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〈希望航路 池田先生と進む人生旅〉 オーストリア2

2017年9月21日

 

共に師弟栄光の劇を!

 

***ウィーン市立公園に集ったオーストリアの友に

***「皆、幸福で」「最高に楽しい人生を」と語り掛け、

***記念撮影に臨む池田先生

*****************(1992年6月10日)

 

オーストリア広布の拡大の転機は、

1981年5月の池田先生の激励行である。

次の訪問(92年)までの11年間に入会した友は今、広布の中核を担う。  

86年に御本尊を受持したラリー・ウィリアムス理事長も、83年に入会したヴァレリー・ルボー婦人部長も、

そうしたメンバーだ。  

また、日本とオーストリアの文化・教育交流が進み、SGIへの理解が広がった。  

90年7月には、創価大学とクラーゲンフルト大学との間に、交流協定が結ばれている。翌91年6月、オース

トリア芸術家協会は先生の写真芸術の業績を高く評価し、「在外会員」の証書を授与。92年には「自然との対

話――池田大作写真展」が、オーストリア文部省の後援のもと、同協会と東京富士美術館の共催で開かれている。

理事長のウィリアムスさんは、プロの写真家である。26歳の時、ウィーンの中心にスタジオを構えた。彼の広

告写真は街路を飾り、全国に名をはせる。  

だが、多忙を極め、体が悲鳴を上げた。28歳で肝臓病を患い、生命の危機にひんする。  

重篤患者ばかりの病棟で毎日のように人の臨終に接し、“地位や名声を得ても、生老病死の苦しみからは逃れられ

ない”と思った。  

退院後、仕事を共にした新聞記者から仏法の話を聴く。85年秋、誘われて行ったのは、ベルヴェデーレ宮殿の

傍らにあるアパート。4年前に先生ご夫妻が訪問し、オーストリア広布の発展を祈った、ナカムラ初代本部長の

自宅だった。  

「世界広布を願う先生の題目に導かれ、地涌の使命を自覚しました」と、ウィリアムスさんは言う。  

翌年、30歳で入会。日本でのSGI研修会に参加し、先生との出会いを重ねた。  

男子部のリーダーとして広布をけん引し、第2次宗門事件の時も、正義の言論で同志を守った。  

92年6月10日、ウィーン市立公園で、先生ご夫妻、同志と共に記念撮影を行った。  

終了後、先生はドイツ訪問のため、車でウィーンの空港へ。駐車場から出る際、車道で交通整理をしていたのが

ウィリアムスさんだった。  

先生は、車の窓を開け、右手を胸に当ててお辞儀をし、感謝の心を示した。  

“陰の人”を忘れない。真心には真心で応える。その時の先生の温かなまなざしが、ウィリアムスさんの胸を離れ

ない。

ルボー婦人部長は、フランス・マルセイユの出身。57歳でアルツハイマー病を発症した母を救いたいと、83

年に入会した。闘病をわが事のように捉え、祈り、支えてくれたメンバーの真心に感激し、不退の信心を誓う。

パリの大学を卒業した後、高校の非常勤講師として、英語とフランス語を教える。87年にオーストリアに移住

し、国連職員になってからも広布の最前線を走り続けた。  

オーストリアSGIの初代女子部長に就任し、91年6月、南仏トレッツの欧州研修道場で、先生から声を掛け

られた。  

「あなたのことは知っているよ。妻と一緒に聖教新聞で見たよ。女子部長だね」  

女子部長就任の際に掲載された聖教新聞の小さな記事を、覚えていてくれたのだ。感激がこみ上げた。  

彼女には、忘れられない記憶がある。ウィーン市立公園での記念撮影の折、地道な信心を貫いてきた老紳士の前

で、先生は立ち止まり、深々と頭を下げた。撮影が終わった後、普段は寡黙な老紳士が、感動の面持ちで語った。

「今まで、私に、あそこまで丁重に感謝を表し、関心を寄せてくれた人はいませんでした。先生の真心に涙の出る

