• ただいま、Word Press 猛烈習熟訓練中!!
Pocket

暁鐘 四十一

 翌七日、夏季研修会の一環として、ヨーロッパ広布二十周年の記念総会が開催された。

山本伸一は、この席でも、御書を拝して、参加者と共に、仏法の法理を研鑽し合った。

そのなかで彼は、一切衆生が「仏」の生命を具えていることを述べ、生命の尊厳を説く仏

法は、古来、平和主義であったことに言及。戦時中、日本にあって、国家神道を精神の支

柱に戦争を遂行する軍部政府の弾圧と戦った学会の歴史も、それを証明していると訴えた。

さらに、平和を信条とする仏法者の、社会での在り方を示していった。

「皆さんは、『一切法は皆是仏法なり』(御書五六三ページ)との御聖訓を深く心に体し

て、それぞれの国にあって、良識豊かな、人びとの模範となる、良き市民、良き社会人で

あってください。

われわれは、暴力を絶対に否定します。その信念のもとに、各国各地にあっては、その伝

統並びに風習を最大に尊重し、社会に信頼の根を深く張っていっていただきたい。そして

世界の友と、心と心を結び合い、平和をめざしていただきたいのであります」

次いで伸一は、宇宙の根源の法たる妙法を具現した、御本尊の力について語った。

「人間の心ほど、瞬間、瞬間、微妙に変化し、複雑極まりないものはない。その心を、い

かに強く、揺るぎないものにしていくかによって、人生の充実、幸福も決まっていく。

また、人生には、“なんで自分は、こんな目に遭わなければならないのか”と思うような、

宿命・宿業の嵐に遭遇することもある。それを乗り越えていく、何ものにも負けない強い

心を培うための信心なんです。

妙法という宇宙根源の法を具現したものが御本尊です。私どもの信力、行力によって、南

無妙法蓮華経の御本尊の仏力・法力に、わが生命が感応して、大生命力が涌現し、困難の

厚き鉄の扉も必ずや開くことができる」

フランスの思想家モンテーニュは言う。

「勇猛さは、足と腕がしっかりしているということにはなく、心と魂の堅固さにある」(注)

 

   小説『新・人間革命』の引用文献
   注 『世界の名著19 モンテーニュ』荒木昭太郎訳、中央公論社

 

 

暁鐘 四十二

 山本伸一は、ここで、仏法で説く「発心」について語っていった。

「『発心』とは、『発菩提心』という意味である。簡単に申し上げれば、悟りを求める心

を起こすということであり、成仏への決心です。

人生をより良く生きようとするには、『汝自身とは何か』『汝自身のこの世の使命とは何

か』『汝自身の生命とは何か』『社会にいかなる価値を創造し、貢献していくか』等々、

根源的な課題に向き合わざるを得ない。

その解決のために、求道と挑戦を重ね、仏道修行即人間修行に取り組んでいくことが『発

心』であり、それは向上心の発露です」

彼は、仏法の法理や仏法用語を、いかにわかりやすく、ヨーロッパの友に伝えるか、心を

砕いていた。どんなに深遠な法理であっても、人びとが理解できなければ、結局は、価値

をもたらすことはないからだ。仏法の現代的展開にこそ、人類の至極の智慧を、世界共通

の精神の至宝とする方途がある。

翌八日には、夏季研修会の掉尾を飾って、友好文化祭が開催された。

イギリスの同志は熱唱した。
  
 〽心と心のふれあいに

  強き絆に結ばれて

  自由の道を拓きゆく

  たとえ道は長くとも

  希望の光かかげつつ
  
デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの同志が、花柄のスカーフをなびかせて踊れば、

スペインの同志は陽気に舞い、黒いハットを場内に投げる。ベルギーのメンバーは、

「同志の歌」をバックに創作舞踊を披露。西ドイツ、スイス、ギリシャ……と続く。

“私は負けない! 断じて勝つ!”――広宣流布へ、皆の心は一つにとけ合い、歌声が

勝利山(サント・ビクトワール山)にこだまする。欧州は一つになった。それは、世

界の平和をめざす、人間の魂と魂の連合であった。

 

 

