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〈この一節を胸に行学に励む〉 テーマ 御書根本  

 

今年は「日蓮大聖人御書全集(御書)」の発刊から65周年の佳節です。学会は常に「御書根本」に、広宣流布を

進めてきました。今回は、御書根本の実践について確認していきます。

 

Q.なぜ、教学を学ぶのでしょうか?

A.「行学の二道」の実践こそ信心の基本だからです。

 日蓮大聖人は「諸法実相抄」で、「行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はない。自分も

 行い、人をも教化していきなさい。行学は信心から起こる。力があるならば一文一句であっても人に語っていき

 なさい」(御書1361頁、通解)と仰せです。

 創価学会第2代会長の戸田城聖先生は御書の「発刊の辞」で、この「諸法実相抄」の一節を拝し、「剣豪の修行

 を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴」と、つづられました。

 「行学」の「行」とは信心の実践です。大聖人は「末法の今、日蓮が唱える題目は、これまでとは異なり、自行

 化他にわたる唱題行である」(同1022頁、通解)と仰せです。

 「自行化他」の「自行」とは、勤行・唱題によって自身の仏界の生命を現わしていくこと。

 「化他行」とは、人々に仏法の歓喜を語る折伏・仏法対話です。

 この実践とともに重要なのが「学」、すなわち、信心の実践の中で御書を研さんし、仏法の生命哲理を学んでい

 くことです。

 私たちは教学の研さんによって信心を深め、正しい実践を進めていくことができるのです。

 

Q.常に「御書根本」に生き抜こうと教わりました。

A.御書を心肝に染めることで、正しい信心に励むことができます。

 日蓮大聖人の直弟子であった日興上人は、大聖人のお手紙や御述作を「御書」という尊称で呼ばれ、収集や書

 写に尽力されました。また、門下に対して御書講義を行ったほか、「日興遺誡置文」の序文では、「ひとえに

 広宣流布せよとの日蓮大聖人のお言葉を仰ぐため」(御書1617頁、通解)に26ケ条を定めたとあり、日

 興上人は大聖人の精神を後世に伝えるために尽力されたのです。

 日興上人は、「わが門流においては、御書を心肝に染め、極理を師から受け伝えて、そのうえで、もしも暇が

 あるならば、天台の法門を学ぶべきである」(同1618頁、通解)と仰せです。

 大事なのは、御聖訓をただの言葉や昔話、ひとごととして捉えるのではなく、「自分のこと」「現在のこと」

 として拝していくことです。池田先生はつづられています。

 「たとえ一節でもよい。一行でもよい。『この仰せの通りだ!』『この御書は今の自分にいただいたものだ』

 と深く生命に刻みつけ、厳然たる信心で、新たな広布の戦いを起こしてゆくのだ! それが『御書を心肝に染

 め』よとの、日興上人の遺誡を守ることになるのだ」

 

Q.御書を「身で読む」とは、どういうことですか?

A.日蓮大聖人の仰せのままに、信心に取り組むことです。

日蓮大聖人は「法華経は、紙に書いてある通りに声をあげて読んだとしても、その経文に説かれる通りに振る舞

 うことは難しいであろう」(御書1001頁、通解)と仰せです。

 その理由は、末法において広宣流布を進めようとすれば、現実の上で迫害や反発などの「難」が起こるからです。

 しかし、大聖人は、こうした難に屈することなく、末法に妙法を弘められました。さらに現代において「如説修

 行」、すなわち、「仏の説の如く修行せよ」との仰せのままに、広宣流布を進めてきたのが創価三代の会長です。

 戦時中、国家権力による学会への大弾圧の中、牧口先生と戸田先生以外は皆、退転してしまいました。

 戸田先生は「教学なきゆえに、信心がわからず、臆病になり、法難に負けてしまった」と語られました。

 それゆえ、戦後、学会の再建に際して戸田先生は、折伏とともに、教学の研さんに力を入れたのです。

 池田先生はつづられています。

 「教学は、信心の軌道を照らし出す灯台である。競い起こる障魔の複雑な様相も、仏法の明鏡に照らせば、すべ

 て明らかになる。自己の堅固なる信心の骨格をつくり、人間革命の源泉となっていくのが教学といってよい」

 

 

 

 

 

 


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