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富木常忍(ときじょうにん)

 

富木胤継(ときたねつぐ)は承久2年(1220年)の生まれで、日蓮大聖人より二歳年上である。下総国(現在の

千葉県)の人で、幕府の役人であった。日蓮大聖人の弟子となってからは、同僚の太田乗明(おおたじょうみょう)

曾屋教信(そやきょうしん)等を折伏し、房総方面の中心となって、たえず日蓮大聖人をはじめ門下一同の外護の

任を果たしてきた強信者のひとりである。

文応元年(1260年)7月16日、立正安国論を奉った第一回の国家諌暁後、松葉ケ谷の草庵を焼かれ、所を追われ

た日蓮大聖人をお助けしたのをはじめとして、伊豆の流罪、小松原の法難、竜の口の法難等においても、たえず日蓮

大聖人門下の外護の任にあたられたのである。

人本尊を明かされた「開目抄」が四条金吾に、法本尊が明かされた「観心本尊抄」が富木胤継に与えられたという

ことは、四条、富木の両人が、日蓮大聖人外護の任の双翼たることを如実に示すものである。

富木常忍が日蓮大聖人からいただいたお手紙のうち、主なものは次のとおりである。

・富木殿御消息(文永6年・西暦1269年)    ・富木殿御書(建治元年・西暦1275年)

・寺泊御書(文永8年)             ・四信五品抄(建治3年)

・佐渡御書(文永9年)             ・可延定業書(弘安2年・西暦1279年)

・観心本尊抄(文永10年)            ・四菩薩造立抄(弘安2年)

・法華取要抄(文永11年)           (これ以外にも多数あり)

宗旨の肝要を述べられたお手紙が数多いことから、富木殿が房総方面の中心者であり、しかも教学面においても力が

あった人であることがうかがわれる。

しかし、上行菩薩の再誕である日蓮大聖人を目の前にしながら、「上行菩薩はいつ出てくるのですか」と質問した

り、大黒をまつったり、釈迦像を造立したりしているところをみると、やはり日蓮大聖人の仏法を真に理解していた

とはいえない。

日蓮大聖人に仕えては、性格の強さを反映して、信心も純真であったが、日蓮大聖人滅後、日興上人にお仕えでき

なかったのは残念なことである。

 

 

 

 

 

 

 


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