〈明日を求めて 池田先生の対話録Ⅱ〉
2017年11月3日
リサール殉難の地のすぐ近くに立つ「ホセ・リサールの像」を
訪れた池田先生。
キアンバオ氏㊧に導かれ、像に花輪をささげた。先生は語った。
「ここは世界の“平和の英雄”の原点の地です。聖地です。
英雄の偉大さを、私は大きく世界に宣揚してまいります」
(1998年2月8日、マニラで)
「先生、お久しぶりです!」
目を輝かせたキアンバオ氏が、うれしそうに池田先生のもとへ。2008年
10月11日、創価大学で行われた、先生への市立マニラ大学「名誉人文学博士号」の授与式に、氏が出席した折
のこと。
先生は遠来の労に感謝し、「いつまでも健康で、長生きで!私は貴殿を『英雄』とたたえます!」。
2年ぶりの再会。フィリピンと日本で、会見は10度を超えていた。そのたびに、フィリピンの国民的英雄リサー
ルの生涯などを巡り、語らいは尽きなかった。
氏は先生を、敬愛の念を込めて「センセイ」と呼ぶ。
「池田先生は、リサールだけでなく、世界のあらゆることについて豊富な知識をお持ちです。私は先生の”弟子”と
思っています」
先生もまた、氏のことを「私たちの永遠の兄弟です。永遠の同志です」と。
初会見は1996年11月8日。リサールの没後100年の年であった。氏は自らが会長を務める「リサール協会」
の最高栄誉である「リサール大十字勲章」を、先生に贈るために来日した。
東京牧口記念会館に氏を迎えた先生は、リサールにささげる自作の長編詩「暁の光を のぞみて」を手渡した。
そして会見を終えると、先生は氏が乗り込む車のドアを自ら開けて、丁重に見送った。
当時のことを、氏は「たくさんの指導者にお会いしましたが、ここまでする指導者はいませんでした」と、感慨深
く回想した。
◇
ホセ・リサール。フィリピンでその名を知らない人はいない。
作家や詩人としてのみならず、哲学者、教育者、医学者、農学者等としても活躍し、20以上の言語に通じた。
300年以上続いていたフィリピンの植民地状態に、彼は「ペンの力」で立ち向かった。
「私は民衆を深い眠りから目覚めさせたい」(『暁よ紅に』)
「知恵と心を表現する一番効果的な手段はペンである」(同)
この熱烈な信念で、長編小説『ノリ・メ・タンヘレ(我に触れるな)』『エル・フィリブステリスモ(反逆・暴力・
革命)』等を著し、忍従を強いられた祖国の姿を克明に描いていく。
政府当局は彼を危険視し、”反乱を煽動する者”として逮捕、流刑にした。そして1896年、彼を革命の「首謀者」
と決め付け、35歳の若さで死刑に処した。
銃弾は、リサールの命を奪ったが、その精神を消し去ることはできなかった。彼の死は、正義を求める民衆の感情
を沸き立たせた。フィリピンが独立を宣言したのは、その2年後であった。
民衆愛を貫いた”独立の父”の魂は、今なお人々の胸の内に生きている。
フィリピンには、彼の名を冠する団体が多くある。中でも大きな影響力を持つのが、1911年に設立されたリサ
ール協会である。
リサールの行動と理念を、世界に伝えることを使命とするリサール協会。96年から4年間、同協会会長を務めた
キアンバオ氏は、学生時代にリサールの本を読み、その人生を本格的に学び始めた。
リサールの精神を体現する人物を宣揚することが、彼の心を現代によみがえらせることになる――
氏が先生との友情を大切にし、同協会からの栄誉をもってたたえ続けてきた理由も、そこにあるといえよう。
2度目の出会いは、98年2月8日だった。殉難の地にあるマニラのリサール公園を訪れた先生を、氏が迎えた。
同公園には、「ホセ・リサールの像」がある。軍楽隊の演奏が響く中、氏に導かれて、先生はゆっくりと歩み、
像に献花した。
この訪問の折、リサール協会の「リサール国際平和賞」の授賞式がフィリピン国際会議場で行われ、第1号とな
る同賞が、ラモス大統領から先生に贈られた。
キアンバオ氏は述べた。
「(池田先生は)文化と教育の力で、人々を結び、平和を築こうと行動されている――これは、フィリピンの国
家英雄リサール博士の行動と完全に一致します」
真心に深く感謝しつつ、先生はこう語った。「世界に、『戦争の英雄』の像は多い。しかし『平和の英雄』『人
道の英雄』を顕彰する像は、あまりにも少ない。だからこそ私は、リサール博士の精神を、全世界に広め、新世
紀へ受け継いでいくことが、『平和』と『人道』の拡大につながると確信するものであります」
◇
この言葉通りに、先生は折に触れ、リサールの生涯や言葉を通して、全世界の友を励ましてきた。
そして2人の友情は、初会見から20年以上が経った今も、年を重ねるごとに輝きを増す。
”未来に平和の「種」をまきましょう!”――そう約し合った二人にとっての喜びは、海を超えて育まれる青年同
士の絆であろう。
創大では現在、国立フィリピン大学をはじめ、フィリピンの8大学と教育交流を進めている。
氏も毎年のように、先生の誕生日である1月2日には、近隣の子どもたちや創大からの留学生らを自宅に招き、
”友情の集い”を行うなど、未来を担う若人の成長を見守り続ける。
国民の幸福のために生き抜いたリサール――殉難を覚悟していた頃、彼はこうつづり残した。
「私は、自分の歩んできた道を後悔していない。もし、いままた一から始めたとしても、私は同じことをするだ
ろう。なぜならば、それが私の使命だからである」
二人が深く願うのも、こうした平和と正義の精神を継ぎ、自らの使命の舞台に羽ばたく人材が、陸続と躍り出る
ことである。
ロヘリオ・キアンバオ 1940年、フィリピン・マニラ生まれ。 イースト大学法学部修士課程修了。ケソン市やマニラでバランガイ(日本の「村」にあたる最小の行政単位) 代表会議議長を歴任。バランガイを代表して国会議員も務めた。 96年から4年間、ホセ・リサールの精神を継承し宣揚する「リサール協会」の会長を務め、現在も国内外 で活動している。同協会からの池田先生に「リサール大十字勲章」「国際平和賞」「国際青年平和賞」等が 贈られている。