猛烈習熟訓練中!!
Pocket

暁鐘 六十六

心が定まれば、生き方の軸ができる。その一人が組織の軸となって、広宣流布の歯車は

回転を始めていく。

山本伸一は、さらに、テルコ・イズミヤの夫のヒロシのことに触れ、こう語った。

「ご主人には、信仰を押しつけるようなことを言うのではなく、良き妻となって、幸せな

家庭を築くことです。信心のすばらしさを示すのは、妻として、人間としての、あなたの

振る舞い、生き方です。一家の和楽を願い、聡明に、誠実に、ご主人に接していくならば、

必ず信心する日がくるでしょう」

この指導を、テルコ・イズミヤは、全身で受けとめた。彼女は、カナダ国籍も取り、美し

き紅葉と人華のカナダの大地に骨を埋める覚悟を決めた。どんなに、悲しい時も、辛い時

も、夫に愚痴をこぼしたりすることはなかった。すべてを胸におさめ、苦しい時には御本

尊に向かい、ひたすら唱題した。

妻として家庭を守り、母として三人の子どもを育てながら、明るく、はつらつとカナダ広

布の道を切り開いてきた。弘教の輪も着実に広がっていった。

夫のヒロシが、信心することを決意したのは、一九八〇年(昭和五十五年)三月のことで

ある。テルコは夫に、「一緒に信心に励み、あなたと共に幸せになりたい」と、諄々と夜

更けまで話した。ちょうど彼は、大好きだった姉二人が、相次ぎ病で他界したことから、

宿命という難問と向き合っていた時であった。戦争によって、少年期に収容所生活を強い

られたことにも、思いを巡らした。

自身の力では、いかんともしがたいと思える不条理な事態に遭遇する時、人は、それを

「運命」や「宿命」と呼び、超越的な働きによるものなどとしてきた。仏法は、生命の因

果の法則によって、その原因を究明し、転換の道を説き明かしている。

妻に遅れること十八年、夫は創価の道を行くことを決めたのである。この夜、夫婦で初め

て勤行をした。外は大雪であった。部屋は歓喜に包まれ、テルコの頰を熱い涙が濡らした。

 

 

暁鐘 六十七

 一九八〇年(昭和五十五年)の十月、山本伸一は、北米指導でカナダを訪問する予定で

あった。しかし、シカゴの空港を発つ直前にエンジントラブルがあり、訪問を中止せざる

を得なかった。皆が待っていてくれたことを思うと、心が痛んだ。この時、伸一は、議長

のテルコ・イズミヤに和歌を贈った。

  「忘れまじ カナダの天地に 君立ちて

     広布の夜明けは ついに来りぬ」

また、訪問先のロサンゼルスにカナダの代表を招いて、語らいの機会をもった。そのなか

にテルコ・イズミヤと共に、夫のヒロシ・イズミヤの姿もあった。温厚な、端正な顔立ち

の紳士である。伸一と同じ年齢であるという。

伸一は、固い握手を交わしながら、彼が信心したことを心から祝福し、二人で記念のカメ

ラに納まった。夫の横顔を見るテルコの瞳には、涙が光っていた。

――以来八カ月、伸一のカナダ訪問が実現し、今、イズミヤ夫妻は、一行をトロント国際

空港に迎えたのである。

このカナダ滞在中、伸一は、ヒロシ・イズミヤと一緒に行動するように努めた。カナダの

法人の運営面を担う理事長である彼には、メンバーを守り抜く精神をよく学んで、身につ

けてほしかったのである。

また、組織の中心者として広布の道を切り開いてきた議長のテルコに、伸一は言った。

「ご主人の協力がなかったら、ここまでこられなかったでしょう。カナダの組織が大きく

発展できたのは、ご主人のおかげですよ」

人は、物事が成功した時には、ともすれば自分の力であると思いがちである。しかし、

成功の陰には、必ず、多くの人の尽力があるものだ。常に、そのことを忘れず、謙虚に、

皆に感謝の心をもって生きることができてこそ、常勝のリーダーとなり得るのである。

伸一のカナダ訪問二日目となる二十二日、トロント市内のホテルの大ホールで、約千人

の同志が参加し、カナダ広布二十周年記念総会が盛大に行われた。それは、新世紀への、

希望あふれる新しき出発の集いとなった。

 

 

