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池上兄弟

 

池上宗仲(むねなか)・宗長(むねなが)の兄弟は、日蓮大聖人が鎌倉におられた建長年間、四条金吾たちと

前後して日蓮大聖人に帰依した。

父の左衛門大夫康光は、鎌倉幕府の作事奉行の職にあり、兄の宗仲は大夫志(たゆうのさかん)、弟の宗長は

兵衛志(ひょうえのさかん)に任ぜられ、ともに幕府に仕える身であった。

父・康光は律宗・極楽寺良観の熱心な信者であったため、池上家では正法と邪法との戦いが繰り返されたので

ある。

文永12年(1275年)、兄弟の入信いらい二十年前後にして、それは信心強盛な兄・宗仲の勘当となって爆発

した。この時、あくまで兄弟が団結して、魔に負けずに信心まっとうするようにと、日蓮大聖人から賜ったの

が「兄弟抄」である。

その後、兄の勘当は一度は許されたが、再び兄は勘当された。この時、ややもすると動揺しがちな弟に対して

賜ったのが「兵衛志殿御返事」である。

日蓮大聖人は、弟・宗長に対し「今度はあなたはきっと退転するにちがいない。退転するのをとやかくいわな

いが、地獄に落ちて日蓮をうらむな。あとはもう知らぬ」と厳しく戒められている。そして、日蓮大聖人の義

につこうと思うならば、断固、父に向っていいきりなさいと指導され、悉達太子(しったたいし)が一時父の

心に背いても、最後に親を救った例をひかれて、重ねて真実の孝養の道を教えられている。

そして弘安元年(1278年)には、ついに父の康光も日蓮大聖人の信仰に帰依することができたのである。

弘安2年、父の死に際しては「孝子御書」を賜り、たびたびの勘当にもかかわらず、兄弟が一致団結して、

ついに父を正法に帰依させたのは、「あに孝子にあらずや」とおほめの言葉をいただいたのである。

いかなる困難をも乗り越え、激しく起こってきた三障四魔を打ち破って宿命を打開し、ついに一家の宗教革

命を成し遂げたことは、実に、末法の修行の明鏡である。

父の死後、宗仲が家督を継ぎ、弘安5年、日蓮大聖人はこの池上邸でご入滅、そのご葬送の時には、宗仲は

四条金吾と共に旗を揚げ、弟の宗長は、太刀を持して、その列に連なったと伝えられている。


コメント一覧

返信2018年3月20日 9:53 AM

小泉 奈美佐24/

私は、千葉県の市原総県で、支部副婦人部長兼任の白ゆり長をしています。 実家の母と弟たちが法華講員で、私達姉妹3人が学会員です。 池上兄弟のことを知りたくて調べていた所、こちらに行き着きました。 内容も分かりやすく感銘しましたが、 1支部の為にこんなにも沢山の情報を、分かりやすく詳しく載せてくださっていることに感動しました❗ 全く違う組織ではありますが、 同志への励まし、友人への激励に、これからも活用させていただきたいと思います。 ありがとうございました。 これからも頑張ってください❗

    返信2018年3月20日 7:11 PM

    kenちゃん24/

    小泉 奈美佐 さま コメント ありがとうございます。 支部で活用するために、立ち上げたサイトですが、全国からもメールでの問い合わせ が届くようになりました。 ”外”の方からも質問や問い合わせが届いています。 できるだけ、返信するように心掛けていますが遅くなる場合もあります。 私は兵庫・西宮総県の天舞支部で副支部長兼任の地区部長をしています。 実は、支部名の「天舞」は先生から命名された支部名で明日(3月21日) 第26回「天舞支部の日 記念勤行会」を開催します。その企画として 戸田先生の「原水爆禁止宣言」から池田先生の「世界の識者との対話」 そして「3・16」、世界青年部総会での広布後継について発表することに なり、原稿および映像の作成で徹夜になりそうです。 また、よろしかったらサイトに遊びにきてください。そのときは足跡(コメント) いただければ嬉しいです。 今後ともよろしくお願いします。                              大塚 健

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