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教育こそ生涯の事業

 

恩師の構想実現へ

創価学会に入会後の昭和24年(1949年)、池田大作青年は戸田

第二代会長(当時理事長)が経営する出版社に入社し、 戸田会

長から、毎朝のように個人講義を受けた。

講義は、人文・社会・自然の諸科学から仏法の生命論にいたる

まで、あらゆる分野に及んだ。 個人講義が続いていた、昭和25

年(1950年)11月16日。 二人して昼食に訪れた、会社の近く

の日本大学の食堂で戸田会長は語る。  「大作、創価大学をつく

ろうな」「世界第一の大学にしようではないか」 牧口初代会長

から託された「創価教育の学校」設立の構想を、戸田会長は、その後、折あるごとに池田青年に語った。

昭和29年(1954年)9月4日。戸田会長と池田青年は、氷川での青年部の研修会に向かうバスに揺られていた。

道中、八王子を通った時、窓外に広がる大地を眺めて戸田会長は言った。 「いつか、この方面に創価教育の城を

つくりたいな」 戸田会長が未来を見すえて口にした学校建設の構想を、池田青年は鋭く生命に刻みつけていた。

 

学園・大学の設立

戸田会長の逝去から2年後の昭和35年(1960年)4月初旬。

池田大作名誉会長(当時総務)は、東京・小平の雑木林を視

察していた。戸田会長から託された学校建設の用地を探して

いたのである。「牧口先生の悲願である創価の学舎には、最

高の教育環境を整えてもらいたい」との、戸田会長の構想を

胸に熟慮を重ね、緑豊かで、都心からさほど遠くないこの地

に建設を決意。昭和43年(1968年)春に開校したのが創価

学園である。 昭和39年(1964年)には「創価大学設立構想」

を発表する。 時は、1960年代。大学紛争の嵐が吹き荒れ、大学の存在意義そのものが問われた時代である。

大学設立にいたる経緯には並ならぬ困難があった。  だが、池田名誉会長は動じなかった。 「将来、世界を舞台に、

人類全体のために活躍する人物を輩出したい」「一宗一派のためにやっているんじゃない」 様々な困難を乗り越えて、

八王子の地に創価大学が開学したのは昭和46年(1971年)4月2日のこと。「いつか、この方面に創価教育の城を

つくりたいな」と語った恩師の命日であった。

 

創価一貫教育の完成

創価教育の学校建設の槌音は、止むことがなかった。

昭和48年(1973年)には創価女子学園(現・関西創価学園)

が開校。その後、札幌創価幼稚園(51年)、東京創価小学校

(53年)、関西創価小学校(57年)が相次いで誕生した。

また、平成4年(1992年)の香港創価幼稚園の設立を皮切り

に、シンガポール・マレーシア・ブラジル・韓国にも創価幼稚

園が産声をあげた。

平成13年(2001年)には、アメリカ・カリフォルニア州に、

アメリカ創価大学(SUA)が開学。池田大作名誉会長は、SUAの使命を「世界市民の育成」と語る。

名誉会長はアメリカ・コロンビア大学での講演で述べている。 「私自身、ほとんどの教育を、私の人生の師・戸田

城聖の個人教授から受けました」 「『創価教育』、すなわち価値創造を掲げた一貫教育のシステムは、私が受けて

きた、このような人間教育を、未来の世代にも贈りたいとの願いを込めて創立したものであります」 ともに教育者

であった牧口初代会長から戸田第二代会長へ、そして池田名誉会長へ——三代の師弟に受け継がれた創価教育の学

校建設の構想は「創価一貫教育」として結実したのである。

 

世界への広がり

池田大作名誉会長が自ら創立した創価一貫教育校のほかにも、

名誉会長の思想を基本理念とする教育機関が、世界各地に存

在する。 インド・チェンナイの地に平成12年(2000年)に

誕生した、創価池田女子大学。名誉会長を師と仰ぐセトゥ・

クマナン博士が「池田先生の思想に基づく女性教育の最高学府

を」と願い、設立されたものだ。ブラジル・パラナ州カンベー

市の市立池田大作博士幼稚園は2004年に開園。幼稚園の名称

は市議会の全会一致で決定をみた。

創価学会教育本部は、名誉会長が昭和59年(1984年)に発表した教育提言に着想を得て「教育実践記録運動」を

開始。教育現場が抱える問題に真正面から向き合った、珠玉の体験の数々が触発と共感の輪を広げている。このほ

か、全国に設置されている「教育相談室」では、ボランティアによる教育カウンセリングを行っている。

ブラジルSGI(創価学会インタナショナル)教育部では牧口初代会長の教育学説に基づいた授業カリキュラムで

ある「牧口教育プロジェクト」を推進。全土200校以上が採用し、のべ100万人を超える児童がこのプロジェクト

で学んでいる。 牧口初代会長と戸田第二代会長のたった二人の源流からはじまった創価教育は、池田名誉会長

と、世界中の賛同者の手で見事な大河となった。

「『教育のための社会』目指して」(平成12年) 「教育力の復権へ 内なる『精神性』の輝きを」(平成13年)

近年、池田名誉会長が発表したふたつの「教育提言」に貫かれているもの——。それは、社会の要請に応じた

「社会のための教育」から、社会全体が子どもの人格の完成を促す「教育のための社会」へという、大胆な発

想の転換を求める主張である。 牧口初代会長が提唱した「創価教育学」。その中核をなすのは「子どもの幸福

こそが教育の目的」という理念である。それは、名誉会長の教育思想にも、脈々と受け継がれているのだ。

50代を迎える頃から、池田名誉会長は「私の人生の最後の事業は『教育』である」と宣言し、その言葉通りの行

動を重ねてきた。多忙を極める名誉会長だが、現在も、創立者として創価学園・大学にしばしば足を運び、

“未来を担う宝”に励ましのエールを送り続け、その成長を温かく見守っている。 教育にかける池田名誉会長の

情熱は、今、さらに強く輝きを放つ。

 

 

 

 


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