暁鐘 四十三

 九日正午、山本伸一たちは、マルセイユを訪れた。小高い丘の上に四角い鐘楼がそびえ

ていた。ノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院である。丘に立つと、地中海のコバルト色の

海に浮かぶ、石造りの堅固な城壁に囲まれた小島が見える。  

『巌窟王』の邦訳名で知られる、アレクサンドル・デュマの小説『モンテ・クリスト伯』

の舞台となったシャトー・ディフである。  

本来、シャトー・ディフは、要塞として造られたが、脱出が困難なことから、政治犯など

を収容する牢獄として使われてきた。  

エドモン・ダンテス(後のモンテ・クリスト伯)も、十四年間、ここに幽閉されていた人

物として描かれている。  

戦時中、二年間の獄中生活を経て出獄した恩師・戸田城聖は、“巌窟王のごとく、いかな

る苦難も耐え忍んで、獄死された師の牧口先生の敵を討つ! 師の正義を、断固、証明し

広宣流布の道を開く!”と、固く心に誓い、戦後の学会再建の歩みを開始した。  

ナチスの激しい弾圧に耐え、勝利したフランスのレジスタンス(抵抗)運動にも、まさに

この“巌窟王の精神”が脈打っているように、伸一には思えた。  巌窟王とは、勇気の人

不屈の人、信念の人であり、忍耐の人である。広宣流布は、そうした人がいてこそ、可能

になる。ゆえに、いかなる困難にも決して退くことなく、目的を成就するまで、粘り強く

執念をもって前進し続けるのだ。そこに立ちはだかるのは、“もう、いいだろう”“ これ以

上は無理だ。限界だ” という心の障壁である。それを打ち破り、渾身の力を振り絞って、

執念の歩みを踏み出してこそ、勝利の太陽は輝く。  

伸一は、フランスの、ヨーロッパの青年たちの姿を思い浮かべ、二十一世紀を仰ぎ見なが

ら、願い、祈った。  “出でよ! 数多の創価の巌窟王よ! 君たちの手で、新世紀の人

間共和の暁鐘を打ち鳴らしてくれたまえ”  太陽を浴びて、海は銀色に光っていた。

 

 

暁鐘 四十四

 広宣流布は、常に新しき出発である。希望みなぎる挑戦の旅路である。  

十日午後三時半過ぎ、山本伸一の一行は、五十人ほどの地元メンバーに送られ、マルセイ

ユを発ち、鉄路、パリへと向かった。約七時間ほどの旅である。  

伸一の間断なき奮闘の舞台は、花の都パリへと移った。  

パリ滞在中、十一日には、歴史学者の故アーノルド・トインビーとの対談集「生への選択」

(邦題『二十一世紀への選択』)のフランス語版の出版記念レセプションに出席した。  

翌十二日には、美術史家でアカデミー・フランセーズ会員のルネ・ユイグと会談し、前年

九月にフランス語で発刊された二人の対談集『闇は暁を求めて』や、ビクトル・ユゴーな

どをめぐって意見交換した。  

そして十五日には、フランス議会上院にアラン・ポエール議長を訪ね、議長公邸で初の会

談を行った。  

会談に先立ち、議長の厚意で議場を見学した。ここは由緒あるリュクサンブール宮殿であ

り、上院議員としても活躍したビクトル・ユゴーの部屋もあった。そこで、ひときわ目を

引いたのが、壁に飾られたユゴーのレリーフであった。ヒゲをたくわえ、剛毅さにあふれ

た彼の顔が浮き彫りされていた。  

荘厳な本会議場には、ユゴーが座っていた議席があった。そこには記念板が取り付けられ

机の上には彼の横顔を彫った金の銘板がはめ込まれ、不滅の業績を讃えていた。  

伸一は、その席に案内してもらった。貧困の追放を、教育の改革を、死刑の反対を訴えた

彼の熱弁が響いてくるかのようだった。  

類いまれな文学の才に恵まれ、二十三歳でフランス最高の栄誉であるレジオン・ドヌール

勲章を受章した彼が、政界に入ったのは一八四五年、四十三歳の時である。人びとの困窮

など、現実を看過することはできなかった。彼は、「文の人」であるとともに、「行動の

人」であった。それは、まぎれもなく「人間」であるということであった。

 

 

暁鐘 四十五

 ビクトル・ユゴーは、独裁化する大統領のルイ・ナポレオン(後のナポレオン三世)に

よって弾圧を受け、亡命を余儀なくされた。そのなかで、大統領を弾劾する『小ナポレオ

ン』『懲罰詩集』を発表し、この亡命中に、大著『レ・ミゼラブル』を完成させている。

フィレンツェを追放されたダンテが『神曲』を創ったように。

彼らが、最悪の状況下にあって、最高の作品を生んでいるのは、悪と戦う心を強くしてい

ったことと無縁ではなかったであろう。

悪との命がけの闘争を決意し、研ぎ澄まされた生命には、人間の正も邪も、善も悪も、真

実も欺瞞も、すべてが鮮明に映し出されていく。また、悪への怒りは、正義の情熱となっ

てたぎり、ほとばしるからだ。

彼が祖国フランスに帰還するのは、ナポレオン三世が失脚したあとであり、亡命から実に

十九年を経た、六十八歳の時である。

彼の創作は、いよいよ勢いを増していく。

彼の心意気は青年であった。人は、ただ齢を重ねるから老いるのではない。希望を捨て、

理想を捨てた刹那、その魂は老いる。

「わたしの考えは、いつも前進するということです」(注)とユゴーは記している。

山本伸一は、ユゴーの業績をとどめる上院議場を見学して、蘇生の新風が吹き抜けていっ

たように感じた。

彼は、この時、思った。

“文豪ユゴーの業績を、その英雄の激闘の生涯を、後世に残すために、展示館を設置する

など、自分も何か貢献していきたい”

その着想は、十年後の一九九一年(平成三年)六月、現実のものとなる。パリ南郊のビエ

ーブル市に、多くの友の尽力を得て、ビクトル・ユゴー文学記念館をオープンすることが

できたのである。記念館となったロシュの館には、ユゴーが何度も訪れている。

ここには、文豪の精神が凝縮された手稿、遺品、資料など、貴重な品々が公開、展示され

ユゴーの人間主義の光を未来に放つ“文学の城”となったのである。

 

    小説『新・人間革命』の引用文献

    注 ユゴー著『九十三年』榊原晃三訳、潮出版社

 

 

 

 

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください