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暁鐘 十一

ソフィア大学は、聖クリメント・オフリドスキ通りにあった。青い屋根をもつ重厚な石造

建築の校舎が伝統を感じさせた。  

山本伸一への名誉学術称号授与の式場となった講堂は、高い天井に彫刻が施され、荘厳な

雰囲気に包まれていた。  

式典では、I・アポストロワ哲学部長が推挙の辞を述べたあと、I・ディミトロフ総長が

立ち、古代ブルガリア語で認められた名誉博士の学位記を伸一に手渡し、握手を交わした。

集っていた学部長や教授など、約百人の参加者から、盛んな拍手が起こった。  

引き続いて、「東西融合の緑野を求めて」と題する伸一の講演となった。  

彼は、ブルガリアは、地理的にも、歴史的にも、精神面においても、“西”と“東”とが交わ

り、拮抗してきた大地であり、西洋文明と東洋文明を融合・昇華させ、新たな人類社会を

構築していくカギともいうべき可能性があることを訴えた。  

そして、ブルガリア正教など、東方正教における「神」と「人間」の距離について論じ、

東方正教では「神」と「人間」との間に介在するものは、いたって少なく、両者の距離は

近いとの洞察を語った。  

さらに、ブルガリアの革命詩人フリスト・ボテフの詩「わが祈り」の一節をあげた。  

「おお わたしの神よ 正しき神よ!   

それは 天の上に在す神ではなく   

わたしの中に在す神なのです   

わたしの心と魂の中の神なのです」(注)  

ここでは、既に「神」は「人間」の心の中にあり、民衆との隔たりはない。  

伸一は、わが胸中に「神」を見る、その考え方は、「神」が天上の高みから、人間の生命

の奥深く降り来ることによって、人びとをあらゆる権威の呪縛から解き放とうとするかの

ようであると所感を述べ、ボテフの訴える「神」について言及していった。  

「それは、虐げられた農民、民衆に、燦々と降り注ぐ陽光にも似た、人類愛の叫びであり

ます」

 

  小説『新・人間革命』の引用文献  

  注 『フリスト・ボテフ詩集』真木三三子訳、恒文社

 

暁鐘 十二

山本伸一は、人間自身のなかに「神」を見いだす、詩人ボテフらの考え方は、形態こそ違

え、ブルガリアの掲げる社会主義ヒューマニズムの理想につながり、さらにそれは、一切

の人びとに、“仏性”という尊極無上の生命が具わっていると説く、仏教の人間観さえ想起

させると述べた。  

また、人間の内なる「神」というボテフの命がけの叫びは、「宗教であれ、何であれ、

『人間のため』に存在している」ことを訴えるものにほかならないと強調した。  

宗教も、政治も、あるいは、科学も、文化、芸術も、この原点を忘却した時、たちまち堕

落の坂を転げ落ちてしまうというのが、伸一の一貫した主張であった。  

次いで彼は、オスマン帝国の「軛の下」で起こった、一八七六年の「四月蜂起」に言及し

た。そして、その民族精神の高揚こそ、何にも増して人間の尊厳を守り抜こうとする、や

むにやまれぬ生命のほとばしりであったとして、ブルガリアの担うべき役割を語った。  

「貴国の大地にへんぽんと翻る、この人間性の旗が失われぬ限り、道は、民族の枠を超え

て、二十一世紀の人類社会へと、はるかに開けているでありましょう。それはまた東西両

文明が融合し、平和と文化の華咲く広々とした『緑野』であることを、私は信じてやまな

いものであります」  

最後に、ブルガリアのシンボルが獅子であることに触れ、自分も一仏法者として獅子のご

とく、人びとの幸福と平和のために世界を駆け巡っていきたいと決意を披瀝。参加者に、

「獅子のごとく雄々しく、獅子のごとく不屈に、人間の自由と平和と尊厳の旗を振り抜い

ていっていただきたい」と念願し、約四十分にわたる講演の結びとしたのである。  

盛大な拍手が、講堂内に鳴り響いた。  

この日の名誉博士号の授与を記念して、記帳を求められた伸一は認めた。  

「学問のみが世界普遍の真理なるか   

学問が世界平和を左右しゆく真理なるか   

学問が未来の青年への正しき指標なるか」

 

 

