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〈希望航路 池田先生と進む人生旅〉 オーストリア4=完

2017年10月6日

広布の英雄その名を残せ

 

 

  オーストリアの国家勲章を受章した直後、

  ウィーン市立公園へ足を運んだ池田先生。

  駆け付けた未来っ子たちに真心の励ましを

  送った。先生の左腕に抱かれている少年が

  ヤコブ・カットナーさんである

                (1992年6月10日)

 

1992年6月10日、国家勲章「オーストリア科学・芸術名誉十字章勲一等」を受章した池田先生は、文部省からウィーン市立公園に向かった。公園内に立つヨハン・シュトラウス2世像の前で、祝福に駆け付けたオーストリアの同志が待っていたのである。  今、ザルツブルク地区の婦人部長を務めるサヨコ・フーバーさんも、この場にいたメンバーの一人である。  「私は、生粋の道産子です。『三代城の誇り』は片時も忘れたことはありません」  北海道・札幌で生まれたフーバーさん。13歳で入会し、女子部では大ブロック長(現・女子地区リーダー)を務めた。  71年2月には、札幌・中島公園での「雪の文化祭」に、姉の美智代さんと共に参加。先生との忘れ得ぬ出会いを結んでいる。  24歳の時、旅行先のハワイでオーストリア人の男性と出会い、6年後、結婚を機にザルツブルクに渡った。  市内のホテル勤務を経て、大手旅行会社に就職。ザルツブルクとウィーンの事務所で所長を務め、社会貢献を果たしていく。  一時的に、仕事でウィーンに移住したこともあったが、ザルツブルクの自宅を手放すことはなかった。  彼女の心には常に、「ザルツブルクの大地に根を張って、広宣流布を進めよう」との決意があったのである。  ザルツブルクは、カトリックの聖職者が領主を兼ねて統治した教会国家の時代を経て、発展した街。フーバーさんは、移住した三十数年前の状況をこう振り返る。  「この街では、カトリックの教義が市民生活に浸透しています。折伏をしたって、“頭が狂っているのか”と笑われる。当時は、まだそんな時代でした」  移住した当時、市内のメンバーは、彼女と日本人の女子部員の2人だけ。日本食を振る舞うパーティーを開き、近隣との友好を深めたが、弘教はなかなか実らない。  フーバーさんは御本尊に強く祈った。「ザルツブルクに広布の人材をください」と。  会合などでウィーンに行く際は、「聖教グラフ」(当時)を片手に、道中で出会った人に仏法の魅力を語った。  必ず広布を!――彼女の一念に吸い寄せられるように、他都市や他国から一人また一人とメンバーが集まってきた。13年前、ザルツブルクに地区が誕生した際、フーバーさんは初代地区婦人部長に就任。今ではインド、スリランカ、イタリア、ドイツなど各国の友が集うにぎやかな地区に発展している。  中には、仕事や留学で一時的に滞在し、ザルツブルクを離れていってしまう同志もいるが、彼女は言う。  「移民の多い都市だから人の出入りは少なくありません。でも、メンバーと共に唱えた題目は、ザルツブルクの大地に浸透しているんです。その功徳の積み重ねが、国土世間を変え、人々の宿命転換を果たしていくと確信しています」  8年ほど前に夫を亡くしたフーバーさん。家族のいない異国の地では「心細さ」を感じることも多い。  その時、支えとなったのは、先生の「建設は死闘。破壊は一瞬」との指針と、オーストリア広布の礎を築いた同志の励ましだった。  92年、シュトラウス像前での先生との記念撮影の際、フーバーさんは、ザルツブルクから駆け付けた。  先生の姿を見た時、彼女は心の中で、「先生! 私はザルツブルク広布に一生をささげます!」と叫んだ。  師への誓いは、25年たった今も色あせることなく輝いている。

 記念撮影の折、先生は一人の年配の婦人を抱きかかえるようにして励ましている。  その場にいた中では最年長だったヨハナ・コッツァーさん。2度の世界大戦をくぐり抜け、戦争で家庭を破壊された彼女は、イタリアに住む娘の勧めで入会した。彼女を知る人は「愛嬌があり、青年部をかわいがっていました。誰からも好かれる素晴らしいおばあちゃんでした」と述懐する。  コッツァーさんに、優しく声を掛けた先生。「80歳です」と胸を張る彼女に、先生はすかさず、“いつまでも若々しく、お元気で!”と。笑顔の輪が広がった。  その後、コッツァーさんは95歳で天寿をまっとうするまで、この出会いを宝に、地道な信心を貫いた。  先生と話している瞬間を捉えた写真を大事に持ちながら、いつも先生への感謝を語っていたという。

