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行動する詩人

 

文筆家への夢

昭和24年(1949年)1月、戸田第二代会長(当時理事長)

が経営していた出版社・日本正学館に入社した池田大作青

年は、少年雑誌(『冒険少年』のち『少年日本』と改称)

の編集を任された。企画から編集、原稿の依頼、校正など

あらゆる作業を経験し、未来を担う子どもたちのための、

良質な雑誌づくりに精魂を傾けた。

若き日の名誉会長には、「新聞記者か雑誌記者」への志望

があった。 少年時代から積み重ねた読書に加え、家計を助

けるために新聞配達をしていたことも、影響を与えた。「自分が抱えて走るこの新聞から、人びとは世界、社会の

動きを知っていくのだ——」(『私の履歴書』) 若き編集長は、山岡荘八、野村胡堂、西条八十ら、錚々たる顔ぶ

れに原稿を依頼。「山本伸一郎」の筆名で、ベートーベンの伝記などの執筆もした。

このペンネームを戸田会長は「山に一本の大樹が、一直線に天に向かって伸びてゆく」と評し、青年の奮闘を温かく

見守った。 池田名誉会長が現在も用いるペンネーム「山本伸一」の由来である

 

幅広い著作

恩師・戸田第二代会長の後半生を描いたロングセラー、小説

『人間革命』ほか、論文集、詩歌集、随筆集、講演録、対談

集、さらには絵本や児童文学に至るまで——池田大作名誉会

長の著書は、幅広く、多岐にわたる。特筆すべきは、外国語

に翻訳されている著作の多さ。アーノルド・トインビー博士

との対談集『二十一世紀への対話』が、28の言語に翻訳され

ているのをはじめ、その著作は40言語以上で出版。論文寄稿

などを含めると1500点以上を数える。

名誉会長の執筆活動は、日々の激務の合間を縫って行われている。 高熱が続く日に、一枚書けば「正」の字の線

を一本引きながら原稿を書いた、とのエピソードもある。 「今、書かずしていつ書くのか!これが私の心情である。

私の胸には、言論の闘争への決意がたぎっている」(「随筆 新・人間革命」) 執筆にかける熱い思いを胸に秘め、

池田名誉会長は、今日も、原稿用紙に向かう。

 

世界桂冠詩人

昭和56年(1981年) 、世界芸術文化アカデミーから、池田

大作名誉会長に「桂冠詩人」の称号が授与された。さらに、

平成7年(1995年)には「世界桂冠詩人」賞、平成19年

(2007年)には「世界民衆詩人」の称号、平成22年(2010

年)には、「世界平和詩人」賞が贈られている。 受章を「身

に余る栄誉」としつつ、名誉会長は詩作について述懐する。

「私の思いは、自身の喜び、楽しみはともかく、まず『いか

に友を励ませるか』——この一点にあった」(『大道を歩む』)

その「友」とは、多くは市井に生きる創価学会の同志であり、時に、国家を代表し、社会で活躍する指導者たちで

もある。 寸暇を惜しんで、移動の車中で口述で行われることもある詩作。短歌や俳句などの短い詩形に思いを託す

こともある。 「なぜ、これほど多くの詩を詠むことができるのですか」と問われ、池田名誉会長は答えた。 「特別な

ことは何もありません。その人を何とか励ましてあげたいと思うからでしょうか」 ただ目の前の人のために——。

そのやむにやまれぬ思いのほとばしりが、言葉の奔流となって、詩となり、歌となる。

 

写真は「戦い」

「池田会長は詩人としても有名ですが、会長のポエムは口で

詠まれた詩であり、写真は目で詠まれた詩であります」(フ

ランスの美術史家、ルネ・ユイグ氏) 池田大作名誉会長の

写真作品は、その多くが、執務の合間や、移動の途上で撮影

されたものである。「もとより私は写真のプロでもないし、

時間がないままに、走る車中から、あるいはしばし車を停め

て撮った写真も少なくない」(『写真紀行「地球は美しい」』)

月、花、雲、空、道、川、車窓や宿泊先の窓からの風景……。

被写体は、けっして特別なものではない。だが、まねのできない独特の魅力があると、専門家は言う。「非常に素

直で、自分が感じたものをパッと撮ってしまう。それが見る人に実に快いものとなっている」(写真家の白川義員

氏) 池田名誉会長の写真展「自然との対話——池田大作写真展」は、海外100都市以上で行われ、高い評価を得

ている。ある人に「写真はご趣味ですか?」と聞かれ、「いや、戦いです」と答えた池田名誉会長。写真は、生命

や自然を矮小化する風潮と闘うための、“詩人”の“武器”なのである。

 

芸術を庶民の手に 

池田大作名誉会長は、昭和38年(1963年)10月、民主音楽

協会を設立。 「民音」の名で親しまれる同協会は「世界の芸術

を、庶民の手に届くものにする」ことを目指し、これまで

ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座の画期的な日本公演

など、世界100か国・地域以上との国際文化交流を推進した。

また、昭和48年(1973年)、58年(1983年)にそれぞれ創

立した富士美術館(静岡)、東京富士美術館(八王子)では、

多彩な企画展を通して、多くの市民が海外の貴重な芸術作品

に触れる機会を提供するとともに、文化交流の一環として海外での展示会開催にも意欲的に取り組んでいる。

東京富士美術館が、海外で「西洋絵画名作展」を開催した時のこと。貴重な美術作品を国外に持ち出すのは危険だと

の、一部の声に対し、名誉会長は言ったという。「何を言っているのか。それこそ、芸術作品は見たい人のものでは

ないか」 一流の芸術は、それを幅広く万民が共有することではじめて、その真価を発揮するとの信念に生きる池田名

誉会長。その視線の先には、常に、健気に生きる庶民の姿がある。


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