2017年11月7日
日蓮大聖人は、真心の御供養をお届けした多くの門下に対して、「御心ざし申しつくしがたく候」(御書1464
ページ)等と、その尊い心を最大に称賛されています。ここでは、御書の一節や仏教説話を通して、御供養の精神
について学びます。
『此の大王の過去をたづぬれば仏の在世に徳勝童子・無勝童子とて二人のをさなき人あり、土の餅を仏に供養し
給いて一百年の内に大王と生まれたり』
(上野殿御返事、御書1544ページ)
日蓮大聖人の御消息文の多くに、門下から届けられた御供養に対する返礼が認められています。
「上野殿御返事」(御書1554ページ)では、しら芋や串柿、焼米や栗などを御供養した南条時光に対して、
インドのアショーカ大王の出生にまつわる伝承をつづられ、時光の信心をたたえられています。
「ショーカ大王の過去をたずねると、仏の在世に徳勝童子と無勝童子という2人の幼子がいましたが、(この童子
が)土の餅を仏に供養して、その功徳によって100年のうちにアショーカ大王として生まれたのです」(同通解)
もちろん、土の餅は食べられません。しかし、その純粋な真心が福徳の因となって、仏法に基づき慈悲の精神あふ
れる政治を実行した偉大な王として生まれたのです。
時光と、このやりとりがあった建治年間は、再び蒙古が襲来する恐れや疫病の流行などで、社会全体が騒然として
いました。また、大聖人門下への迫害も強まっていた時期です。
そうした大変な状況にもかかわたず、時光は、”何としても大聖人を支える力になりたい”と、赤誠の志を貫きまし
た。大聖人は、何よりもその純真な信心を尊重されたのです。
本抄以外にも、冒頭に受け取った品の名称を列され、「今に始めぬ御志申し尽しがたく候へば法華経・釈迦仏に任
せ奉り候」(同1388ページ)、「ねんごろの御心ざしは・しなじなのものに・あらはれ候いぬ」(同1529
ページ)等、門下への感謝の言葉から書き起こされたお手紙は数多くあります。
師を思う弟子の尊い志に真心で応えられた大聖人。御供養の根本はどこまでも「志」であり、純粋な真心こそが大
切です。
『よきたねをあしき田にうえぬれば・たねだにもなき上かへりて損となる、まことの心なれども供養せらるる人
だにも・あしければ功徳とならず、かへりて悪道におつる事候』
(窪尼御前御返事、御書1486ページ)
供養する際に大事なことは、その相手が誰であるかという点です。
道連大聖人は、「良い種を悪い田に植えると種がだめになるうえ、かえって自分が損をします。
たとえ真心ですることであっても、供養される人が悪ければ功徳とはならず、かえって悪道に堕ちてしまうのです」
(御書14861ページ、通解)と、分かりやすい譬えを用いて、供養する相手の正邪を見極める重要性を教えら
れています。
「法華経の御かたきをば大慈大悲の菩薩も供養すれば必ず無間地獄に堕つ」(同1133ページ)、「まことなら
ぬ事を供養すれば大悪とは・なれども善とならず」(同1595ページ)等、大聖人は御書の随所で「法華経の敵」
への供養を厳しく戒められました。
正法を誹謗し、広宣流布を阻もうとする「法華経の敵」に供養すれば、自らも「法華経の敵」に連なり、悪業を積
んでしまうことになるからです。
今日、大聖人の御遺命である広宣流布を忘れ、腐敗堕落を極めているのが日顕宗です。
広布破壊の大罪を犯し、権威で信徒を隷属させ、供養を搾り取って遊蕩三昧にふける姿は、御書に仰せの「法師の
皮を着たる畜生」(同1386ページ)そのものです。
大聖人は「立正安国論」の中で、謗法の悪侶に対しては「その施を止む」(同30ページ)と御教示されています。
「法主信仰」をはじめ、御書のどこにも説かれていない邪義を振りかざす日顕宗を絶対に許してはなりません。
広布の前進を阻む謗法に対しては、「布施を止める」ことこそ、日蓮仏法の本義にかなった実践なのです。
『ひとつのかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。この功徳は父母・祖父母・乃至無辺の
衆生にも・をよぼしてん』
(さじき女房御返事、御書1231ページ)
建治元年(1275年)の夏、さじき女房が日蓮大聖人に1枚の帷(かたびら)をお届けしました。「帷」とは、
裏地の付いていない、麻で編んだ単衣の着物のことであり、夏の着物の一種です。
”大聖人に少しでも快適に過ごしていただきたい”――こうしたさじき女房の心遣いを、大聖人は、1枚の帷から深
く感じ取られたに違いありません。
返礼である「さじき女房御返事」において、「1枚の帷ではあるが、法華経の一切の文字の仏に供養したことにな