暁鐘 十三

ソフィア大学での記念講演を終えた山本伸一が訪れたのは、文化宮殿であった。今回の

招聘元である文化委員会のリュドミーラ・ジフコワ議長(文化大臣)と会談するためであ

る。彼女は、ブルガリア国家評議会のトドル・ジフコフ議長(国家元首)の息女で、文化

を大切にするブルガリアを象徴するかのような、気品にあふれていた。  

伸一は、二月末から三月初めにかけてメキシコを訪問した折、ジフコワ議長が偶然にも同

じホテルに宿泊していることがわかり、妻の峯子と共に会っていた。この時、既にブルガ

リア訪問が決まっており、招聘の中心者が議長であった。彼女は、諸外国と文化交流を推

進していくことが平和の道を開くとの信念で、精力的に世界を駆け回っている途次であっ

た。しかし、体調を崩していると聞き、伸一たちは、お見舞いの花束を届けたのだ。  

そして、三月三日、伸一と峯子は、健康を回復したジフコワ議長とホテル内で会見した。

この日は、一八七八年にブルガリアがオスマン帝国から解放された記念日であった。  

彼女は、瞳を輝かせながら語った。  

「ご夫妻は日本、私はブルガリアと、お互いに遠く離れた世界の端と端に住みながら、こ

うしてメキシコの地でお会いできるとは、なんと嬉しいことでしょう」 伸一も全く同感

であった。  彼は、議長の体調を考慮し、会見は、早めに終わらせようと思った。  

彼女は、オックスフォード大学などで学んだ歴史学者であり、穏やかな笑みを浮かべなが

ら、話題にのぼった一つ一つの事柄の本質を、的確に語っていった。短時間の語らいであ

ったが、聡明さと知性を感じさせた。仏法にも強い関心をもっているようであった。  

「文化は橋です。国と国だけでなく、体制と体制の間にも橋を架けてくれます。私は文化

で戦争と戦いたいのです」  

彼女の断固たる言葉に、伸一は、美しき花を貫く芯を見る思いがした。「芯」とは、生き

方の哲学であり、信念といえよう。

 

 

暁鐘 十四

山本伸一と峯子は、メキシコでの出会い以来、約二カ月半ぶりに、ジフコワ議長と再会し

たのである。

議長は、白いスーツに白い帽子を被り、あの柔和な微笑をたたえながら言った。

「先ほど、ソフィア大学の名誉博士になられ、本当におめでとうございます。この学位記

の授与は、先生のこれまでの実績が、名誉博士にふさわしいからこそです。

私たちは、先生を『平和の大使』と考えております。先生は、人間と人間との交流を促進

することになる文化交流に、人生をかけていらっしゃいます。ブルガリア人は文化を重ん

じる国民ですから、先生の生き方を深く理解することができます」

伸一は、感謝の意を表した。

会談は、ブルガリア民族の歴史、文化的伝統、東洋の文化とブルガリアの関連性等に及ん

だ。そのなかで、議長は、ブルガリア人の民族的背景に触れ、ブルガリア人は、トラキア

人、スラブ人、原ブルガリア人で構成され、このうち原ブルガリア人は中央アジアから出

ており、仏教文化とも深い関係があると語った。人類は、どこかで深くつながっていると

いうのが、彼女の洞察であった。

また、今後の文化交流についても意見交換し、民音(民主音楽協会の略称)を通して合唱

団を日本へ招くことや、少年少女の交流などが話し合われ、実りある語らいとなった。

伸一は、文化政策の重責を担い、奔走し続ける議長に、気遣いの言葉をかけた。

「長い人生です。長い戦いです。ブルガリアのため、世界のために、ご無理をなさらずに

どうか、お体を大切にしてください」

彼女は笑顔で頷いたあと、毅然と語った。

「ありがとうございます。でも、重い立場にいる人には、重い責任があります。その責任

を自覚して、全力で働くしかありません。たとえ、そのために何があろうとも……。

それは、覚悟のうえのことです」

不動の決意が光っていた。覚悟なくして大業を果たすことはできない。

 

 

暁鐘 十五

一夜明けた二十二日午前、山本伸一たちは、ブルガリア国家評議会(後の大統領府)に、

国家元首である同評議会のジフコフ議長を表敬訪問した。折からブルガリア建国千三百年

祭で、外国の賓客が相次いでいることを考え、伸一は、最初に、「早くおいとまいたしま

す」と告げて、語らいに入った。  

そして、黒海の汚染が進みつつあることを憂慮していた伸一は、沿岸諸国が協力し、浄化

を進めていくことを提案した。  

黒海の海面から水深二百メートルより下は、地中海系の水が入り込み、停滞しているため

塩分が高い。溶存酸素もなく、硫化水素が多いことから、魚類はすめない状態であった。

漁業は、主に、水深が浅く、各河川の流入で塩分の少なくなった北岸で行われてきた。

しかし、この沿岸も、近年、各河川からの、流入泥土などによるヘドロ化が懸念されてい

たのである。  

「そこで、貴重な自然資源を守るうえからも、二十一世紀をめざして、黒海をたくさんの

魚がすむ、豊かな“青い海”にしていってはどうでしょうか。その費用を捻出するために、

沿岸諸国は、互いに少しずつ武器を減らし、力を合わせて、黒海をきれいにしていっては

どうかと、提案したいと思います」  議長は賛同しつつ、こう述べた。  

「そうです。お互いに武器を減らさない限り、その構想を実現することは不可能です。

しかし、アメリカとソ連の緊張関係があり、北大西洋条約機構(NATO)とワルシャワ

条約機構(WTO)の緊張関係があります」  

ソ連をはじめ、ブルガリアなどはワルシャワ条約機構の加盟国だが、黒海南側のトルコは

北大西洋条約機構に加盟している。  

黒海の海はつながっている。しかし、沿岸諸国の背景にある東西両陣営の対立が、国と国

との結束を阻み、環境破壊を放置させる結果になっているのだ。イデオロギーが人間の安

全に優先する――その転倒を是正する必要性を訴え、伸一は世界を巡ってきたのである。

 

 

 

 

 


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