 オーバーエスターライヒ州の州都リンツの郊外にある街・ベルスに住み、支部婦人部長を務めるアグネス・シュタイナーさんも、92年の記念撮影に参加した一人である。  ザルツブルクで生まれた彼女は、ウィーンの大学に進学。だが、試験に合格できず、退学を余儀なくされ、社会福祉の専門学校に入学した。  挫折を乗り越えようと懸命に頑張っていたつもりだったが、周りが見えなくなっていたのか、知人から“あなたはまず、傲慢な性格を直した方がいい”と言われ、心が傷つき、孤独を感じていた。  その中で、友人が仏法を勧めてくれた。題目を唱えると、心に生命力がみなぎることを感じた。87年、彼女は御本尊を受持する。  以来、同州を広布の舞台として、メンバーの激励に走る中、彼女はリンツに住む一人の婦人部員に出会う。  女手一つで家庭を守るそのメンバーは、苦悩の底にいた。心の病を抱える6歳の息子(ヤコブ・カットナーさん)が、家出を繰り返していたのである。  悩みに沈むお母さんに寄り添い、「宿命を乗り越えよう」と、共に題目を唱えた。  その中、92年に先生との出会いが訪れる。記念撮影の折、シュトラウス像に向かう先生の隣には、カットナーさんの姿があった。  先生がカットナーさんの肩に手を置き、並んで歩く姿に、シュタイナーさんは「涙を抑えることができませんでした」と語る。  後に、カットナーさんは手記に、「僕の肩にかかる先生の腕は、暗闇と不安から守ってくれるマントのように感じた」と記した。  立派な青年に成長したカットナーさんは、ウィーンの大学で博士号を取得し、今、音楽イベントの企画宣伝会社を経営している。  シュタイナーさん自身もまた、押し寄せる幾多の苦難を信心根本に乗り越えてきた。  さまざまな家庭の問題があり、夫と離婚。長男のユキオさんは、学校を中退した後、事故に遭い、瀕死の重傷を負った。  試練が襲うたび、彼女は信心の炎を燃え上がらせ、一家の宿命転換を果たしていった。  長男は奇跡的な回復を遂げ、高校卒業後、念願の就職を得る。  長女のミツコさんは創価大学の国際教養学部に留学し、夢を目指して研究に励んでいる。  「離婚した夫とも、深い友情を結ぶことができました。彼は今、支部長として元気に学会活動に走っています。家族は今、かつては想像すらできなかった『強い心の絆』で結ばれています」  ベルスに移住して四半世紀。今、街のメンバーは25年前の約10倍、州の同志も7倍以上に増えている。  ソ連のゴルバチョフ元大統領がベルスを訪問した際、彼女は“ひとめだけでも”と観衆の列に加わった。  彼女の目の前に、一台の車が止まる。そこから降りてきたのは、大統領だった。  彼女が携えていた「グラフSGI」を見た大統領は、そこに載っていた池田先生の写真に喜び、居合わせた報道陣や市民に向かって先生の写真を掲げ、「彼は私の友人です!」と語った。  大統領が深い信頼を寄せる先生を師と仰ぎ、広布の使命を果たせる。彼女の胸には感激が込み上げた。

 2010年9月4日、先生はオーストリアの友に、次のように詠み贈っている。     崇高な   世界広布の     英雄と    君よ その名を     三世に残せや     華々しい活躍の舞台がなくてもいい。いつも心に師を抱きながら苦難の友を励まし、「自他共の幸福」を勝ち開く。社会の安穏と繁栄を願い、正義の信念を叫び切っていく。それこそ、師弟栄光の誉れの道である。  颯爽と使命の天地を駆ける「広布の英雄」。その雄姿を、後世の人々は「偉大なる人間革命の勝利劇」とともに、語り継ぐだろう。 ご感想をお寄せください news-kikaku@seikyo-np.jp


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