2017年10月21日
世界192カ国・地域に広がったSGIの連帯――。仏教史に燦然と輝く壮挙は、創価学会員による地道な一対一
の「対話」のたまものにほかなりません。今回は、対話の意義について確認します。
『日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見(まみえ)て候へ』
(妙法比丘尼御返事、1418ページ)
仏教の創始者である釈尊は「自分から話し掛ける日知」だったといわれます。その生涯は「開かれた対話」に貫か
れていました。
釈尊の最初の説法(初転法輪)は、決して高みから教えを垂れるようなものではなかったといわれます。覚りを開
いた釈尊は、その地・ガヤからサールナート(鹿野苑)へ、250キロの道のりを歩いて5人の旧友を尋ねました。
そして、粘り強い対話によって、やがて一人の友が教えを理解し、残りの友も続いたのです。
目の前の一人と心を通わせる・・・これが仏教の出発点です。
日蓮大聖人も言論の力を重視されました。多くの門下への激励のお手紙や、時の権力者に対する正義の論陣などで
社会を変革しようとされたのです。
御書に「日蓮は、この法門を語ってきたので、他の人と比較にならないほど、多くの人に会ってきた」(1418
頁、通解)とあるように、大聖人は仏法弘通に当たって、多くの人と会い、対話を繰り広げてきたと述べられてい
ます。率先して人と会い、人と語り、妙法の仏縁を結びました。
日蓮仏法はまさに「対話の宗教」なのです。
『独り此の事を愁いて胸臆(くおく)に憤びす客来って共に嘆く屡(しばしば)談話を致さん』
(立正安国論、17ページ)
御書には、「問うて曰く」「答えて曰く」といった対話形式で進められた論文やお手紙が数多くあります。中でも
「立正安国論」は、「客」と「主人」との10問9答の「問答形式」でつづられており、対話の在り方が示された
書です。
「立正安国論が執筆された当時の日本では、大地震、大風、洪水、飢饉、疫病などが続き、民衆は苦悩にあえいで
いました。
同書の冒頭は、こうした惨状を嘆く客に対して、主人が「自分も一人でこのことを憂い、胸の中で憤ってもどかし
い思い出いたところ、あなたが来て同じことを嘆くので、しばらく、これについて語り合おうと思う」(御書17
頁、通解)と、同苦するところから始まります。
主人は、理路整然と話を進め、客の誤った考え方を諭していきます。客は反発し、席を立とうとまでしますが、主
人は笑みをたたえ、去ろうとする客をとどめて、話を続けます。そして、粘り強い対話によって客も次第に心を開
き、ついに自ら正義のために立ち上がることを誓います。
こうしたやりとりは、私たちの対話の手本ともいえます。
どこまでも粘り強く、真心を尽くしていく中でこそ、相手の心を変えることができるのです。
『とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁
となって仏になるべきなり』
(法華初心成仏抄、552ページ)
対話をした時の相手の反応は、十人十色です。中には、自分の思いが通じないどころか、反発さえする人もいる
でしょう。
日蓮大聖人は「とにもかくにも法華経を強いて説き聞かせるべきである。信じる人は仏になり、謗る者は毒鼓の縁
となって仏になるのである」(552ページ、通解)と仰せです。
池田先生はこの御文を拝して、つづられています。
「相手の反応がどうであれ、妙法に縁させることが大事なのだ。そして、『強いて』語るためには、何よりもまず、
自分の臆病な心、弱い心を打ち破らねばならない。そうであってこそ、勇気をもって、悠然と楽しく対話ができる。
その結実は、真心と執念で決まる」
大聖人御自身、妙法弘通の御生涯において、2度の流罪をはじめ、幾多の難に遭われました。しかし、「喜悦はか
りなし」(1360ページ)とあるとおり、常に歓喜の生命で民衆救済の大願に生き抜かれました。
私たちの対話は、友人に仏縁を広げていくとともに、さまざまな価値観をもった友人と語り合うことで自身の境涯
を大きく開いていく実践でもあります。
自他共の幸福を実現する直道であることを確信して、喜々として取り組んでいきましょう。