• ただいま、Word Press 猛烈習熟訓練中!!
Pocket

〈明日を求めて 池田先生の対話録Ⅱ〉

 

アメリカの細菌学者 ルネ・デュボス博士

20171028

 

 池田先生との出会いを喜び、握手を交わすルネ・デュボス博士。

  会見は、来日中の博士からの要望で、急きょ実現した

     (1973年11月28日、東京の聖教新聞本社で)

  後日、博士は「池田先生は宇宙的、地球的にものごとを考え、

  そして、個人的、地域的に行動、実践されている方だ」と、

  感慨深く語っていたという

 

細菌学の権威として名高い米国のルネ・デュボス博士夫妻が、

東京の聖教新聞本社を訪問したのは1973年11月28日、師走の訪れを感じさせる寒夜だった。

前月に勃発した第4次中東戦争によって、世界が石油危機の不安に覆われていた時期である。

米国の名門ロックフェラー大学の医学研究所教授を務めた博士。

世界を一新させた抗生物質の先駆的研究者であり、人間と自然環境の調和を鋭く主張した碩学としても知られる。

著書に『人間であるために』が69年度ピュリツァー賞に輝くなど、その社会的活動に注目が集まっていた。

73年の来日はNHKの招へいによるもので、同局では「ルネ・デュボスの思想」と題するシリーズ番組が放映

されている。日本での多忙な行程の中、博士は池田先生との会見を切望した。

だが、両者の出会いを最も待ち望んでいた人物こそ、英国の歴史学者アーノルド・J・トインビー博士だったで

あろう。

会見に先立つこと半年前(73年5月19日)、トインビー博士から先生に1枚のメモが託された。2年越しに

及んだトインビー・池田対談の終了直後のことである。

「お忙しいでしょうが、お会いしていただいても、決して時間の無駄にはならない私の友人の名を記しておきま

した」「あなたが、世界に対話の旋風を巻き起こしていくことを、私は、強く念願しています」メモには7人の

世界的な学識者の名が書かれてあった。その一人が、デュボス博士だったのである。

  ◇

夜の帳に聖教新聞本社が包まれた午後8時ごろ、デュボス博士と先生の会談は始まった。

72歳の博士は、旅の疲れを感じさせない血色の良い笑みをたたえていた。ゆっくりとした手ぶりを交えつつ、

「精神においては、すっかり日本人になりました」と、滞在した京都の印象などを楽しそうに語った。

話題が教育論に移ると、博士の表情は曇った。「現今の大学教育は、機構があまりに物質的で、人間的環境に欠

けている。自分がいかに生きるかの認識を学生に与えていないのです」

ゆえに、博士は、当時開学まもない創価大学が「人間教育の最高学府」を標榜している点や、先生が語る人間教

育の構想について、深い共感と期待を寄せた。

「青年へのメッセージを」との先生の要請に応え、博士は16世紀のフランスの文人ラブレーの箴言として「ま

ず最初に何になりたいのか、何でありたいのかを明確に決めよ。そうすれば他は天より授けられるであろう」を

挙げ、こう付言した。「しかし、授けられた可能性の中から正しく選択するのは、その人自身の問題です」

人生は「選択」の連続だ。進む道を決めるのは自分自身であり、その選択が「未来」を変える。ゆえに、「いか

に生きるか」の価値基準をもつことが重要になる。

「人間は、人間性を向上させる進歩した選択を通して自分自身をつくりあげるのである」(「人間であるために」)。

これが、博士の揺るがぬ信条であった。

限りない可能性を秘めた未来に眼を開き、人間の利己的な利害を超えた新しい世界をいかにして創造していくか。

博士は未来の運命を変えうる人間の力を信じた。

「人間の将来というものは、どうしても避けられない宿命に結びつけられているわけではない」

「人間と、その住む環境に起こる事柄は、かなりの程度まで人間の想像力と意志の力によって条件づけられている」

そして、科学が社会にもたらす最大の貢献とは、人類に宇宙と人間の本性についての知識を与えるとともに、人間

が自らの運命を決め、目標に達する最良の方法を学び取れるよう助けることであると確信していたのである。

博士が、世界的に有名な標語「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー(地球的に考え、地域で行動する)」

を発案し、地球環境の保護に心血を注いだことも、こうした信念を源とする。

いかにして環境問題を解決に導くか。博士は以前から、その方途として”人間性の回復”を強調してきた。

人間が「自然の征服」という考えにとらわれている限り、世界の変革はない。真の変革のためには、自然と人間と

を調和させる「新しい社会的宗教」が必要である——と。先生との会見でも、博士は”偉大な未来宗教の出現こそ

人類の危機を救う唯一の鍵である”との信念を語っている。

先生は、生命(正報)と環境(依報)は不可分と説く、「依正不二」の原理を紹介し、トインビー博士とも一致を

みた論題について、博士にこう語った。

「仏法は中道主義です。中道とは人間主義であり、生命主義であります。21世紀は『生命の世紀』としていかな

ければなりません」

デュボス博士は温顔をほころばせ、深くうなずいた。

  ◇

会談の2ケ月後、先生のもとに博士から新著『内なる神』が届けられた。本の扉には、博士のサインとともに、

先生へのメッセージがしたためられていた。「本書の最後の一行に『ものごとのなりゆきは運命ではない』とある

のは、私が日蓮仏法の教理を人文主義的、科学的に表現したものです」

さらに、添えられた手紙には、「本書の精神は”人間革命”というあなたの思想と、必ずや一致するものと思う」と

記されていた。

人類の変革は運命をも超越し、自然との調和と人類の真の繁栄をもたらす——両者が共有した理想の未来は、一朝

一夕に築かれるものではない。

博士はつづっている。

「個々の人間の力が限られており、その貢献がささやかであり。その生きた期間が短いものであっても、私たちの

努力は決して無駄ではない。なぜなら、リレー競争のなかの走者のように、私たちは生命の灯を次々と手渡してゆ

くからである」(『生命の灯』)

いかに社会が混沌とし、先の見えない時代になったとしても、理想の世界の実現を目指して、わが信念の灯火を次

代へとつなげゆく勇者の力走がある限り、未来は、必ず開けていく。

 

ルネ・デュボス

1901年2月20日、フランス生まれ。

38年にアメリカに帰化。ロックフェラー大学教授、ハーバード大学教授、ニューヨ0ク州立大学教授

アメリカ細胞学会会長等を歴任。「抗生物質時代」を築いた碩学として知られ、「細菌生態学」の分野などで

数多くの業績を挙げた。

医学者、文明批評家、環境学者などとしても活躍。

『健康という幻想』(田多井吉之介訳、紀伊国屋書店)、『人間と適応』(木原弘二訳、みすず書房)など邦訳され

た著書も多数。『人間であるために』は69年度のピュリツァーを受賞した。1982年2月20日、81歳で死去。

 

 

 

 

 

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください