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〈随筆 永遠なれ創価の大城〉23 民衆勝利の七十年

2017年8月25日

 

師弟誓願は時空超え未来へ厳然

「対話」から人間革命も一切の変革も始まる

 

1947年(昭和22年)8月14日、大田区内の座談会。

「われ 地より湧き出(い)でんとするか」

――凜々しき青年は即興詩に詠んだ。

油彩画「池田先生と恩師との出会い」(内田健一郎作)

 

その一枚の絵は、七十年前の出会いを鮮烈に蘇らせてくれた。  

一九四七年(昭和二十二年)の八月十四日、私が師匠・戸田城聖先生に初めてお会いした座談会の光景を、小説

『新・人間革命』の挿絵でお世話になっている内田健一郎画伯が描いてくれた油彩画である。  

総本部の恩師記念会館で、師恩への感謝の勤行を行った折、妻と感慨深く鑑賞させていただいた。(今月二十二日)

 あの日あの時、戸田先生の声は、慈父の如く温かくも懐かしかった。  「池田君は、幾つになったね?」  

「なんでも聞いてあげるよ」  それは、久遠から約束されていた、必然の邂逅であったに違いない。  

「正しい人生」の道を求めてやまない十九歳の私を、先生は「どうだ一緒にやるか」と導いてくださった。

“この人ならば信じられる!”と、師にお仕えし、共に進みゆくことを、一人、心に深く決めた。出会いから十日後

の八月二十四日、私は入信したのである。

 

「師子吼」を共に

御本仏・日蓮大聖人は法華経に説かれる「師子吼」の意義について、『師とは師匠授くる所の妙法 子とは弟子受

くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり』(御書748頁)と仰せになられた。 私が常に立ち返ってきた

「御義口伝」の一節である。  

わが師匠には、全民衆を救い切っていくのだとの「地涌の菩薩」の大生命が漲っている。  ゆえに弟子である自分

も、この師と心を一つに祈り、戦い抜くならば、同じ勇気と智慧が湧いてこないわけがない。  私はそう定めて、

広布の最前線を走り、拡大の突破口を開いていった。誰もが不可能と尻込みする激戦にも、 “これは広宣流布の大

師匠の構想だ。ゆえに、勝てないわけがない。 いな、断じて勝たねばならない”と、一念に億劫の辛労を尽くしつ

つ、勝利の旗を一つ一つ打ち立ててきたのだ。  

そして、わが同志は、難を恐れず、労苦も惜しまず、地涌の底力を現して、私と共に勇敢に戦い勝ってくださった。

ただただ感謝を捧げたい。

 

生涯かけた信念

思えば、歴史を変えた先人たちも、青春の誓いを生涯の主題とし、試練を越える力としていた。    

――古代ギリシャの大哲学者プラトンは、若き日にソクラテスの門下となった。師が処刑されたのは、彼が二十八

歳の頃だ。以来、真正の弟子として、一生を懸けて師の正義を宣揚していった。 ――マハトマ・ガンジーは二十

代前半に渡った南アフリカで人権闘争に立ち上がり、インド帰国後は、民衆の自立と祖国独立のため命を捧げ、非

暴力の大闘争を貫いた。  

私が戸田先生にお会いした一九四七年の八月十四日は、奇しくもインド独立の前夜であった。  

ガンジーの直弟子だったパンディ博士とも、私は親交を重ねた。博士は十四歳でガンジーの弟子となった。九十歳

を超えても、“私は師の教えを叫び続けます”と闘魂を燃やされていた。  

私が共に対談集を発刊したラダクリシュナン博士は年代的に、師匠と仰ぐガンジーと直接、会う機会はなかったが、

師弟の道を突き進まれている。師弟とは、時空を超えた絆なのである。    ――中国の周恩来総理と鄧穎超先生の

ご夫妻も忘れることはできない。「五・四運動」の渦中、若くして革命に身を投じたお二人であった。生涯「生命

不息、戦闘不止(命ある限り、闘いを止めない)」との信念に徹し抜かれた。  ――南アフリカのマンデラ大統領

は二十代で人種差別の撤廃運動に飛び込んだ。 二十七年半の投獄にも屈せず、巌窟王の如く「闘いはわが人生」と

屹立されていた。  

「誓い」を果たし抜く人生は、何と爽快であろうか。 なかんずく、師弟共戦に生き抜いて、弟子として師匠に勝利

と報恩の誠を捧げられることは、何と誇り高き栄光であろうか。  八月二十四日は「壮年部の日」。「誓い」に生

きる、広布の盟友たちに栄光あれ、健康長寿であれと、私は祈っている。

 

弟子が躍り出よ

御書には『師匠は大地の如し』(900頁)と譬えられている。  豊饒な大地から多種多様な草木が、自在に枝葉を

伸ばし、万花を咲かせていく。 同じように、師弟が広布の「誓い」を共有する大地からは、文化・教育・平和の価

値創造を担う多彩な人華が咲き、人間主義の花園が絢爛と広がっていくのだ。  

広布の使命と責任を分け合う縁ゆえに、戸田先生と私は、あらゆることを語り合い、たゆまず手を打ってきた。

「聖教新聞」発刊の淵源も、 戸田先生の事業が窮地に陥った一番苦しい時に、師弟の対話で着想されたものであっ

た。奇しくも私の入信三周年(一九五〇年)の八月二十四日のことである。  

「創価大学」の創立の構想は、同じ年の晩秋、神田の日本大学の食堂で、戸田先生と食事をとっている折に伺った。

六十年前(一九五七年)の九月八日、恩師が発表した「原水爆禁止宣言」の精神を、私たちは叫び抜き、展開して

きた。 核兵器なき世界を願う声の高まりは本年、遂に国連での「核兵器禁止条約」の採択に結実した。  

恩師が遠大な広宣流布の未来像を語ってくださったことも蘇る。 ――創価学会は将来、必ずや世界の平和と文化を

担う、中核的な存在としての使命を持つに至るだろう。 そのための人材を育てる教育的母体となっていくに違いな

い。この「人間革命」の運動が人類の宿命をも変えていくのだ、と。  

「立正安国」即「世界平和」を築きゆく創価学会の大使命を、明快に示してくださったのだ。  先生は、「レール

は敷いておくからな。後は、君たちが思う存分に戦って広げよ」と語られた。  私は不二の分身として、日本中、

世界中を回って種を蒔いてきた。あの地にも、この国にも、地涌の菩薩よ、涌出せよと、大地に題目を染み込ませ

る思いで、一心不乱に祈り動いてきた。

 

一人を宝として

地涌の拡大は、出会った一人また一人を輝く希望の宝として、心から励まし、結んだ縁を、一つ、また一つと大切

に育む積み重ねに他ならない。 焦点は、常に目の前の「一人」である。 この夏も、多くの同志が、私の心を心

して、宝の未来部の一人ひとりを激励してくれている。その尊き「未来までの物語」に感謝は尽きない。 とも

あれ、我らの行進は、常に伸びゆく若人と一緒にある。  

先日、私は創価文化センターを訪れ、創価学園創立五十周年の記念展示をじっくり見学した。(今月十三日)  

わが七十年の平和と文化と教育の使命旅の実に五十年が、学園生と共にあったことを振り返りつつ、これからも未

来永遠に若き後継の友が続いてくれることを、うれしく展望する一時となった。

 

天の時に暁鐘を

大文豪・魯迅の言葉に、「もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」とあった。

私が歩み始めた「師弟の道」も、最初は、誰も気づかない小さな一本の道だった。 しかし今や、日本中、さらに

全地球にまで伸び広がって、創価の民衆が誇り高く闊歩しゆく大道となったのだ。  御書には、『涌出とは広宣

流布の時一閻浮提の一切衆生・法華経の行者となるべきを涌出とは云うなり』(834頁)と示されている。  

この夏も、インドから、またブラジルから、地涌の青年たちが誓願に燃えて来日してくれた。

今月末には、五十五カ国・地域から二百八十人の若人が集い、SGI青年研修会が開催される。  

各地での青年大会も、今月、大成功を収めた岩手、石川、富山に続き、 来月も宮城、山形、青森で意気軒昂に行

われる。  

創価の師弟の道に行き詰まりは絶対にないことを勇んで証明しゆく、若き愛弟子たちの躍進は、頼もしい限りだ。

さあ、人間革命の拡大へ、対話をいやまして広げていこうではないか!  「いよいよ」「これから」の本因妙の

生命で!

 

*****よからんは

 *****不思議と 覚悟の

       *****七十年   

 *****師弟は勝ちたり      

   *****閻浮に広布を

 

    

*****朗らかに   

 *****民衆の心田へ    

  *****仏種 植え   

 *****平和の花園    

  *****地球に広げて  

 

    

*****天の時   

 *****創価の世紀の    

  *****暁鐘を   

 *****地涌の勇気で    

  *****いざ打ち鳴らせ  

 

    

魯迅の言葉は『魯迅文集1』所収「故郷」竹内好訳(筑摩書房)

 

 

 


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