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雄飛 三十一  

五日の午後、山本伸一は、まず、大阪の男子部部長会に出席して指導した。 「地道な戦

いのなかに人生の開花がある。青年時代は悩みと葛藤の日々かもしれない。しかし、焦る

ことなく、着実に、粘り強く、信心、学会活動に励み、生活の場で、職場で実証を示して

もらいたい。さまざまな苦難もあるでしょう。しかし、地道に信心をしていくならば、時

が解決してくれます。真剣に題目を唱えていけば福運がつき、自身が成長していきます。

ゆえに、現実がどんなに厳しくとも、希望を捨ててはいけません。御本尊への大確信をも

ってもらいたい。

皆さんには、何があっても妙法がある。この永遠不滅の法がある限り、人生の大勝利者に

なれないわけがない。

物事は長い目で見ていくことです。皆さんの多くは、二十一世紀の初めには、五十代にな

っていくでしょう。

最も働き盛りの年代です。その時に、悔いなく、存分に力を発揮していけるように、微動

だにしない人生の根を張るための修行を忘れないでいただきたい」 

そのあと、集って来た創価女子学園出身のメンバーらを激励し、午後四時には、女子部部

長会に出席した。彼は力説した。  

「水の流れのごとく、日々、題目を唱え抜き、日本一、世界一、幸せだといえる人になっ

ていただきたい。いかなる状況にあっても、最後は、信心を貫いた人が絶対に勝ち、福運

に満ちあふれた人生を歩むことができると、私は断言しておきます。  

また、いかなる宿命の渦中にあっても、題目を唱えられること自体が、最高の幸福である

ことを確信してください。

信心とは、何があっても御本尊から離れないことです」伸一は、夕刻には、近くのレスト

ランで関西の代表と会食懇談を行い、帰途、中大阪文化会館に立ち寄った。 

出る会合、出る会合で、会う人ごとに励ましの言葉をかけた。未来といっても、この一瞬

にある。

明日、何かをなそうとするのではなく、今、何をするかである。

 

雄飛 三十二  

関西文化会館に戻った山本伸一は、設営グループ「鉄人会」メンバーが集っていることを

聞くと、「お会いしよう」と、喜び勇んで励ましの語らいを重ねた。 

実は、メンバーは伸一に使ってほしいと、イスを作って届けていた。彼は、その真心に応

えたかった。また、いつも陰の力として設営に奮闘してくれていることに、心から感謝の

言葉を述べたかったのである。 

「ありがとう。皆さんの苦労を、私はよく知っています。作ってくださったイスにも、何

度も座らせていただきました。最大の感謝をもって、その心を受けとめております。濁り

のない、清らかな心と心で結ばれているのが、創価の世界ではないですか。私には健気な

一念が痛いほどわかります」 伸一の言葉に、目を潤ませる人もいた。もとより、見返り

を欲しての作業ではなかった。必死に広宣流布の指揮を執る師のために何かしたいとの、

清らかな信心と弟子の信念の発露にほかならなかった。それゆえに、その行為は、美しく

尊かった。彼らは、伸一が自分たちの思いを知ってくれているというだけで満足であった。 

伸一は、その心根に、最大の讃辞を贈り、最高の敬意を表したかった。  

日蓮大聖人が、「心こそ大切なれ」(御書一一九二ページ)と仰せのように、信心の世界

にあって肝要なのは「心」である。  

引き続き彼は、人材育成グループである「関西同志の集い」の勤行会に出席した。  

「真の人材とは、地涌の菩薩の使命を自覚し、より広く、深く法を知らしめていく人であ

る。より大勢の人の依怙依託となれる人である。聡明で、理に適い、人びとを納得させら

れる人である。

次の後継の人を育成できる人である。また、良識の人であり、皆に、安心と希望と確信を

与えられる人である。

そのために自らを磨き鍛えていただきたい」 彼は懸命に訴え抜いた。「励ます」という

字は「万」に「力」と書く。

全力を注ぎ込んでこそ、同志の魂を揺り動かす激励となるのだ。

 

