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〈希望航路 池田先生と進む人生旅〉 スイス1

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   東欧ルーマニアからスイス・チューリヒの

***空港に降り立った池田先生ご夫妻。

***16年ぶり5度目のこの訪問では、

***第1回スイスSGI総会が開催されるなど、

***新たな広布拡大の転機となった

*************(1983年6月9日)

池田先生とSGIの同志の出会いをつづる「希望航路」。今回は、先生が6度訪問したスイスに輝く師弟のドラマ

を紹介する。

池田先生が、スイスに第一歩をしるしたのは、1961年10月16日。ジュネーブでチューリヒ行きの飛行機を待つ間、

スイス広布の一粒種である婦人のサキ・ブローさんらに励ましを送った。『新・人間革命』「歓喜」の章には、そ

の場面が描かれている。

山本伸一は語る。「あなたは人一倍、苦労をされてきた。その人こそ、誰よりも幸せになっていけるし、みんなを

幸せにしていく、最高の資格があるんです。それが仏法の原理です」

ブローさんは、この日の激励を生涯の宝として、広布の礎を築いた。今日のスイスSGIの発展は、一婦人に対す

る先生の激励から始まったのである。

先生は、63年1月にジュネーブを再訪し、教学試験と座談会に出席。先生との出会いを結んだ友は今、壮年・婦人

部のリーダーとして広布の中核を担っている。

チューリヒの空港に到着した先生に、歓迎の花束を贈ったアンヌ=マリー・チャボルドさん(婦人部長)もその一

人だ。彼女は、「当時はまだ若く、信心の確信は、それほど強くありませんでした」と述懐する。後日の懇談会で

その思いを先生に伝えると、力強い声が返ってきた。「『疑い』があるのは普通だよ。大切なのは、『疑い』に勝

つほどの題目をあげていくことだ。心配ない。必ず実証がでるよ」 この言葉が、信心の土台となっていったので

ある。彼女の出身国は、地中海の東岸に位置するレバノン。同国出身の父とスイス出身の母のもとに生まれた。

レバノンでは75年に内戦が勃発。キリスト教徒とイスラム教徒・パレスチナ人の連合勢力との争いに、シリアやイ

スラエルなどが介入し、15年間、紛争が続いた。勃発時、彼女は19歳だった。パレスチナ人の収容所が砲撃を受け

た際、付近にあった一家のアパートも被弾。生命の危機が迫り、母、きょうだいと地下室に身を潜めた。避難した

山中で、軍人の父に助けられ、命からがら、母の祖国スイスに亡命した。つらかったのは、軍人としてレバノンに

残る父との別れだった。内戦は、大切な家族の絆をも引き裂いた。

彼女は言う。 「もともと、私の家族はギリシャ正教を信仰していました。でも、キリスト教とイスラムの争いに

直面する中で、平和を実現できる他の宗教を求めるようになっていったのです」

彼女が仏法に巡り合ったのは76年。先に入会した兄の勧めで弟と信心を始め、翌77年には母も入会した。

度重なる苦難も、信心で乗り越えてきた。彼女と弟は、結核を患い、経済苦も深刻に。治癒した彼女は百貨店で働

き、弟の治療や家計を支え、職場の同僚や上司に弘教を実らせていった。

80年春、彼女は、数人のメンバーと共に、SGIの研修で訪日。東京の宿舎に着くと、部屋のテーブルの上に1枚

のカードが。「ウェルカム トウ ジャパン(ようこそ日本へ)。ダイサク&カネコ イケダ」と。 真心こもる

メッセージが、長旅の疲れを癒してくれた。

彼女は、「先生と奥さまの慈愛に触れ、師匠とは、これほどまでに温かいのかと感激しました」と振り返る。

この前年、先生は会長を辞任。悪辣な宗門僧らによる迫害の渦中にあって、先生は、スイスの友を神奈川で迎え、

ピアノを弾いて励ました。

感謝の思いを込め、スイスの友は民謡を披露する。彼女は語る。「私たちの歌は、お世辞にも上手と言えるもので

はありませんでした。それでも、懸命に歌う私たちに、先生は拍手喝采で応えてくださいました」

81年には、彼女の母が、SGI研修で日本へ。母は懇談会の場で、先生に、「夫に信心をさせたいと思っていま

す」と、決意を伝えた。当時、父はまだ、軍人として、レバノンにいた。

スイスの地に父を呼び、家族全員で暮らしたい。一家和楽の信心に励みたい。それが、母子の願いだった。

先生は語った。 「家族が一遍に信心をすることも素晴らしいけれど、家族が後から次々に入会すれば、喜びが二

度も三度も味わえます。諦めずに挑戦を続ければ、祈りは成就しますよ」

先生の言葉通り、母子の祈りは2年後に実現する。父が軍を退役し、スイスへ。85年には、信心を始めた。

第2回スイスSGI総会(89年6月)には父も参加。お気に入りのネクタイを着けて意気込む父に、先生は「素晴

らしいネクタイですね」と声を掛けてくれた。一家にとって、生涯忘れ得ぬ「宝の思い出」である。

83年6月12日、先生は、次なる訪問国スペインに向かうため、チューリヒのホテルを出発した。その際、ロビーに

いたチャボルドさんと弟のフランソワさんを激励している。フランソワさんが、”大学に進むべきでしょうか。それ

とも働くべきでしょうか”と尋ねると、先生は「甘えを排して、心を鍛えるという意味では、社会に出て働くことも

いい経験だよ」と言って振り返り、「お姉さんはどう思う?」とチャボルドさんに聞いた。   「まずは大学に行っ

て勉強し、社会に出る力を付けてもらいたいです」と答えた彼女。先生は膝を打ち、「その通りだ!最初からお姉

さんに聞くべきだったなあ」と語ると、笑顔が広がった。

先生は「お姉さんの言うことをよく聞いて、信心に基づいて判断していくんだよ」と語り、弟を励ました。

先生の出国を見送った後、感謝の手紙をしたためた彼女に、先生からの伝言届いた。

「誠実なお手紙、ありがとうございます。あなたと弟さんが、勇気をもって人生を歩んでいけるように、祈ってい

ます」と。

その後、弟ハジュネーブ大学法学部を卒業し、司法試験に合格。ジュネーブで法曹として活躍している。

チャボルドさんも、チューリヒ大学に進学し、教育学とフランス文学・言語学で二つの修士号を取得。現在は、中

学・高校でフランス語を教えている。

スイス広布の一粒種となったサキ・ブローさんをはじめ、草創期を駆けた婦人部の友。後継ノバトンを手に広布の

道を走るチャボルド婦人部長は、未来への展望をこう語る。

「スイス婦人部は、皆が師匠を心に抱き、縁する人を幸福に導いていきます。そして青年部を育成し、家族のよう

仲の良い団結で、広布の大城を築いていく決意です」

 

 


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