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〈希望航路 池田先生と進む人生旅〉 スイス②

2017年9月9日

勇気の唱題で勝利の証しを

 

 

********第1回スイスSGI総会で、

********広布の指針を贈る池田先生

************(1983年6月11日、チューリヒで)

 

チューリヒ市内を走るジール川。そのへりに立つニレの木立を初夏の風が吹き

抜ける。緑陰からは、にぎやかな声が響いていた。  

川に面する中華レストラン「リー・タイ・ペイ」(当時)。

1983年6月11日、ここで、初のスイスSGI総会が開かれた。  

会場中央には、フランス語の赤い花文字で「BIENVENUE SENSEI

(ようこそ、先生)」との横断幕が。他の欧州諸国やナイジェリアからも友が集い、祝賀の催しが開かれた。  

ジュネーブ、チューリヒ、ルガノ、ベルンの友らによる民謡や民族音楽の合唱・演奏を見守った池田先生は、

「美しき国で、美しき心の人々と、美しき調べを聞きながら、有意義なひとときを過ごせました」と感謝を述べ、

スピーチした。  

時間やルールに厳格なスイスの国民性を踏まえ、先生が話のテーマに据えたのは、「限られた時間をどう活用す

るか」。アメリカの鉄鋼王カーネギーが、夕食後の時間を重視したことを通し、「人生を決定づける“黄金の時

間”を、我々は福運を積むため、宿命の打開のため、法のため、社会のため、平和のため、広宣流布のために費や

している。これほど尊い、有意義な時間の活用はない」と語った。  

この時、スイスSGIに本部が結成され、ジュネーブ、チューリヒ、ルガノに新支部が誕生。チューリヒの初代

支部長に就任したのは、フミオ・イナガキさん(参与)である。  

イナガキさんは、33年11月、台湾の豊原で生まれた。5人兄弟の次男。父は精糖会社で働き、母は小学校の

教師をしていた。日本への引き揚げは、第2次世界大戦の終戦の翌46年4月である。  

当初、名古屋の伯父の家に入ったが、翌月に父が肺結核で急逝。佐賀に住む叔母のもとに身を寄せた。  

大学進学で広島へ。福山で見たバレエ公演に魅了され、卒業後に上京。渋谷でバレエダンサーを目指した。  

小牧バレエ団などを経て、チャイコフスキー記念東京バレエ学校に在籍。海外進出を考えるも、資金も人脈もな

い。「かなわぬ夢」と諦めていた。  

ある日、道玄坂にあった呉服屋の主人に声を掛けられる。「若いのにさえない顔をしているね」。主人に誘われ、

初めて学会の座談会に参加した。  “海外に出たい”と夢を語ったイナガキさんに、「1年間、真剣に信心をすれ

ば、ロンドンでも、パリでも、どこにでも行けるよ」との返答が。いちるの望みを懸け、64年11月、御本尊

を受持した。  

初信の功徳で、仕事が次々に舞い込み、渡航資金がたまった。また、知り合いのパントマイマーが仕事でパリに

行くことに。翌65年夏、彼を頼りに、イナガキさんも、念願のパリの地を踏む。  

やがて、知人の紹介で、バレエダンサーとして、チューリヒにあるオペラ劇場の舞台に立つチャンスを得た。

67年12月、向かったチューリヒには、SGIのメンバーが一人もいなかったという。イナガキさんは、在籍

したバレエ学校の仲間を折伏。毎月、弘教を実らせていった。  

83年6月11日、チューリヒに滞在していた先生から「何か望みはありますか」と聞かれ、「スイスでも学会

の出版物が読めるようになれば、うれしいです」と答えた。翌月から聖教新聞や大白蓮華が届くように。師の指

針を抱き締め、メンバーのもとへと駆けた。  

86年、市内に個人会館を構え、93年秋にはチューリヒ会館が誕生した。イナガキさんは個人会館の時から3

0年以上、会館での朝の勤行を欠かさない。  

83歳の今もバレエの講師として、オペラ劇場付属のバレエ学校に所属し、自らも舞台に立ちながら後進を育成。

教え子たちは、世界各国の舞台で華々しく活躍している。  

第1回スイス総会。会場内の横断幕には、丁寧な手書きの文字で、“初のスイスSGI総会”と。全参加者が読め

るように、フランス語、ドイツ語、イタリア語の3カ国語で書かれてあった。  

先生は「こんな素晴らしい横断幕は、日本でも作れる人はいないよ」と感嘆し、作成者をねぎらった。  

その一人、ピエトロ・ボナノミさん(総合壮年部長)は、「先生は、“陰の人”を徹して大事にしてくださる方な

のだと知り、感動で胸が震えました」と述懐する。  

ルガノで生まれたボナノミさん。幼少時から青少年のためのボランティア活動に参加。中学卒業後は、専門学校

で建築技術・デザインを学び、建設会社などで働いた。  

多忙な日々にも空虚感を覚え、充実の人生を模索するように。ある日、剣道仲間から本を手渡される。池田先生

の著書だった。  

「人生には『師弟の精神』が不可欠だと確信しました。先生の弟子になり、自他共の幸福を開く生き方をしたい

と思ったのです」  76年に入会し、一度は断念した進学の道を目指す。  

30歳を超えての挑戦。苦学の末、82年に難関のスイス連邦工科大学ローザンヌ校への入学を果たした。  

学会活動も一歩も引かず、翌年には、ローザンヌ班の班長に就任。信心根本に研究に励んだ。  

そして87年には資格を取得し、憧れの建築家になる。大学や専門学校の教壇にも立つなど、信心の実証を示し

ていった。  

夢を実現したボナノミさんにとって、忘れ得ぬ出会いが訪れる。89年6月17日、ジュネーブで、第2回スイ

スSGI総会が開催。舞台で、民族楽器「アルペンホルン」を吹くボナノミさんのもとに歩み寄った先生は、肩

を抱いて励ました。  

ボナノミさんからアルペンホルンを受け取った先生は、ユーモアをこめ、吹く仕草を。その真心に参加者は感動

し、会場は明るい笑顔の花に包まれた。  第1回スイス総会の終盤、先生は「勇気の信心」の重要性について、

こう語った。  

「石を打つ時、力が弱ければ火は出ない。同じように、『信』弱き唱題では、所願の成就は難しい」  「御本尊

への勇気をもった唱題、大聖人の仰せ通りの勇気ある実践に、想像もできない功徳の実証と人生勝利の証しがあ

ることを確信してください」  

この指針を胸に、スイスの友は、着実に広布を進めてきた。  83年6月に結成された1本部3支部から、現在

は3方面13支部に拡大。国土の隅々まで、師弟の絆で結ばれた「異体同心の団結」が輝いている。

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