雄飛 三十三  

六日は、午後から夜にかけて、三回にわたって関西指導部の勤行会が関西文化会館で行わ

れた。山本伸一は、この日も、いずれの勤行会にも出席した。 

婦人には、「南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(御書1143頁)との御文を拝

して、「幸福は身近なところにある。悩みのない人生はない。しかし、悩みは幸福の肥料

でもある。唱題をもって、すべてを幸せへの力に!」と指導した。  

また、壮年には、「題目は全宇宙に響き、永遠の大生命力の源泉となる。御本尊根本、題

目第一で新しい出発を!」と呼びかけた。  

連日、関西文化会館には、大阪をはじめ、関西各地から、続々と同志が集ってきた。しか

も、その数は次第に多くなっていった。  

伸一は、関西の幹部に言った。 「さらに勤行会を行いましょう。わざわざ、同志が駆け

つけてくださるんだ。私は、全員とお会いします」  

そして、七日の日には、当初、予定になかった自由勤行会が、昼夜二回にわたって行われ

たのである。  

また、この日午後七時からは、全国県長会議も開かれた。伸一は、ここにも顔を出し、参

加者に訴えた。

「邪が正を滅ぼさんとする時、リーダーは敢然と立ち上がって戦わなければならない。

妥協は許されません。そうでなければ同志がかわいそうです。そして、正義は勝たねばな

らない。勝ってこそ正義なんです。  

創価の師弟の道が断たれてしまえば、広宣流布は断絶してしまう。正法正義を守り、広布

の大道を開くために、私は戦います。

私と共に戦おうという勇者と、今、再び師弟の新しい前進を開始したい。 

広宣流布の師弟、創価の師弟は、社会的な契約や利害による結びつきとは違います。

徒弟制度でもない。それぞれが、自らの誓願によって定めた、人生を懸けた魂と魂の結合

です。それゆえに、最も清らかで、最も尊く、最も強い、人間の絆なんです」

 

雄飛 三十四  

五月八日正午前、山本伸一は、関西文化会館を出発し、新大阪文化会館に立ち寄り、午後

一時過ぎの新幹線で名古屋へ向かった。 

九州から、五月二日に関西入りして以来七日間、伸一は、七万人以上の同志と会い、激励

を重ねた。 

また、その間に中大阪文化会館も訪れている。同会館には、一九六九年(昭和四十四年)

十二月、関西指導に赴いた伸一が高熱に見舞われ、一夜を過ごした仏間があり、今は、そ

のフロアが関西婦人会館として使われていた。  

あの時、妻の峯子は東京から駆けつけ、夜通し看病した。伸一は、幾分、熱が下がると、

無理を押して和歌山行きを断行した。県立体育館で行われた和歌山県幹部会に出席し、全

力で指導したあと、参加者の要請に応えて、「武田節」の指揮を執った。会合が終わり、

退場した時には、フラッとして足がもつれた。力を使い果たしていたのだ。

彼は、もしも、ここで倒れても本望だと思っていた。  

日々、挑戦と苦闘の連続であった。こうした真剣勝負の行動の積み重ねによって、広宣流

布の創価の大道が開かれてきたのである。たとえ時代は変わっても、不二の同志には、こ

の不惜の精神を受け継いでほしかった。  

「日興遺誡置文」には、「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」

(御書1618頁)と仰せである。

その精神が途絶えたならば、世界広布の大願成就はあり得ないからだ。  

伸一は、五月一日に行われた関西婦人会館の開館式を記念し、句を詠み、贈った。  

「断固 関西護れや わが城を」 また、妻の峯子は、この関西滞在中に来館し、芳名録

に、こう認めた。「学会の 母の館に 集い来て 心豊かに 広布に走らむ」  九州に

続いて関西も、伸一と共に雄々しく立ち上がった。学会の不屈の強さは、師弟共戦のスク

ラムにこそある。  “さあ、次は中部だ!”  

彼は、闘魂をたぎらせた。

 

雄飛 三十五  

五月九日、愛知県名古屋市の中部文化会館は、朝から長蛇の列が続いた。「支部長、婦人

部長の勤行会を行おう。

しかし、役職に関係なく、来たい方には皆、声をかけてください。自由勤行会です!」 

同志は、欣喜雀躍して中部文化会館をめざした。会館は、勤行会の会場となった広間だけ

でなく、会議室や応接室も人であふれた。  

勤行会は、午前中に五回ほど行われた。伸一は喉を痛めたが、一緒に勤行し、激励を続け

た。彼の腕をつかみ、手を握り、目に涙を浮かべて喜ぶ同志の顔を見ると、とてもわが身

をいたわることなどできなかった。  

一年前、会長辞任が発表されると、中部の同志からも、数多くの手紙や電報が届いた。 

彼は、そうした方々に心から御礼を述べ、共に新しい前進を開始したかったのである。 

伸一は、勤行会での指導を終えると、会議室やロビー、場外を回って参加者に声をかけ、

握手し、記念撮影を繰り返した。 午後の勤行会も五回、六回と回を重ねていった。

午後十時を過ぎても、屋外に人が待機していた。伸一は、すかさず激励に走った。

「先生!」と声があがる。彼は、「しーっ、静かにね。もう夜も遅いから」と近隣を気遣

い、皆を制しながら笑顔で包み込んでいく。

すべてが終わったのは午後十一時近かった。 中部では、岐阜にも足を延ばした。  

十一日、五月晴れの空が広がっていた。  

伸一は、岐阜市の功労者宅を訪問し、岐阜文化会館での岐阜支部結成二十周年の支部長会

に出席した。二階のロビーで、娘と共に参加していた、数え年百歳の老婦人と対話を交わ

した。岐阜市でいちばんの長寿者とのことであった。草創の時代の入会であり、唱題が最

高の楽しみであるという。 「お会いしに来ましたよ。日本の宝です。学会の宝です。

いついつまでもお元気で!」 この日が「母の日」であることから、お祝いにカーネーシ

ョンの花束を贈り、一緒にカメラに納まった。高齢ながら、共に広布に立とうという姿に、

彼は仏を見る思いがした。

 

 

 

 


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