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師弟の魂・大関西

 

私が会長を辞任し、名誉会長になった、その晩であった(1979年4月24日)。

深夜の高速道路を、2台の車が東京へ疾走していた。

乗っているのは、関西の青年たち。誰かに言われたわけではない。ただ、私が会長を辞めたと聞いて、居ても立っ

てもいられず飛び出した。

車中、一睡もせず、翌朝早く東京に到着。そこで先発していたメンバーも加わり、藤原武君をはじめとする、金城

会草創の7人の英才が、息せき切って私のところに駆けつけてくれた。

「我々は、池田先生とともに戦うんや!」と。

真剣な、嵐の中に毅然として、真夜中に走り飛んでくれた、その正義の叫びと、若鷲の翼の姿が、嬉しかった。

私は、この7人に、“関西の七勇士”という名前を贈った。

この関西の7人の弟子は、今も現役として、広布の第一線で悠然たる指揮を執っている。

 

20年前の、あの日のことは、今でも、心深く動くことはない。

あの日、あの時、私は、彼らに言った。

「わざわざ遠くから来てくださって、ありがとう。

何も配いらないよ。恐れるものは何もないよ。私は厳然としていくから!」

その時の、彼らの雄姿は、今でも消え去ることはない。

「偉大な弟子をもつことは、最高に嬉しいことだ」とは、戸田先生の口癖である。

今、私は、嵐と忍耐のなかで、同じ思いをした。真っ暗な嵐のような日々であった。

しかし、彼らに、私は強く語った。

「将来の希望を持て! 不安のために動揺するな! これが、我らの魂である。

忍耐強く生きろ! 悠然として、自然の成り行きに任せよ! 一段高い丘から、すべてを見つめよ!」

彼らは、この一語一語から、何を意味するかという真実を汲み取って納得したようである。

この気高き、また節度ある、厳粛な弟子の姿を、私は申し訳ない気持ちで、心で讃えた。

 

当時、陰謀と嫉妬と、あらゆる策略をもって、私を追い落とし、自分たちが学会を乗っ取ろうとする謀略が始まっ

ていた。

これらの破壊者たちは、狡賢き冷酷な坊主と手を組みながら、百鬼夜行のごとく、退転者を味方にし、愚かな幹部

を口車に乗せて、自らの悪謀の罠の中に操っていった。

彼らは、野獣のごとく、ありとあらゆる卑しき野心と憎しみの讒言を浴びせてきた。

恩師の大恩を踏みにじり、宗門の悪坊主と結託した、地獄の鎖につながれた輩である。

皆から、唾を吐かれ、怒りと侮りを受けていた悪党たちである。

私は、言い放った。

「今に見よ! 必ず正邪が明確になる」

皆も、反逆者、退転者の末路の厳しさは知っている。

正法には、必ず悪鬼魔神がいる。大聖人の時代も、反逆者が多くいた。日興上人の時も五老僧という反逆者がいた。

正法流布の学会には、魔が競うのも当然であり、正義の証だ!

 

どうして彼らが狂気と化してしまったのか。人間というものは恐ろしいものだ。

私たちを、嵐の中の死の翼のもとに陥れようとする、あの陰険な仕草よ!

しかし、心ある幹部は、厳然としていた。特に関西の同志は、微動だにしなかった。

その団結の要が、現在の西口良三総関西長であり、また和田栄一SGI理事長であり、そして藤原武関西長、木村勝

第二関西長たちの正義軍であったことは、いうまでもない。

 

いつしか疲れ果てた仲間の中から、勇敢なる中堅幹部たちが、「謀略を見抜け! 陰謀を叩き出せ!」と、稲妻の

ごとく叫び始めた。

その雷鳴の轟きとともに、闇々たる夜風の彼方に、太陽が昇り始めた。

多くの友が遭難しそうになっていたところに、救いの朝日が射し始めた。

 

御聖訓にいわく。

未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』(231頁)と。

この年(1979年)の7月17日、関西の同志は誓い合った。

 一、革命精神の原点・関西!

 一、二十一世紀への世界の人材の宝庫・関西!

 一、全国に信心の波動を起こす関西!

 

断固として関西は立ち上がった。師弟の魂が燃え上がった。

さらに、威風も堂々の挑戦が開始された。

そして、大阪、京都、兵庫、奈良、和歌山、滋賀、福井の、広宣の闘士が一堂に集い、意気軒昂に、「第一回関西

総会」が開催されたのは、この年の牧口先生の殉難の11月18日であった。

 

彼らは大波をかき分け、深き闇を打ち破り、“萬の仏の艦隊”となって、逆巻く怒濤を乗り越え、無敵の信心と連帯

で、必ず“永遠の都”を打ち立てて見せると、叫んだ。

幸福の帝王が待つ都をめざすのだ。そこには、輝かしき、滅ぶことなき、王冠なき偉大な民衆が待っている。

必ずや、崩れ去りゆく、権威の輩を、眼下に見て、三世永遠の人間の勝利の王座を、必ず、建設すると、勇敢なる

振る舞いが始まった。

これこそ、広宣流布の戦闘であり、人間の宗教の誕生である。

御本仏・大聖人の人類救済の大仏法である。

 

【「随筆 新・人間革命」64/聖教新聞 1999-03-01付】


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