るのです」(御書1231ページ、通解)と功徳の大きさを述べられ、さらに「この功徳は、あなたの父母、祖父
母、さらに、実に多くの衆生にも及ぶことは間違いありません」(同ページ、通解)と、たたえられています。
他にも、御供養の誠を尽くす功徳の大きさについて、大聖人は諸御書で言及されています。
「妙密上人御消息」では、大聖人が法華経の題目を弘められているこをと踏まえた上で、「便りのたびに銭5貫文
の御供養を送ってくださるあなたの真心は、日本国の法華経の題目を弘めている人に相当します。国中の多くの人
々が題目を唱えるならば、思いがけなくも、その功徳があなたの身に集まることでしょう。その功徳は、大海が露
を集め、須弥山が塵を積むようなものです」(同1241ページ、趣旨)と述べられています。
現在、大聖人の御遺命である世界広宣流布を現実の上で進めているのは、創価学会以外にありません。仏意仏勅の
創価学会と共に前進することは、一切衆生の幸福を実現していく最高の実戦であるがゆえに、そこには、計り知れ
ない大功徳が輝き渡ります。
仏典には、須達という長者(富豪)による祇園精舎の供養の話が出てきます。須達は、釈尊在世に舎衛城におり、
波斯匿王(はしのくおう)の大臣であったとされます。情け深く、貧しい者や孤独の人に衣食を施したので、給
孤独(きっこどく)長者とも呼ばれました。その須達に、こんなエピソードがあります。
須達と妻が、貧しい生活を送っていた頃の話です。須達の外出中、彼の家に仏弟子たちが次々と托鉢(たくはつ)
にやってきました。須達の妻は、そのたびに、家にあったわずかな飯を供養しました。しばらくすると、今度は
釈尊が托鉢にやってきます。彼女は喜んで、残っていた飯を全て供養しました。
その後、帰宅した須達に妻は話しました。
「実は今日、釈尊のお弟子の方々、そして釈尊ご自身が托鉢に来られたのです。私はうれしくなり、あなたが苦
労して手に入れた食べ物を、全て供養してしまいました」
須達は微笑を浮かべて言いました。
「本当によいことをしてくれた。これで、私たちの罪業も消え、きっと幸福になるだろう」
この供養の功徳によって、須達は後に大長者になりました。
見返りを求めず、法のために喜んで財物を施す——こうした行為を、仏法では「喜捨(きしゃ)」といいます。
その根本にあるのは、仏法に巡り合えたことへの歓喜や感謝の心ともいえるでしょう。喜びに満ちた心で行う供
養によって財物への執着から離れることができ、自らの心を清浄に、豊かにしていけるのです。
池田先生はつづりました。
「喜捨の心は、境涯を高め、無量の功徳をもたらし、それがまた、信心の確信を深める。そこに、幸福の軌道を
確立する、仏法の方程式がある」
”広宣流布のために”と献身する歓喜の信心があればこそ、広大な功徳善根が積まれゆくことを、須達長者のエピ
ソードから学ぶことができます。
学会が推進する供養、財務は、すべて日蓮大聖人の御遺命である広宣流のためのものである。大聖人の立てられ
た大願を成就するために行う供養は、御本仏への供養に通じよう。ならば、これに勝る供養もなければ、大善も
ない。ゆえに、これに勝る大功徳もないはずである。そう思うと、伸一自身、一人の学会員として、その機会に
巡り合えたことに、無量の福運と喜びを感じるのであった。
この御書(衆生身心御書)では、最後に、身延の山中に供養の品々を送った一人の門下の志を讃えられて、次の
ように述べられている。
「福田によきたねを下させ給うか、なみだもとどまらず」(御書1596ページ)
<福田に、すばらしい善根の種を蒔かれたのか。厚い志に涙もとまらない>
広宣流布に尽くすことは、福田に善根の種を蒔くことである――それは、伸一が青春時代から、強く確信してき
たことでもあった。(小説『新・人間革命』第4巻「凱旋」の章)
◇ ◆ ◇
大聖人の御在世当時も、広宣流布の陣列に名前を連ねた、数々の在家の門下たちがいた。
大聖人をお慕いする門下たちは、大聖人がいらっしゃる佐渡や身延にまで、遠く危険な道のりを歩みぬいていった。
そのなかには、幼子を連れた女性もいた。かなりの年配の方もいた。
大聖人のもとにお届した御供養の品も、一生懸命に節約して用意したものであろう。
こうした門下の”広宣流布の志”を、大聖人は心から賛嘆された。
”ありがとう、本当にありがとう” ”こんなところまで、よくきてくださいました”と深い深い感謝の心で包んでい
かれたのである。(『池田大作全集』第99巻所収、第55回本部幹部会でのスピーチ)