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御書根本に師弟共戦の凱歌を

創価学会は創立以来、一貫して御書根本の実践を重ね、前進してきました。

若き日の池田先生も、二月闘争、札幌・夏の陣、大阪の戦い、山口開拓指導をはじめ、

あらゆる広布の戦いで常に御書をひもとき、御書を拝して友を励ましながら、常勝の歴史

を刻んできました。先生は、「『御書』を開くことは『境涯』を開くことだ。御書を拝し

て、広大無辺なる御本仏のお心に迫り、自らの小さな殻を打ち破る戦いをするのだ」とつ

づっています。ここでは、さらなる躍進の原動力となる御書の一節を紹介します。ともど

もに御書を拝しながら、師弟共戦の歩みを力強く進めていきましょう。

 

「一人」の友をたたえ励まそう

夫れ須弥山の始を尋ぬれば一塵なり・大海の初は一露なり・一を重ぬれば二となり・

二を重ぬれば三・乃至十・百・千・万・億・阿僧祇の母は唯・一なるべし

(妙密上人御消息、1237頁)

(通解)

そもそも須弥山の始めを尋ねれば一つの塵であり、大海の初めは一滴の露である。

一を重ねれば二となり、二を重ねれば三となり、このようにして十、百、千、万、億、

阿僧祇となっても、その生みの母はただ一なのである。

 

建治2年(1276年)閏3月、日蓮大聖人が身延で著され、妙密上人に送られたお手紙

が本抄です。大聖人は、妙密上人の御供養の志をたたえられ、法華経の行者を支える功徳

が無量であることを述べられたうえで、さらなる強盛な信心を促されています。

大聖人は本抄で、最高・最大のものの象徴である須弥山や大海も、その始まりは「一つの

塵」であり、「一滴の露」であると示されています。そして、御自身の闘争を「須弥山の

始の一塵」「大海の初の一露」と譬えられ、「一」から始まった妙法の波動が、やがて2

人、3人、10人、100人と広がっていくとの原理を教えられています。

まさに今日、世界192ケ国・地域へと広がった広宣流布の壮大な流れは、大聖人お一人

の戦いから始まりました。

あらゆる広布の戦いは、使命を自覚した「一人」が立ち上がり、次の「一人」へと伝えて

いくところから開かれていきます。ゆえに、目の前の「一人」を大切にし、「一人」を激

励する実践こそ、広布拡大の確かな方程式です。いかなる時も、共戦の「一人」をたたえ

励ますことから、勝利の突破口は大きく開かれるのです。

池田先生は、次のようにつづっています。

「全ては、一人から始まる。一人を激励し、育てる。一人と対話し、仏縁を結ぶ。地道に

して粘り強い、この執念の積み重ねこそが、創価の大勝利山を築き、広布の大海原を開く

のだ」

自身と広布の最高峰を目指し、今こそ共戦の同志と励まし合いながら、もう一歩、あと一

歩と、勇気の挑戦を積み重ねていきましょう。

 

 

執念の祈りが諸天を動かす

何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける

土より水を儲けんが如く強盛に申すなり

(呵責謗法滅罪抄、1132頁)

(通解)

いかなる世の乱れにも、あなた方を法華経や十羅刹女よ助け給え、と湿った木から火を出

し、乾いた土から水を出すように強盛に祈っている。

 

本抄は、文永10年(1273年)、日蓮大聖人が流罪の地・佐渡から、鎌倉の四条金吾

に送られたお手紙であると考えられています。

その2年前に起きた「竜の口の法難」を機に、大聖人門下は”1000人のうち999人

まで退転した”と言われるような大弾圧を受けていました。その中で大聖人は、”諸天善神

よ、わが弟子を守れ!”と弟子の無事安穏を強盛に祈念される姿勢を示し、門下に渾身の

励ましを送られています。

ここには、不可能を可能にしゆく信心のあり方を拝することができます。すなわち、いか

に厳しい事態に直面しようと、「諸天をも動かしてみせる」との強盛な祈りを重ね、深い

確信に立つ時、事態を打開する道が決然と開けることを教えられているのです。

1956年(昭和31年)の大阪の戦い。若き池田先生は関西の同志とこの御文拝し、不

可能の壁を打破する祈りの要諦を訴えました。「”まさか”が実現」の大勝利は、恩師の構

想実現を誓った不二の弟子の透徹した一念と、強盛な祈りによって成し遂げられたのです。

先生はつづりました。

「不可能を可能にするのは、『断じて成し遂げるのだ』との決定した祈りである。勝利へ

の執念である。断じて諦めない!最後に必ず勝ってみせる!--この強き心が諸天善神を

動かす。一切を味方に変える」

私たちもまた、妙法への深き確信を胸に、強盛な祈りと執念の行動で、共感のスクラムを

一段と広げていこうではありませんか。

 

 

限界を打ち破る勇気の一歩

各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にを

じず・師子の子・又かくのごとし

(聖人御難事、1190頁)

(通解)

一人一人が師子王の心を奮い起こし、いかに人が脅そうとも、決して恐れてはならない。

師子王は百獣を恐れない。師子の子もまた同じである。

 

駿河国(静岡県中央部)富士地方の熱原郷で、大聖人門下が受けた「熱原の法難」。その

渦中の弘安2年(1279年)10月1日、日蓮大聖人が身延で認められ、門下一同に与

えられたお手紙が本抄です。

幕府によって農民信徒20人が無罪の罪で捕らえられ、中心者らが斬首されるなど。信仰

ゆえに過酷な迫害を受けますが、一人も退転することなく信心を貫き通しました。

大聖人は、自分の心の中に本来ある「師子王の心」を「取り出して」いきなさいと仰せに

なり、大難を恐れず信仰を貫くよう、門下を最大に励まされています。

「師子王」は何ものにも打ち勝つ仏の姿を譬えたもの。「師子王の心」とは、どんな試練

にも負けない「最高の勇気」であり、「仏界の生命」とも拝せます。

その勇気を「取り出す」ための要諦こそ、師弟不二の信心です。弟子が師匠と同じ決意に

立つ時、弟子の胸中にも師と同じ無限の勇気が湧き起り、臆病の心を打ち破っていくこと

ができます。ゆえに大聖人は、門下も「師子の子」として、師と同じ覚悟で”生命の底力”

を奮い起こしていくよう呼びかけられています。

池田先生はつづっています。

「偉大な師子王の心を取り出した勇者に、恐れるものはない。何があろうと、結局は、正

しい仏法を実践し、語り切った者が、必ず必ず勝つ」

師弟一体の前進に、行き詰まりはありません。共戦の誓いを胸に勇気の一歩を踏み出すこ

とで、自身の限界を打ち破り、いかなる逆境も、断じてはね返していくことができるので

す。

 

 

 

 

 

 

 


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