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〈誓いの天地〉 静岡・掛川市

20171025

 

   夕日に染まる威風堂々の富士。

   池田先生が新幹線の車中から

    カメラに収めた

            (2007年11月)

 

掛川市は、静岡県の西部に位置する。北部は南アルプスの

山々が占め、南部は遠州灘に面した砂浜海岸が広がる。

戦国時代に、掛川城、高天神城、横須賀城の三つの城が建てられ、その後、城下町として発展。東海道に沿って、

掛川と日坂の宿場町が栄え、海上交易の中継地の役割も果たした。

全国有数の茶の生産量を誇り、メロンやイチゴの栽培も盛ん。「葛府」と呼ばれる葛の繊維を織り上げた布は、

インテリ用品にも活用されている。

毎年10月には、掛川駅周辺市街地を中心に「掛川祭」が開催される。華やかに装飾された屋台など、街は祭り

一色に染まる。

この「掛川祭」で、地域の子どもたちに「和太鼓」を教えているのが、佐藤友宏さん(掛川創価圏、男子部本部

長)。

「祭りに関わる方々は、地域への思いが熱く、エネルギッシュな人が多い。皆さんと手を携えながら、地域に貢

献していきたい」

もともと人間関係をつくるのが苦手で、”自分の世界”に閉じこもる性格だった。そんな自分を変えたいと思って

いた時、友人から本部幹部会の中継行事に誘われた。

友人も、かつては”自分の殻”に閉じこもる人間だったが、まるで別人のように明るく変わっていた。その姿に信

心の力を感じ、2006年(平成18年)に入会した。

翌年、創価班大学校に入校。だが、次第に信心から離れ、男子部の仲間も遠ざけるように。

毎晩のように遊び歩く生活が続く。そんな中、父が不慮の事故で亡くなった。

通夜には、佐藤さんを入会に導いた友人も来てくれた。「上七代・下七代・上無量生下無量生の父母等存外に仏

となり給う」(御書1430頁)との御聖訓を拝して励ましてくれた。その真心に、” 父の分まで、精いっぱい

人生を生きよう”と誓った。

以来、学会活動に一歩も引かずに挑戦。昨年には、弘教を実らせた。

現在、地域の消防団の一員としても活躍する佐藤さん。「自らの姿を通して、地域に学会理解の輪を広げていき

ます」

  ◇

東京・八王子市出身の若松由貴さん(掛川創価圏、女子部副本部長)。アメリカ創価大学(SUA)を卒業後、

自動車の排ガス浄化触媒などの開発・生産・販売を行う会社に就職した。

経営の観点から原価の引き下げを計画し、実現をサポートする部署で活躍する。

入社当初、「東京出身」「アメリカの大学卒業」という経歴で、社内から注目された。若松さんも”SUAの看板

を背負っている”と意気込んだが、専門用語などが分からず、何度も先輩から叱責された。

そのストレスから、じんましんを発症。それでも、”何としても社会で勝利の実証を”と、御本尊に思いをぶつける

ように祈り、自分の心を奮い立たせた。

先輩の指摘にも、必死に食らいついた。少しずつ仕事を覚え、職場での信頼を広げた。3年後、じんましんは完治

した。

昨年、会社の業務査定で、最高の評価を勝ち取った。今では”なくてはならない存在”として光る。

学会活動では、総静岡女子副未来部長を兼任し、未来部員の激励にも奔走。創価高校、SUAで学んだ原点を語っ

ている。

「ここまで自分が成長することができたのは、静岡の皆さんの励ましのおかげです。静岡は、私の大切な『故郷』

です」。若松さんの笑顔が弾けた。

 

 

栄光の共戦譜

学会創立記念日を迎える11月は、静岡の友にとって、忘れ得ぬ歴史が幾重にも刻まれた月である。

1971年(昭和46年)11月10日、清水市(当時)鈴与記念体育館で、池田先生が出席しての記念撮影会が

開催された。「静岡県太陽の日」の淵源である。

約4000人の同志が集った撮影は、15グループに分かれ、3時間に及んだ。撮影の合間、先生はマイクを取り、

友に万感の励ましを送り続けた。

”静岡は、あらゆる点で模範的な国土となり、妙法流布の実証を全国に先駆けて示していく使命がある”

”仲良く、信心からほとばしる底抜けの明朗さをもって進んでいってほしい”

会場には、同志が持ち寄った特産品が展示されていた。このコーナーに足を運んだ池田先生は、机上に置かれた色

紙にしたためた。

「太陽」。この二字を友は胸中深くに刻んだ。

日蓮大聖人は伊豆流罪。日興上人は熱原の法難。

戦時中、牧口先生は軍部の弾圧によって、伊豆・下田で逮捕された。戸田先生、池田先生は悪侶の謀略と戦ってき

た。

数々の大難が競い起こってきた地であるがゆえに、静岡には「正義の闘魂」が、世代を超えて、脈々と受け継がれ

ている。

  ◇

掛川の友は、「あの11月」を忘れない。それは、81年(同56年)11月30日。池田先生が掛川市を初めて

訪れた日である。

第1次宗門事件の嵐は、掛川にも吹き荒れた。師と共に、静岡の同志は宗門尽くし抜いてきた。赤誠の外護を踏み

にじる横暴に、”もう、だまってはいられない”と立ち上がった。

81年、掛川を含む駿河圏(当時)の友は、「500世帯の弘教」という大きな目標を掲げた。

年頭から怒涛の勢いで展開された対話は、「500世帯の弘教」に結実。この金字塔が打ち立てられた日こそ、師

が掛川を訪問した11月30日だったのである。

この日、先生は学会員が営む市内の喫茶店へ激励に。駆け付けた圏のリーダーの中に、早川三夫さん(駿河常楽県

県副総合長)の姿もあった。

「目標達成の日のご訪問に、”先生は弟子の戦いを、全て分かってくださっている”と思えてなりませんでした」

早川さんは、71年11月の記念撮影会にも参加。師の激励に”「御書根本」「先生の指導根本」に進んでいこう”

と誓い、真っすぐに学会活動に励んだ。

第1次宗門事件の時には、圏青年部長として同志の激励に奔走。自らが拡大の先頭に立って戦い、81年に掛川で

師との出会いを刻んだ。

先生は友を温かく激励。早川さんは「本日、500世帯目の弘教が実りました」と元気いっぱいに報告した。

先生は「すごいね」「よかったね」と何度も友の奮闘をたたえ、「学会は、どこまでも『師弟』だよ」と語った。

早川さんは、「当時の駿河圏が、今日のように発展した原動力は、この時の先生の励ましにほかなりません」と力

を込めた。

2年前、前立腺がんが見つかった。だが、”信心の力を証明してみせる”と決め、懸命に祈り続けた。治療にも専念

し、がん細胞は消滅。今、経過観察を続けながら、広布の最前線を駆ける日々だ。

関根恵子さん(遠州創価県、圏副婦人部長)も、師の掛川訪問の場に集った。

「記念撮影までしてくださった感動を、忘れることなどできません」

原点は、71年8月21日、静岡での師との出会いだ。この時、先生は関根さんら女子部の友に、「実証を示す人

に」と期待を寄せた。

当時、社会人2年目。仏法への理解も浅かったが、一人一人の成長を心から願う師の姿に、”池田先生を「人生の

師」として進もう”と決めた。

82年(同57年)滝司さん(同副支部長)と結婚。その後、滝司さんの海外転勤で、ポルトガルへ。現地の友と

信心の喜びを語り合う中で、92年(平成4年)に支部が結成された。

「この前年、日顕宗と決別し、学会は”魂の独立”を果たしました。支部結成は、世界宗教へと飛躍する第一歩だっ

たと思います」

翌年、帰国。静岡での新たな生活をスタートした矢先、ステージ3の子宮がんが見つかった。

医師から手術を告げられた。”自分には、まだ果たさなければいけない広布の使命がある”。必死に祈り、手術は無

事に成功。その後の治療で快方に向かい、寛解を勝ち取った。

「これからも、功徳の実証をもって、先生にお応えしていきます」—―そう語る関根さんの胸には、「実証を示す

人に」との女子部時代の誓いが輝いている。

  ◇

71年の記念撮影から45年が経過した昨年11月、新愛称「太陽の静岡」が発表された。先生は静岡の友への万

感の思いを詠んでいる。

「天下一 正義の太陽 静岡よ 一人ももれなく 凱歌の生命を」

 

”我らの11月”は、もうすぐだ。「正義の太陽」の誇りに燃え、掛川と静岡の新たな前進が始まる。

 

 


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