• ただいま、Word Press 猛烈習熟訓練中!!
Pocket

雄飛 十一  

二十六日の夕刻、山本伸一は宿舎の榕湖飯店で、桂林市画院の院長で広西芸術学院教授の

李駱公と懇談した。李院長は日本留学の経験もあり、著名な書画家、篆刻家である。  

書や絵画について話が弾んだが、次の言葉が、伸一の心に深く残った。 

「書道というものは、単なる文字のための文字ではありません。人間の思想、感情から

まれるものであり、その人の世界観、宇宙観、人格を表すものです」 広西芸術学院は、

三十年後の二〇一〇年(平成二十二年)四月、伸一に終身名誉教授の称号を贈っている。      

二十七日午前、訪中団一行は桂林を発ち、広州を経由して、夕刻、上海に到着した。

ここが、最後の訪問地となる。

翌二十八日午前、伸一は上海体育館で行われた、上海市へのスポーツ用品の贈呈式に出席

し、午後には同市の長寧区工読学校を視察した。ここは、十六、七歳の非行少年の更生を

目的とした全寮制の学校である。 

一行は、校長らの案内で各教室を回った。 伸一は生徒たちと次々に握手を交わし、語り

合った。あらゆる可能性を秘めているのが若者である。何があっても強く生き抜いてほし

いと思うと、手にも声にも力がこもった。  

「人生は長い。ちょっとしたきっかけで挫折してしまうこともある。でも、それによって

絶対に希望を失ってはならない。挑戦ある限り、必ず希望はあります。 しかし、自暴自

棄になったり、あきらめたりすることは、その希望の灯を自ら消してしまうことになる。

したがって、どんなことがあっても、自分に負けてはなりません。自分に勝つことが、

すべてに勝つことです。 

この学校で、しっかり学び抜いて、社会のために、お父さん、お母さんのために、自己自

身のために勝利してください。決して落胆せずに大成長し、必ず日本に来てください。 

忍耐だよ。負けてはいけないよ!」  頷く生徒たちの目に、決意の輝きを見た。

 

雄飛 十二

二十八日の午後、宿舎の錦江飯店に戻った山本伸一のもとへ、復旦大学の蘇歩青学長が訪

れた。伸一は、復旦大学へは一九七五年と七八年(昭和五十年と五十三年)に図書贈呈の

ために訪問しており、蘇学長とは旧知の間柄である。 

蘇歩青は著名な数学者であり、この日も数学や教育をめぐっての語らいとなった。そのな

かで、「数学は難しいといわれるが、易しく教えることはできるか」との質問に対する学

長の答えが、伸一の印象に残った。 

「何事も、『浅い』から『深い』へ、『小』から『大』へ、『易しいもの』から『難しい

もの』へという過程があります。無理をさせずに、その一つ一つの段階を丹念に教え、習

得させていくことで、可能になります」 

さらに学長は、力を込めて語った。「つまり、学ぶ者としては、一歩一歩、おろそかにせ

ず、着実に学習していくことが大事です。そして、自分の最高の目標をめざして、歩み続

けていくことです。しかし、そこに到達するまでに、“とうてい出来ない”と思うこともあ

るでしょう。まさに、この時が勝負なんです。そこで我慢し、忍耐強く、ある程度まで歩

みを運んでいくと、開けていくものなんです。それは、『悟る』ということに通じるかも

しれません」

何かをめざして進む時には、必ず「壁」が生じる。そこからが、正念場であるといえよう。

それは、自分自身との戦いとなる。あきらめ、妥協といった、わが心に巣くう弱さを打ち

砕き、前へ、前へと進んでいってこそ、新たな状況が開かれるのだ。勝者とは、自らを制

する人の異名である。  

伸一は蘇歩青と、その後も交流を重ね、二人の語らいは六回に及ぶことになる。  

八七年(同六十二年)六月、伸一は、復旦大学の名誉学長となっていた蘇歩青との友情と

信義の証として、詩「平和の大河」を贈った。そこには、こうある。  

「大河も一滴の水より 平和の   長江へ 我等 その一滴なりと ともどもに進みゆかなむ」

 

