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雄飛 五十一

前年十月、アメリカで教学の研鑽を呼びかけた山本伸一は、今回の訪問でも自ら率先垂範

して御書を拝し、指導していった。 世界教学最高会議では、『行学の二道をはげみ候べ

し、行学た(絶)へなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よ

りをこるべく候、力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし(御書1361頁)

の御文を通して訴えた。  

「『行』とは、自行化他にわたる実践であり、唱題と折伏のことです。『学』とは教学の

研鑽です。『行学』に励む人こそが、真の日蓮大聖人の門下です。そして、この二道の絶

えざる実践がなければ、それは、もはや仏法ではないと、大聖人は仰せなんです。  

このお言葉通りに実践し、さまざまな難を受けながら、広宣流布を進めてきたのは学会し

かありません。この厳たる事実は、誰人も否定することはできない。  

『行学』の二道は、信心から起こる。『行学』を怠っているということは、信心を失って

いることにほかならない。

信心とは、いかなる脅し、迫害、誘惑にも絶対に屈せず、不退を貫き、ひたぶるに御本尊

を信受し、広宣流布に邁進していくことです。  

『行』と『学』は、信心を機軸にした車の両輪といえます。したがって、いくら知識とし

ての教学に精通していったとしても、『行』という実践がなければ、片方の輪だけで進も

うとするようなものであり、正しい信心の軌道から外れていかざるを得ない。  

これまでにも実践なき偏頗な教学に陥り、われ偉しと思い、傲り高ぶって、健気に信心に

励む同志から嫌われ、退転していった人もおりました。まことに残念でならない。  

私たちは、いわゆる職業的仏教学者になるために教学を研鑽するのではない。自身の信心

を深め、一生成仏をめざすためであり、広宣流布推進のための教学であることを、あらた

めて確認しておきたいのであります」  

創価教学とは実践の教学であり、自他共の幸福を創造する生命の法理の探究である。

 

雄飛 五十二

ハワイで山本伸一は、太平洋戦争開戦の舞台となったパール・ハーバー(真珠湾)の戦艦

アリゾナ記念館を訪れて献花し、平和への深い祈りを捧げた。また、世界十五カ国・地域

の代表も参加して、ワイキキシェル野外公会堂で盛大に開かれた第一回日米親善友好大文

化祭にも臨んだ。  

さらに彼は、ハワイ方面の各地から集ったリーダーの御書学習会を担当し、「開目抄」を

拝して、末法の広宣流布に生きる同志の、尊き使命に言及していった。  

「東西の対立の壁は、世界を分断し、混迷の度は深まっています。私どもは、日蓮大聖人

の門下として、全人類の救済をめざして、南無妙法蓮華経という最高の大法を流布しなが

ら、今、再び、人間の生命の奥深く覚醒の光を当て、幸福と平和の暁鐘を打ち鳴らしてい

こうではありませんか! 人びとの心の闇を破らずして世界の平和はありません。生命の

尊厳といっても、己心の『仏』を顕在化させ、一人ひとりの人間を輝かせることから始ま

ります。

仏法をもって人びとを蘇生させながら、文化をもって人間と人間を結び、永遠なる人類平

和の橋を架けることこそが、私たちの社会的使命です」  

ハワイでの八日間にわたる記念行事を終えた伸一は、一月二十日午後二時前(現地時間)、

空路、ロサンゼルスへ向かった。  

そして、サンタモニカ市の世界文化センターで平和勤行会や、各国・地域の機関紙誌を発

行する世界編集長会議、ロサンゼルス市制二百年を記念してシュライン公会堂で開催され

た日米親善大文化祭などに出席した。  

一万五千人が集って行われた、この大文化祭は、世界平和を願う日米の友の友情共演や、

開拓者魂を歌い上げたミュージカルなどがあり、大喝采を浴びた。来賓として観賞した著

名な女優は、頰を紅潮させて語った。  

「何か、熱い人間の魂の輝きを見た思いです。この団体のめざす理想、精神に触れ、その

すばらしさに感動しました」  文化は心の共鳴をもたらし、人間を結ぶ。

 

雄飛 五十三

日本では、一月二十四日、あの山脇友政が、学会への恐喝及び同未遂の容疑で逮捕された。

警視庁は、前年十月に告訴を正式受理し、以来、事情聴取を重ね、慎重に捜査を続けてき

た。そして、遂に容疑が固まり、逮捕に踏み切ったのである。

山脇は、自らを擁護するために一部週刊誌などを使って、さまざまな反学会キャンペーン

を展開してきたが、その後の裁判の過程などで、彼がいかに虚偽に満ちた、信憑性のない、

悪質な言動を繰り返してきたかが、白日のもとにさらされていくのである。

山脇が逮捕されると、東京地検から伸一に、事情聴取の要請があった。学会としても、真

相を究明し、断じて正邪を明らかにしてほしかった。彼は、この要請に応じるために、急

遽、アメリカ指導を中断し、いったん帰国することになった。

伸一は、アメリカのメンバーに告げた。 「どうしても帰らなければならなくなってしま

いました。また戻ってきます。アメリカは世界広布の要です。しっかり団結して、世界模

範の人間共和の組織をつくってください」

彼は、二十八日に帰国すると、四度にわたって事情聴取に応じた。また、県長会議メンバ

ーとの懇談会等に臨み、二月十五日、再びアメリカへ戻った。

伸一は、サンタモニカ市の世界文化センターやマリブ研修所で指導、激励を重ね、マイア

ミ市に移り、十九日にはパナマへ飛んだ。 パナマは七年ぶりの訪問であり、多くのメン

バーが誕生していた。中米七カ国の代表らとの懇談、パナマ国立劇場での日パ親善文化祭

への出席、大統領やパナマ市長らとの会談、日本人学校への図書贈呈、パナマ大学の訪問

など、彼は、新世紀への布石を打つために、精力的に動きに動いた。

「時間はだれをも待ってはくれない、ということである。もしそれを建設的に使わないな

らば、たちまち過ぎ去ってしまうのだ」(注)とは、アメリカ公民権運動の指導者キング博士の言葉である。

 

  小説『新・人間革命』の引用文献

   注 マーチン・ルーサー・キング著

     『黒人の進む道』猿谷要訳、サイマル出版会

 

雄飛 五十四

二月二十六日、山本伸一は、パナマからメキシコへ向かった。メキシコの正式な訪問は、

十六年ぶり二度目である。

パナマでも、メキシコでも、空港では国営テレビや新聞社の記者会見が待っていた。

それは、学会の平和・教育・文化の運動が、世界各地で高く評価されてきたことを裏づけ

るものであった。

メキシコ市では、会館を初訪問したほか、メキシコ市郊外にある古代都市テオティワカン

の遺跡の視察や、日本・メキシコ親善文化祭などに出席した。

三月二日には、大統領官邸を表敬訪問し、ホセ・ロペス・ポルチーヨ大統領と会見した。

さらに、図書贈呈のためメキシコ国立自治大学を訪れ、総長らとも会談した。

大学を後にした伸一は、途中、車を降り、同行していた妻の峯子と市街を歩いた。

広々とした目抜き通りに出ると、陽光を浴びて独立記念塔が、空高くそびえ立っていた。

柱の上に設置された、金色に輝く像は、背中の翼を大きく広げ、右手に勝利の象徴である

月桂冠を、左手には勝ち取った自由を表す、ちぎれた鎖を持っている。

伸一が、「ここだったね」と峯子に言うと、彼女も「そうでしたね」と答える。

実は、このメキシコの光景を、恩師・戸田城聖は、克明に話していたのである。

それは、彼が世を去る十日ほど前のことであった。伸一が、既に病床に伏していた戸田に

呼ばれ、枕元へいくと、にこやかな表情を浮かべて語りかけた。

「昨日は、メキシコへ行った夢を見たよ。……待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大

聖人の仏法を求めてな。行きたいな、世界へ。広宣流布の旅に……」

体は衰弱していても、心は一歩も退くことなく、世界を駆け巡っていたのだ。

れが、“広布の闘将”の魂であり、心意気である。

そして、戸田は、夢のなかで見たという、メキシコ市の中心にそびえ立つ独立記念塔と街

の景観を語っていったのである。

 

雄飛 五十五

戸田城聖は、海外を旅したことはなかった。しかし、メキシコに関する本をよく読んでお

り、写真などで見た独立記念塔と街並みが、頭に入っていたのであろう。 また、父親の

仕事のため幼き日をメキシコで過ごした、

大阪支部の初代婦人部長の春木文子にも、現地の様子をよく尋ねていた。  

戸田は、山本伸一に、あまりにも克明に情景を語るのであった。  

そして、さらに言葉をついだ。「伸一、世界が相手だ。君の本当の舞台は世界だよ……」

戸田は、まじまじと彼の顔を見ながら、やせ細った手を布団の中から出した。その衰弱し

た師の手を、弟子は無言で握った。  

「伸一、生きろ。うんと生きるんだぞ。そして、世界に征くんだ」  ――    伸一は、

この時の師弟の語らいを、峯子にも詳細に話してきた。  

彼は、十六年前の一九六五年(昭和四十年)八月に初めてメキシコを訪れ、独立記念塔を

見た時にも、戸田の言葉が思い起こされ、深い感慨を嚙み締めた。  

今再び、陽光に輝く記念塔の前に立った伸一の胸には、「世界に征くんだ」という恩師の

魂の言葉が、熱くこだましていた。”先生! 私は、世界を駆け巡っております。必ずや、

世界広布の堅固な礎を築いてまいります。先生に代わって!”  誓いを新たにする彼に、

峯子が言った。「今日二日は、戸田先生のご命日ですね」 「そうなんだよ。その日に、

車を降りて歩いていたら、ここに来ていた」 「きっと、先生が連れてきてくださったん

ですね」 二人は頷き合いながら、記念塔を仰いだ。  

伸一たちは、翌日にはメキシコ市の市庁舎等を訪問し、次の訪問地であるメキシコ第二の

都市グアダラハラへと向かった。  

ここでは個人会館を訪れ、懇談会などを開いてメンバーを激励。グアダラハラ大学を訪問

し、総長との会見や記念講演を行った。

 

 

 

 

 


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