(御書1308頁4行目~5行目)
『弥(いよいよ)信心をはげみ給うべし仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにく
むべしよしにくまばにくめ 法華経 釈迦仏 天台 妙楽 伝教 章安等の金言に身をまかすべし
如説修行の人とは是れなり』
○背景と大意.
建治元年(1275年)9月3日、日蓮大聖人54歳の御時の御書です。
(現在は、建治2年との説が有力になっています)阿仏房夫妻は、過去、念仏信仰をして
いました。
本抄は、阿仏房の妻・千日尼が謗法の罪を質問したことに対して、謗法(ほうぼう)にも
浅深、軽重があると述べられ、折伏の姿勢を指導されている御書です。
「謗法を放置すれば無慈悲である。折伏をすれば必ず難が競い起こる。そのときに御本尊
を護持し、折伏し通すならば必ず功徳がある」と述べられています。
また、千日尼の信心と求道心をおほめになられています。池田先生は次のようにご指導さ
れています。(大白蓮華10月号47ページ)「大聖人の仏法は常に今からである。今日が
久遠元初の出発の日である。仏法ゆえに悪口を言われ、悔しい思いをすることもある。
しかし、憎むならば憎むがよい!の心意気で進む人を大聖人は断じて護ってくださるので
す」 如説修行(にょせつしゅぎょう)とは、「説の如く修行す」と読みます。
仏が説いた教え通りに修行することです。 その修行は六難九易(とくなんくい)に譬え
られています。
○所感.
今、世の中は「批判」を避ける時代と言われています。批判はすなわち、和を乱す、喧嘩
を売る、ケチをつける、因縁をつけるといったイメージが強く、政治や宗教などを真面目
に話すことを避ける風潮があるようです。
会社などでも、強く言うとパワハラ、セクハラなどと騒ぎになる時代です。基本的に考え
方の違いで対立しやすい政治と宗教の話は、タブー視される傾向が強まっています。
軽薄でさしさわりのない話が主流で、熱い対話は敬遠がちに感じますが、実際には濃い人
間関係では濃い話、本音の話は今も続いています。このため、しっかりした折伏は、ある
程度の人間関係の構築も必要でしょう。仏法対話が原因して、恨まれ、疎遠になることも
あります。私も何人か、そのことが原因で人間関係が壊れたことあります。悔しい思いを
しましたが、それは仕方ない。仏道修行です。このことは乗り越えなければなりません。
さあ、お題目で慈悲と勇気を奮い立たせましょう。
そして、如説修行を実践いたしましょう!