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雄飛 六

一九九〇年(平成二年)十一月、静岡県にあった富士美術館で、常書鴻の絵画展が開催さ

れた。 そのなかに、ひときわ目を引く作品があった。特別出品されていた「チョモラン

マ峰(科学技術の最高峰の同志に捧ぐ)」と題する、縦三メートル余、横五メートル余の

大絵画である。チョモランマとは、世界最高峰のエベレストをさす土地の言葉で、「大地

の母なる女神」の意味であるという。 ――天をつくように、巍々堂々たる白雪の山がそ

びえる。

その神々しいまでの頂をめざす人たちの姿もある。絵は、常書鴻が夫人の李承仙と共に描

いた不朽の名作である。

文化大革命の直後、満足に絵の具もない最も困難な時期に、「今は苦しいけれども、二人

で文化の世界の最高峰をめざそう」と誓い、制作したものだ。 

山本伸一は、絵画展のために来日した夫妻と語り合った。常書鴻との会談は、これが六回

目であった。彼は、この労苦の結晶ともいうべき超大作を、伸一に贈りたいと語った。

あまりにも貴重な“魂の絵”である。伸一は、「お気持ちだけで……」と辞退した。 

しかし、常書鴻は「この絵にふさわしい方は、山本先生をおいてほかに断じていないと、

私は信じます」と言明し、言葉をついだ。 「私たちは、文革の渦中で、口には言い表せ

ないほどの仕打ちを受けました。人生は暗闇に閉ざされ、ひとすじの光も差していません

でした。しかし、この絵を描くことで、権力にも縛られることのない希望の翼が、大空に

広がっていきました。

絵が完成すると、新たな希望が蘇っていました。 山本先生はこれまで、多くの人びとに

『希望』を与えてこられた方です。ですから、この絵は、先生にお贈りすることが、最も

ふさわしいと思うのです」 過分な言葉であるが、この夫妻の真心に応えるべきではない

かと伸一は思った。人類に希望の光を注がんとする全同志を代表して、謹んで受けること

になったのである。

 

雄飛 七  

絵画「チョモランマ峰」の寄贈にあたり、常書鴻・李承仙夫妻から、この絵を制作した文

革直後の時代は、絵の具の品質が良くないので、末永く絵を残すために、描き直したいと

の話があった。 

山本伸一は、その心遣いに恐縮した。 新たに制作された同じ主題、同じ大きさの絵が贈

られ、一九九二年(平成四年)四月、除幕式が行われた。

後にこの絵は、創価学会の重宝となり、八王子の東京牧口記念会館の一階ロビーに展示さ

れ、人類に希望の光を送ろうと奮闘する、世界の創価の同志を迎えることになる。 

また、常書鴻との出会いから始まった敦煌との交流は、さらに進展し、八五年(昭和六十

年)秋からは、「中国敦煌展」が東京富士美術館をはじめ、全国の五会場で順次開催され

ている。広く日本中に、敦煌芸術が紹介されていったのである。  

九二年(平成四年)、敦煌研究院は、伸一に「名誉研究員」の称号を贈り、さらに、九四

年(同六年)には、彼を「永久顕彰」し、肖像画を莫高窟の正面入り口に掲げたのである。      

第五次訪中で山本伸一たち一行が、中国共産党中央委員会の華国鋒主席(国務院総理)と

会見したのは、二十四日の夕刻であった。 

人民大会堂での一時間半に及ぶ語らいで、「新十カ年計画」「文化大革命」「官僚主義の

問題」「新しい世代と教育」などについて話し合われた。 主席は、伸一に、笑顔で語り

かけた。 「このたびの中国訪問は五回目と聞いております。中国の古い友人である先生

のお名前は、かねてから伺っておりました。 私のように、山本先生にお会いしたことが

ない人も、先生のこと、そして、創価学会のことは、よく知っています。私は、学会の記

録映画も拝見しました」 人間革命を機軸にした学会の民衆運動に、華国鋒主席も注目し

ていたのである。

社会建設の眼目は、人間自身の改革にこそある。

 

