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〈金秋のモスクワ 初訪露43年 池田先生の足跡をたどって〉上

20171012

「使命感」が人間を偉大にする

 

クレムリンの西側に隣接するアレクサンドロフスキー公園。

花壇に彩られた園内を北に進むと「無名戦士の墓」が。

池田先生は1974年の初訪露をはじめ、幾たびかここを訪れ、

カメラに収めた。

 

その場所を訪ねたのは、9月23日土曜日、快晴の朝だった。

モスクワのひんやりとした空気は、はや晩秋を思わせる。

ロシアのノーベル文学賞作家ミハイル・ショーロホフ氏の部屋があったアパートは、クレムリンの西、シプチェフ・

ブラジェク通りの33番に、質素なたたずまいで、今も健在だった。

43年前、池田先生との会談が行われた、まさにその場所である。

建物の壁には、ここにかつて住んでいた著名人のレリーフが並ぶ。ソ連時代の軍人たちに交じってショーロホフ氏

のレリーフがあった。

建物の入り口はテープで遮られ、どうやら改装中らしい。インターホンを押し、遠く日本から訪ねた「理由」を伝

えてみた。

”ロシアのお母さん”といった風情の、気のいいご婦人が工事の立会人で快く中に通してくれた。ショーロホフ氏の

部屋は、4階の9号室だったという。

婦人はエカテリーナ・ミレンチェワ・ファジーエワさん。驚いたことに、父親がショーロホフ氏と友人だったと話

す。ソ連時代、ロシア共和国の文化省で要職にあったそうで、「ノーベル文学賞の授賞式にも、父はショーロホフ

と共に行きました」と教えてくれた。

「歴史を残すのは大事なことです」。笑顔で語るエカテリーナさんと別れ、再び通りから9号室を見上げてみる。

ここで43年前、ロシアきっての文豪と、東洋の仏教指導者である先生が出会ったのだと思うと、深い感慨が込み

上げてきた。

ーーー1974年9月16日午後、語らいは実現した。

初訪露の過密な行程の中で、この会談だけは、池田先生のほうから強く希望したものだった。『静かなドン』『人

間の運命』をはじめ、ロシアの大地と民衆に根差して歴史を捉えた。骨太のショーロホフ文学に魅了されてきたか

らだ。

しかし、会談が実現するかどうかは、直前まで分からなかった。

ショーロホフ氏は当時69歳。健康状態は思わしくなく、しかも普段は、モスクワから離れた、ドン川のほとりに

あるヴェーシェンスカヤ村で暮らしていた。

だが、関係者の心配は杞憂に終わる。池田先生という人物に氏は大いに関心を抱き、医師の制止を押し切って、こ

のモスクワのアパートに出向いたのである。

氏はわざわざスーツに着替え、先生を迎えた。

「ロストフには行きましたか」と、氏は尋ねた。ロストフ州は氏の故郷であり、『静かなドン』の舞台でもある。

先生は答えた。

「いいえ、今回は訪問することはできませんでした。いつか、ぜひ、ご一緒に訪問させていただきたい」「そのた

めにもショーロホフ先生には、いつまでも、お元気でいていただかなくてはなりません。東洋には、深い使命に生

きる人は、健康になるという考えがあります。一番、大切なのは、使命感です」

氏が返した。「私も、それを信じます。何回も入院したが、病気を克服して出てきました。私は使命感を忘れたこ

とはありません」

池田先生に期待通りの”人物”を見たからだろう。氏は終始、上機嫌で、コニャックを持ち出し、酒を飲まない先生

に勧め、困らせる場面もあった。

「私は飲めませんが、私の師匠の前会長は、よく飲みました。その前の会長は飲みません。”飲む・飲まない”が交

互になっているんです」

そんな先生の当意即妙の答えから、話題は自然に、創価学会の師弟、軍部政府の弾圧と戦った歴史に及んでいった。

ショーロホフ氏もまた、ロシア革命後の内戦の中青春を送り、第2次世界大戦では、ドイツ軍の砲撃で母を亡くし

た。遠くの中学に入った一人息子と文通したい一心で文字を覚えたという、けなげで、いとしい大切な母をーーー。

あまつさえ、会談当時、文豪は”『静かなドン』は盗作”とする、いわれなき中傷とも戦っていた。

人間は、歴史という大河の流れに任せて、波間を漂う木の葉のような存在にすぎないのか。それとも、逆巻く運命

の波に抗い、自らの人生を切り開こうとする戦いに価値があるのか。

それはショーロホフ文学、いなショーロホフという人間そのものの真髄に迫る問いであり、だからこそ先生が、ぜ

ひとも聞いてみたいテーマであった。

「運命の変革を突き詰めて考えていくならば、どうしても自己自身の変革の問題と関連してくると思います。この

点はどのようにお考えでしょうか」

それに対する氏の見解こそは、語らいの核心を成すものだった。

「運命に負けないかどうかは、その人の信念の問題であると思います。一定の目的に向かう信念のない人は何もで

きません。

われわれは、皆が”幸福の鍛冶屋”です。幸福になるために、精神をどれだけ鍛え抜いていくかです。精神的に強い

人は、たとえ運命の曲がり角にあっても、自分の生き方に一定の影響を与えうるものです」

池田先生はうなずいた。

「まったく同感です。たとえ、どんなに過酷な運命であっても、それに負けない最高の自己を『仏』と言います。

また、そう自分を変革することを、私たちは『人間革命』と呼んでいます」

ーーー語らいから43年。モスクワで、うれしい出会いがあった。

池田先生に対し、モスクワ大学でロシア「国際グローバル研究アカデミー」正会員証が授与された翌日(9月26

日)、氏の令孫であるアレクサンドル・ショーロホフ下院(国家院)議員(ロシア国際博物館評議会会長)と、池

田博正SGI副会長をはじめ代表団の懇談が持たれたのである。

祖父のアパートにあるレリーフのことが話題に上ると、議員は「”偉大なる池田先生とショーロホフがここで会見

した”と、そこに刻まれるべきですね」と笑顔で応じた。

さらに議員は、『静かなドン』が近年、テレビドラマになった話題を紹介。

「古典や名誉は、どんなに時代が変わり光の当てられ方が変わっても、人々に訴え掛ける力を持っているものです」

と語るのだった。

そして、一冊の書籍を手渡した。

『わが父について』。議員の父君が,その父親である文豪ショーロホフとの思い出をつづった本である。

「池田会長。心からの敬意を込めて。貴殿がかつて始めた対話を続けるために」と献辞が添えられていた。

父から子、子から孫へ、ショーロホフ家の魂が受け継がれているように、祖父ショーロホフと池田先生が始めた対

話もまた、世代を超えて続いている証しとして、贈られたのである。

モスクワの秋は短い。10月にはもう雪が舞い、長い冬がやってくる。だからこそ、命を燃やして輝く黄葉がいと

おしい。

ロシアの人々は、この短く美しい季節を「黄金の秋」と呼ぶ。

通りの街路樹の葉は淡く色づき、まさに、金秋の季節が始まろうとしていた。

市街を蛇行して流れるモスクワ川は、ゆるやかに、しかし確かに、水を運んでいた。その流れはオカ川へと注ぎ、

オカ川はやがてヴォルガ川と合流して、はるかカスピ海にたどり着く。

川の水は、一時として同じ場所にとどまらない。同じように現在は瞬く間に過去へと流れ去り、人間を待ってはく

れない。

しかし、だからこそ、諦めるのでもなく、時流に右往左往するのでもなく、この世に生を受けた根源の使命を深く

見つめて、「今」という瞬間瞬間を、真剣に戦い抜く人でありたい。

その努力の中でのみ、時空の壁を乗り越える偉大なる精神の力を、人は、得ることができるのだろう。

 

 


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