暁鐘 六十八

カナダ広布二十周年記念総会に出席した山本伸一は、約二十一年ぶりにカナダを訪問でき

た喜びを語るとともに、初訪問の思い出に触れながら、一人立つことの大切さを訴えた。

「『0』に、いくら多くの数字を掛けても『0』である。しかし、『1』であれば、そこ

から、無限に発展していく。このカナダ広布の歴史は、イズミヤ議長が、敢然と広宣流布

に立ち上がったところから大伸展を遂げ、今や約千人もの同志が集うまでになった。

すべては一人から始まる。その一人が、人びとに妙法という幸福の法理を教え伝え、自分

を凌ぐ師子へと育て上げ、人材の陣列を創っていく――これが地涌の義であります。

こうした御書の仰せを、一つ一つ現実のものとしていくことこそ、私ども創価学会の使命

であり、それによって、御書を身で拝することができるのであります」

ここで伸一は、今回、ソ連をはじめとする訪問国で、政府要人や有識者と会談を重ねてき

たことを述べた。

「そこでは、人類にとって平和こそが最も大切であることを訴え続けてきました。

万人が等しく『仏』の生命を具えていると説く仏法こそ、生命尊厳を裏づける哲理であり、

平和思想の根幹をなすものです。また、そこには、他者への寛容と慈悲の精神が脈動して

います。

その思想は、戦争を賛美し、民衆を隷属させて、死に駆り立てる勢力とは、原理的に対決

せざるを得ない。ゆえに学会は、戦時中、国家神道を精神の支柱に戦争を遂行する軍部政

府から、弾圧を受けたんです。

私は、政治家でも、外交官でも、また、経済人でもありません。しかし、平凡な一市民と

して、一個の人間として、仏法を根底に、平和実現のために対話を続けています。

それは、人間は等しく尊厳無比なる存在であると説く仏法の精神を、あらゆる国の人びと

が共有し合い、国境を超えた友情の連帯を強めていくことこそ、最も確実なる平和への道

であると確信するからです」

 

 

暁鐘 六十九

 根が深く、しっかりしていてこそ、枝や葉も茂る。平和運動も同じである。多くの人が

平和を願い、平和を叫びはする。しかし、根となる哲理なき運動ははかない。私たち創価

学会の平和運動には、生命の尊厳を説き明かした、仏法という偉大なる哲理の根がある。

人間一人ひとりを「仏」ととらえる仏法の法理に立てば、絶対に人の生命を、生存の権利

を奪うことなどできない。また、イデオロギーも、民族も、国家も、宗教も超えて、万人

が平等に、尊厳無比なる存在であることを説く仏法の視点には、他者への蔑視や差別はな

い。さらに、慈悲を教える仏法には、いかなる差異に対しても排他性はない。

この生命尊厳の法理を、つまり、妙法という平和の種子を、人びとの心田に植え続けてい

くことこそが広宣流布の実践であり、それが、そのまま世界平和の基盤になることを、

山本伸一は強く確信し、実感していた。

次いで彼は、人生の目的とは真の意味で幸福になることであり、それには「死」という問

題を解決することが不可欠であると述べた。

この大問題を根本的に解決し、生命の永遠と因果の理法を説き明かしたのが日蓮大聖人の

仏法である。その仏法に立脚してこそ、不動なる人生観を確立し、困難を乗り越える智慧

と力を涌現させ、絶対的幸福境涯を開いていくことができるのである。

伸一は、この日を起点に、さらに新たな二十年をめざしつつ、清らかな、麗しい創価家族

として、所願満足の人生を送っていただきたいと望み、話を結んだ。

総会の最後は、愛唱歌の合唱である。二十人の鼓笛隊が壇上に進み、演奏を開始した。

メンバーは、バンクーバーやカルガリー、モントリオールなどからも参加しており、全カ

ナダの鼓笛の友の演奏は、これが初披露となった。その中心者は、イズミヤ夫妻の長女カ

レンであった。新しい世代が育っていた。

場内の同志は、総立ちとなり、肩が組まれた。

スクラムは大波となって、右に左に揺れた。歌声は歓喜の潮騒となって轟いた。

 

 

暁鐘 七十

 二十三日、トロント郊外にあるカレドンに千人余のメンバーが集い、日本の親善交流団

との文化交歓会が、晴れやかに開催された。

会場は、木々に囲まれた丘で、冬はスキー場になるという。ゲレンデの緑が、太陽の光に

映えてまばゆかった。

文化交歓会は、ガーデンパーティー形式で、昼食をとりながら行われた。

やがて、カナダの少年・少女部の合唱で、ミニ文化祭の幕が開いた。日本の交流団は、

「厚田村」や中部の「この道の歌」の合唱、「さくら変奏曲」や、「武田節」の舞などを

披露。カナダの友は、ケベックのフォークダンスや、音楽家メンバーによる「森ケ崎海岸」

の演奏、婦人部による「広布に走れ」の合唱など、熱演、熱唱を繰り広げた。

あいさつに立った山本伸一は、「見事な合唱、芸術の薫り高い演奏、真心のダンスなど、

夢のひと時をすごすことができました」と感謝の思いを述べた。そして、将来、カナダ文

化会館を建設してはどうかと提案するとともに、この千人の同志が太陽の存在となって、

地域に貢献しつつ、洋々たるカナダ広布の未来を開いてほしいと期待を寄せた。

この日、伸一は、ミニ文化祭の前後に、多くのメンバーに声をかけ、激励を重ねた。会場

を提供してくれたスキー場の支配人にも、御礼のあいさつをした。

対話することは、仏縁を広げることだ。

この支配人の継母はメンバーで、伸一が一九六四年(昭和三十九年)にイランのテヘラン

を訪問した折、激励した婦人であった。

――テヘランで伸一たちは、中華料理店のマネジャーをしている太田美樹という学会員の

婦人を店に訪ねた。ところが、オーナーの話では、契約が切れたので既に店を辞め、今、

旅行中とのことであった。

その時、イラン人の従業員が、伸一の顔を見て「オーッ!」と声をあげ、店の奥から写真

誌を持ってきた。『聖教グラフ』であった。ページを開き、伸一の写真を指差し、「ミス

ター・ヤマモト!」と言って微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください