竜樹
竜樹は竜猛菩薩ともいわれる。仏滅後700年頃、南インドに出て、大いに大乗の教義を弘めた大論師である。
後に出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。
竜樹菩薩は南インドのバラモンの大富豪の家に生まれた。生まれつき聡明で、幼少にして四葦陀(しいだ)聖典
を解了し、やや長じて天文・地理・道術等、当時の百科の学術に通じたという。やがて感ずるところがあって出家
し、たちまち小乗三蔵経を読破したが、なお満足できず、東北におもむいて、ついにヒマラヤ地方で一老比丘より、
大乗経典を授けられ、大いに得るところあり家義に通じた。そして弁論巧みに、よく外道を破折し、外道異学は皆
服した。しかし、まだ自分は仏経を究め尽していないと感じ、静かなところに閉じ籠って沈潜思索していたところ、
これを見て哀れんだ大竜菩薩が神通力で竜樹を伴って大海に入り、竜王の宮殿で秘密の大乗経典を与えたと伝えら
れている。
学成ってから南インドに帰ったが、この国の王は外道を信じていたので、竜樹はこれを破折するために赤旗を持っ
て王宮の前を七年間往来した。ついに王がこれを知ったのであらゆる外道を破折・調伏して大乗を弘め、大いに国
王の敬信をうけた。釈尊滅後、ようやく形骸化した仏教を大乗経をもって生活指導の仏法とする偉業を成し遂げ、
その著作もひじょうに多い。
著作として有名なものは「大智度論」「十二門論」「十住塔婆沙論」等がある。
天親
天親菩薩は、世親菩薩ともいう。仏滅後900年頃、インドに出て「千部の論師」といわれ、大いに仏法を興隆し、
とりわけ大乗教を弘めた大論師である。
天親は、北インド健陀羅国(けんだらこく)富婁沙富羅(ふろしゃふら)城に生まれた。父はバラモンの学者で
その第二子であり、兄は有名な大乗の論師・無若(むじゃく)菩薩である。
博学多才で出家後、小乗を研究し衆人のために説一切有部の教理大系を示す。毘婆沙(びばしゃ)を講述し、
その講義をつづって「阿毘達磨倶舎論」(あびだるまくしゃろん)三十巻を著わした。しかし、初め小乗に執着し
すぎたので大乗を信じないで誹謗した。兄の無若論師は早くから大乗に帰したので、天親を誘化し大乗に帰入させ
た。天親は深く前非を悔い、昔大衆を誹謗した舌根を割って滅罪しようとしたが、無若の忠告を入れて、滅罪のた
め、無若の跡を受け、大乗教の弘布に努めた。