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4.宿命転換

人生には、さまざまな苦難があります。日蓮大聖人の仏法は、生命を根源から変革して、自身の運命を切り開き、

現在と未来にわたって、幸福境涯を確立する宿命転換の仏法です。ここでは、宿命転換の原理と、宿命を使命に変

えていく真の仏法の実践を学びます。

 

(1)宿命転換

人生の悩みや苦難は、さまざまです。そのなかには、今世の自分自身の行動や判断が原因になって現れるものも

ありますが、なかには、今世に原因を見いだすことができないものもあります。〝自分は何も悪いことをしてい

ないのに、なぜ、このような苦しみを受けなければならないのか〟と思うような苦難に直面する場合もあります。

仏法では、このような苦難は、過去世において自分が行った行為(宿業)の結果が今世に現れたものであるとと

らえます。

「業」とは、もともとは「行為」を意味する言葉です。今世の幸・不幸に影響力をもつ過去世の行為を「宿業」と

いいます。宿業には、善と悪の両方がありますが、今世の苦悩をもたらす過去世の悪業を宿業という場合が多いと

いえます。

仏法では、〝三世の生命〟、あるいは〝三世の因果〟を説きます。すなわち、生命は今世だけのものではなく、過

去世・現在世・未来世の三世にわたるものであり、過去世の行為が因となって、現在世(今世)の結果として現れ、

また、現在世の行為が因となって、未来世の果をもたらすと見るのです。

過去世に悪因があれば、今世に苦果(苦悩に満ちた結果)があり、善因があれば、楽果(福徳あふれる安楽の結果)

があるとするのが、仏教一般で言われる因果です。 しかし、これでは、現在の苦しみの原因はわかっても、それを

今世において、ただちに変革することはできず、未来世にわたって、 生死を繰り返しながら、一つ一つの悪業の罪

を清算していく以外に、道はないことになります。 このように、宿業の考え方は、往々にして、希望のない宿命論

に陥りやすいのです。これに対して、「宿命の転換」を説くのが、日蓮大聖人の仏法です。大聖人は、「佐渡御書」

の中で、御自身が大難を受けているのは、仏教で一般に言われる通常の因果によるものではなく、 過去において法

華経を誹謗した故であると述べられています(960頁)。これは、万人成仏、人間尊敬、自他共の幸福を説ききった

正法である法華経を誹謗すること、すなわち謗法(正法を謗ること)こそが根本的な罪業であり、あらゆる悪業を生

む根源的な悪であるということを教えられているのです。

この正法に対する不信・謗法という根本的な悪業を、正法を信じ、守り、広めていくという実践によって、今世のう

ちに転換していくのが、大聖人の仏法における宿命転換です。そして、その実践の核心が、南無妙法蓮華経の題目で

す。 大聖人は、「衆罪は霜露の如く 慧日は能く消除す」 (法華経724頁)という普賢経(法華経の結経である観

普賢菩薩行法経)の文を引いて、 自身の生命に霜や露のように降り積もった罪障も、 南無妙法蓮華経の題目の慧日

(智慧の太陽)にあえば、たちまちのうちに消し去ることができると言われています(786頁)。

御本尊を信受して、自行化他にわたる唱題に励み、自身の胸中に太陽のような仏界の生命が現れれば、さまざまな罪

業も霜露のように消えていくのです。

 

(2)転重軽受

私たちは、信心に励んでいても、人生の苦難に直面することがあります。また、広宣流布のために戦うと、それを

妨げようとする障魔が起こり、難にあいます。

大聖人は、このような苦難に出あって宿命転換できるのは、むしろ「転重軽受」の功徳であると教えられています。

転重軽受とは、「重きを転じて軽く受く」と読みます。過去世の重い罪業によって、今世だけでなく、未来世にわ

たって、重い苦しみの報いを受けていかなくてはならないところを、現世に正法を信じ、広めると、その実践の功

徳力によって、重罪の報いを一時に軽く受けて、罪業をすべて消滅させることができるのです。ゆえに、大聖人は

転重軽受の功徳について『地獄の苦しみぱっときえて』(1000頁)と仰せです。

苦難は、宿業を消して、生命を鍛錬する重要な機会となります。そのことを大聖人は、「鉄は鍛え打てば剣となる。

賢人・聖人は罵られて試されるものである。私がこのたび受けた佐渡流罪という処罰は、世間の罪によるものでは

まったくない。もっぱら過去世の重罪を今世で消し、未来世の地獄・餓鬼・畜生の三悪道の苦しみを免れるための

ものなのである」(958㌻、通解)と仰せです。

 

(3)願兼於業

苦難に直面しても、信心を貫いて宿命転換する人にとっては、人生の意味が大きく変わります。

法華経には、「願兼於業」の法理が説かれています。願とは願生、業とは業生です。

菩薩は願いの力で生まれ(願生)、普通の人々は業によって生まれます(業生)。願兼於業とは、修行によって

偉大な福徳を積んだ菩薩が、悪世で苦しむ人々を救うために、わざわざ願って、自らの清浄な業の報いを捨てて、

悪世に生まれることです。その結果、菩薩は、悪業の人と同じように、悪世の苦しみを受けます。ここから難の

意義をとらえ返すと、信心で難を乗り越える人にとっては、悪世に生きて苦難を受けるのは、決して宿命ではな

く、実は人を救う菩薩の誓願のゆえであり、苦難を共有し、それを乗り越える範を示すものであることになりま

す。この願兼於業の法理をふまえた生き方を、池田名誉会長は「宿命を使命に変える」とわかりやすく示してい

ます。「誰しも宿命はある。しかし、宿命を真っ正面から見据えて、その本質の意味に立ち返れば、いかなる宿

命も自身の人生を深めるためのものである。そして、宿命と戦う自分の姿が、万人の人生の鏡となっていく。

すなわち、宿命を使命に変えた場合、その宿命は、悪から善へと役割を大きく変えていくことになる。

『宿命を使命に変える』人は、誰人も『願兼於業』の人であるといえるでしょう。

だから、全てが、自分の使命であると受け止めて、前進し抜く人が、宿命転換のゴールへと向かっていくことが

できるのです」(『御書の世界』第2巻)


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