雄飛 十三  

山本伸一は、二十八日、蘇歩青との会談に続き、夕刻には作家・巴金の訪問を受けた。 

巴金は、『家』『寒夜』などの作品で世界的に著名な中国文学界の重鎮であり、中国作家

協会の第一副主席であった。 巴金との会談は、これが二回目であった。 今回の訪中を

控えた四月五日、中国作家代表団の団長として日本を訪れた彼と、静岡研修道場で初めて

懇談したのである。 

ここには、中国作家協会名誉主席で、代表団の副団長として来日した現代中国文学の母・

謝冰心らも同席し、文学の在り方や日本文壇の状況、紫式部、夏目漱石などをめぐって、

活発に意見を交換した。 

この会談の六日後に行われた聖教新聞社主催の文化講演会で巴金は、「私は敵と戦うため

に文章を書いた」と明言している。彼は、革命前の中国を覆っていた封建道徳などの呪縛

のなか、青春もなく、苦悩の獄に繫がれた人たちに、覚醒への燃える思いを注いで、炎の

ペンを走らせてきたのだ。 巴金は語っている。 「私の敵は何か。あらゆる古い伝統観

念、社会の進歩と人間性の伸長を妨げる一切の不合理の制度、愛を打ち砕くすべてのもの」 

彼は七十五歳であったが、民衆の敵と戦う戦士の闘魂がたぎっていた。伸一は語った。 

「青年の気概に、私は敬服します。 今日の日本の重大な問題点は、本来、時代変革の旗

手であり、主役である青年が、無気力になり、あきらめや現実逃避に陥ってしまっている

ことです。

そこには、文学の責任もあります。青少年に確固たる信念と大いなる希望、そして、人生

の永遠の目標を与える哲学性、思想性に富んだ作家や作品が少なくなっていることが私は

残念なんです。社会を変えてきたのは、いつの世も青年であり、若い力です。青年には、

未来を創造していく使命がある。そして、実際にそうしていける力を備えているんです。

断じてあきらめてはならない。それは、自らの未来を放棄してしまうことになるからです」

 

雄飛 十四  

訪中前の日本での語らいで、山本伸一は、巴金ら中国作家代表団に、「次回は、革命と文

学、政治と文学、平和と文学などについて語り合いましょう」と言って、再び会うことを

約したのである。 

そして、第五次訪中で、二十四日に伸一が主催した北京での答礼宴の折には、謝冰心と再

会。さらに、この上海で巴金と二度目の会談が実現したのである。 

伸一が、政治と文学の関係について意見を求めると、彼は即答した。 「文学は政治から

離れることはできない。しかし、政治は、絶対に文学の代わりにはなり得ません。文学は、

人の魂を築き上げることができるが、政治にはできないからです」  

話題は、文化大革命に移っていった。 巴金は文革の時代、「反革命分子」とされ、文芸

界から追放された。彼を批判する数千枚の大字報(壁新聞)が張り出され、「売国奴」と

罵られもした。彼は、この苦難をきちんと総括し、自分を徹底的に分析し、当時、起こっ

た事柄を、はっきり見極めていくことの大切さを強調した。 

巴金は文化講演会でも、こう訴えている。 「私は書かなければなりません。私は書き

けます。そのためには、まず自分をより善良な、より純潔な、他人に有益な人間に変えね

ばなりません。 

私の生命は、ほどなく尽きようとしています。私はなすべきこともせずに、この世を離れ

たくはありません。私は書かねばならず、絶対に筆を置くことはできません。筆によって

わが心に火をつけ、わが体を焼きつくし、灰となった時、私の愛と憎しみは、この世に消

えることなく残されるでしょう」 時代の誤った出来事を看過してはならない。

その要因と本質とを深く洞察し、未来のために戦いを開始するのだ。  

会談で巴金は、「今、文革についての小説を書き始めました。ゆっくりと、時間をかけて

書いていくつもりです」と語った。  正義の闘魂が、新しき社会を創る。

 

雄飛 十五  

人は、出会いによって「知人」となり、語らいを重ねることで「友人」となり、真心を尽

くし、共感し合うことで「心友」となる。  

山本伸一と巴金は、さらに交流を続け、深い信頼と強い友誼の絆に結ばれていく。  

巴金は、その後、中国作家協会の主席となる。二〇〇三年(平成十五年)十一月、伸一は

同協会と中華文学基金会から、「理解・友誼 国際文学賞」を受けている。 この二年後

の二〇〇五年(同十七年)、巴金は百歳で永眠する。 

また、謝冰心は、一九九九年(同十一年)に九十八歳で他界している。その前々年の九七

年(同九年)、巴金が会長を務める冰心研究会が発起人となって、彼女の功績を宣揚する

ため、福建省長楽市に「冰心文学館」が設立されている。二〇〇四年(同十六年)九月、

同館から、伸一に「名誉館長」、峯子に「愛心大使」の称号が贈られる。 

伸一は、峯子と共に、これらの厚意に応えていくためにも、さらに、日中の文化・芸術の

交流と友好の推進に力を注いでいこうと、誓いを新たにしたのである。 二十九日は、第

五次訪中団の帰国の日である。

伸一は、宿舎とした錦江飯店の総支配人から記帳を望まれると、署名に添えて、「金の橋

訪中五たび 八幡抄」と記した。 

大聖人は、「諫暁八幡抄」に、「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり

日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(御書五八八ページ)と断言さ

れている。「仏法西還」の未来記である。 

日蓮仏法の人間主義の光をもって、アジア、世界を照らし、人びとの幸福を築きゆくこと

こそ、後世の末弟に託された使命である。ゆえに伸一は、この未来記を実現するために、

生命を注いで平和旅を続けてきたのだ。

立正安国をめざすわれら仏法者の社会的使命は、人びとの胸中に、生命の尊厳と慈悲の哲

理を打ち立て、社会の繁栄と世界の恒久平和を建設していくことにある。

 

 

 

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です