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阿仏房(あぶつぼう)

 

阿仏房日得のこと。阿仏御房とか阿仏上人とも呼ばれている。俗姓は京都の遠藤家で為盛(ためもり)といい、

法名を日得、阿仏房と号した。

順徳上皇の北面の武士で、承久3年(1221年)上皇が佐渡に流されたとき、ともをしてきて、佐渡に定住したと

伝えられているが、あるいは、それ以前から土着の人であったともいわれている。

日蓮大聖人の佐渡流罪中に、塚原三昧堂において、大聖人を論詰しようとして、かえって折伏され、それまで深

く信じていた念仏を捨て、妻・千日尼と共に大聖人に帰伏した。

以来、文永11年に大聖人が流罪赦免となって鎌倉に帰られるまで、風雪をいとわず危険をおかして、櫃を背負って

深夜の道を往復して給仕に仕えた。

大聖人が身延に入られてからも、大聖人を慕って、8、90歳の老体にもかかわらず、三回も御供養を携えて身

延へおたずねしている。

大聖人はその純真な信心を褒められて、阿仏房上人、阿仏上人等と呼ばれた。阿仏房の純真な信心こそは、現在

でも登山の精神、ご供養の精神となっている。

また生命論の立場からも、阿仏房御書(1304頁)には『然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房、こ

れより外の才覚無益なり』と述べられた重要な御書をいただいている。

また豊後房、覚乗房、山伏房等を指導し、子息も志を継ぎ、曾孫は年少より日興上人に仕えて、北陸における仏

法の中心者を命ぜられたのも、まったく阿仏房が大聖人の時代に、この方面において大功労があったからである。

 


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