思いでした」 「励まし」とは、目の前の相手を尊重し、感謝の心を表すことから始まる。先生の姿にそう教わっ

た。  

ルボーさんは、国連職員の要職を担いながら2人の子を育て、家庭を守ってきた。  

夫のウィリアムス理事長と共に、広布拡大に尽力。長男のシンイチさん、長女のヒロミさんは英国の大学に在籍し、

後継の人材に成長している。  

多忙な日々にも、ルボーさんは、メンバーの激励を欠かさない。  

女子部時代は、朝、出勤前に女子部員宅を訪問。メンバーと一緒に勤行・唱題し、同志と共に一日のスタートを切

った。7年前に婦人部長に就任してからも訪問激励に徹し、心の絆を大切にする。  

青年部は、そんなルボーさんを“母”“姉”のように慕い、信心を学んでいる。

ルイーゼ・シミズさん(副総合婦人部長)は欧州副女性部長を兼任し、主に東欧諸国を回りながら、同志の激励に

奔走している。  

シミズさんは、神奈川・鎌倉で生まれた。戸田先生の願業「75万世帯」への拡大の中、1955年5月、母・兄

と共に入会。当時は父の酒乱に悩み、御本尊に向かう母の背中に信心を学んだ。  

父の仕事の関係で縁したドイツへの留学を志し、74年、ヴュルツブルクの大学へ。修士号を取得した。  

日本の交流団の通訳を担当した際、婦人部の友から、当時本紙に連載されていた小説『人間革命』第10巻の切り

抜きをもらった。  

描かれていたのは、「大阪の戦い」。一心に師匠を求め、報恩を貫く山本伸一青年の姿に胸を熱くした。  

81年、ドイツを訪問した先生は、運営役員だったシミズさんに、「ありがとう」と。  

「その凜々しく誠実な姿は、私が思い描いていた山本伸一青年の姿そのものでした」  

その後、彼女はドイツ語のSGI公認通訳として、先生と識者との会見に同席。83年6月には、ライン川の船上

で行われた先生とドイツの哲学者ヨーゼフ・デルボラフ博士との会見で通訳を務めた。  

その際、先生から父のことを聞かれ、「いい娘になるんだよ」と声を掛けられた。  

また後年には、博士との対談集『21世紀への人間と哲学』に「思い出の 対話の一書 わが君に」と記し、贈っ

てくれた。  

師の指針を胸に、父の幸せを真剣に祈った結果、信心に反対していた父が、自らすすんで先生の著作をひもとくよ

うに。教学試験に挑み、同志と家庭訪問に歩くようになり、大好きだった酒も飲まなくなった。師の激励に応え、

一家和楽の信心を築いたのだ。  

シミズさんは今、オーストリアSGIの書記長を務める夫のヒロユキさんと広布の道を歩む。2人の娘も信心を継

承し、長女のタカコさんは婦人部グループ長、次女のヒロコさんも女子部員として、希望の人生を開いている。

92年6月11日、ドイツ・フランクフルト市内でヨーロッパ代表者会議が開催された。  

席上、先生は、前日に行われたウィーン市立公園での記念撮影で、オーストリアの同志に会えた喜びを語っている。

出会いの場所に立っていたのは、ワルツ王とたたえられたヨハン・シュトラウス2世の像。先生はワルツの歴史に

触れつつ、こう述べている。  

「ワルツは“市民の音楽”である。貴族文化に対して、新しく下から盛り上がっていった新興の市民層の感情を表現

している。私ども、妙法で結ばれた世界市民も、軽快に、そして楽しく――ワルツを踊るような気持ちで、ともど

もに広宣流布の旅を勝利してまいりたい」  

偉大な師の境涯に触れれば、試練に立ち向かう勇気が湧く。師と共に戦う喜びは、いかなる苦難をも使命に転じて

いけるのだ。

“広宣流布は、ワルツのように”――先生の指針に呼応し、広布の舞台に立つオーストリアの友は、師弟栄光の劇を

舞いゆく。

 

 

 

 

 


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