雄飛 八  

山本伸一との語らいで華国鋒主席は、十億を超える中国人民の衣食住の確保、とりわけ食

糧問題が深刻な課題であるとし、まず国民経済の基礎になる農業の確立に力を注ぎたいと

述べた。農民の生活が向上していけば、市場の購買力は高まり、それが工業発展の力にも

なるからだという。 

その言葉から、膨大な数の人民の暮らしを必死に守り、活路を見いだそうとする中国首脳

の苦悩を、伸一は、あらためて実感した。 政治は、現実である。そこには、人びとの生

活がかかっている。足元を見すえぬ理想論は空想にすぎない。現実の地道な改善、向上が

図られてこそ、人びとの支持もある。 

また、伸一は、革命が成就すると官僚化が定着し、人民との分離が生じてしまうことにつ

いて意見を求めた。 

華主席は、官僚主義の改革こそ、「四つの現代化」を進めるうえで重要な課題であるとし、

そのために、「役人への教育」「機構改革」「人民による監督」が必要であると語った。 

指導的な立場にある人が、「民衆のため」という目的を忘れ、保身に走るならば、いかな

る組織も硬直化した官僚主義に陥っていく。

ゆえに、リーダーは、常に組織の第一線に立ち、民衆のなかで生き、共に走り、共に汗を

流していくことである。

また、常に、「なんのため」という原点に立ち返り、自らを見詰め、律していく人間革命

が不可欠となる。 華主席は、五月末に訪日する予定であった。語らいでは、日中友好の

“金の橋”を堅固にしていくことの重要性も確認された。 

この北京では、創価大学で学び、今春、帰国した女子留学生とも語り合った。 「今」と

いう時は二度とかえらない。ゆえに伸一は、一瞬たりとも時を逃すまいと決め、一人でも

多くの人と会い、対話し、励まし、友好を結び、深めることに全精魂を注いだ。 

文豪トルストイは記している。  

「重要なことは、何よりもまず、今、自分が置かれた状況にあって、最高の方法で、現在

という時を生きることである」

 

 (注)  小説『新・人間革命』の引用文献  

     注 『レフ・トルストイ全集第69巻』テラ出版社(ロシア語)

 

雄飛 九  

四月二十五日、山本伸一を団長とする訪中団一行は、北京を発ち、空路、広東省の省都・

広州市を経て、桂林市を訪ねた。 

翌日、車で楊堤へ出て、煙雨のなか、徒歩で漓江のほとりの船着き場に向かった。霧雨の

竹林を抜けると、河原にいた子どもたちが近寄ってきた。そのなかに天秤棒を担いで、薬

を売りにきていた二人の少女がいた。

彼女たちは、道行く人に、「薬はなんでもそろっていますよ。お好きなものをどうぞ」と

呼びかけている。 

質素な服に、飾り気のないお下げ髪である。澄んだ瞳が印象的であった。 

伸一は、微笑みながら、自分の額を指さして、「それでは、すみませんが、頭の良くなる

薬はありませんか?」と尋ねた。少女の一人が、まったく動じる様子もなく答えた。 

「あっ、その薬なら、たった今、売り切れてしまいました」 そして、ニッコリと笑みを

浮かべた。 見事な機転である。どっと笑いが弾けた。 伸一は、肩をすくめて言った。  

「それは、私たちの頭にとって、大変に残念なことです」 彼は、妻の峯子と、お土産と

して、少女たちから塗り薬などの薬を買った。

少女の機転は、薬を売りながら、やりとりを通して磨かれていったものかもしれない。 

子どもは、社会の大切な宝であり、未来を映す鏡である。伸一は、子どもたちが、大地に

根を張るように、強く、たくましく育っている姿に、二十一世紀の希望を見る思いがした。

そして、この子らのためにも、教育・文化の交流に、さらに力を注ごうと決意を新たにし

たのである。 

一行は、桂林市の副市長らに案内されながら、楊堤から漓江の下流にある陽朔まで約二時

間半、船上で対話の花を咲かせた。 

「江は青羅帯を作し、山は碧玉篸の如し」(注)と謳われた桂林の景観である。川の両側

には、屛風のように奇岩が連なる。白いベールに包まれた雨の仙境を船は進んだ。

 

  小説『新・人間革命』の引用文献  

   注 『続国訳漢文大成 文学部第九巻 韓退之詩集 下巻』

     東洋文化協会=現代表記に改めた

 

雄飛 十  

同行した中日友好協会の孫平化副会長の話では、「漓江煙雨」といって、煙るような雨の

漓江が、いちばん美しいという。だが、桂林の景観が醸し出す詩情に浸りながらも、話題

は現実の国際情勢に及んでいた。 

前年末に、ソ連がアフガニスタンに侵攻したことから、ソ連への非難の声が中国国内でも

高まっていたのだ。そして、山本伸一がソ連へも友好訪問や要人との対話を重ねているこ

とに対して、快く思わぬ人もいたのである。 

上の語らいで、伸一は、こう言われた。 「中国と日本に金の橋を架けたあなたがソ連

に行けば、中日の関係は堅固なものになりません。行かないようにしてほしい」 

伸一は、率直な意見に感謝しながらも、同意することはできなかった。 

「皆さんのお気持ちはわかります。しかし、時代は大きく変化しています。二十一世紀を

前に、全人類の平和へと、時代を向けていかなくてはなりません。大国が争い、憎み合っ

ている時ではありません。“互いのよいところを引き出し合いながら調和していこう” 

”人間が共に助け合って、新しい時代をつくっていこう”―

そういう人間主義こそが必要になってくるのではないでしょうか」彼は懸命に訴えたが、

なかなか納得してもらことはできなかった。すぐに、中国とソ連と、どっちが大事なのか

といった話に戻ってしまうのである。 漓江の風景は刻々と変わるが、やがては大海に注

ぐ。同様に、時代は人類平和の大海原へと進む―そう伸一は確信していた。 

「私は中国を愛します。中国が大事です。同時に、人間を愛します。人類全体が大事なん

です。ソ連の首脳からも、『絶対に中国は攻めない』との明言をもらい、お国の首脳に伝

えました。両国が仲良くなってもらいたいのです。私の考えは、いつか必ずわかっていた

だけるでしょう」  

彼の率直な思いであり、信念であった。粘り強い行動こそが不可能を可能にする

 

 

 

 


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