◇維摩経の維摩詰(ゆいまきつ)の精神。
大乗教の維摩経(ゆいまきょう)。 そこに、在家の菩薩である維摩詰(ゆいまきつ)が描かれている。
あるとき、維摩詰が病気になる。見舞いに訪れた文殊師利(もんじゅしり)が、「あなたは何故、病気になった
のですか?」と尋ねる。病床に伏していた維摩詰は、「一切衆生が病む故に、私も病むのです。もし、一切衆生
の病が消えるなら、私の病も消えるでしょう。菩薩の病は、大慈悲から生じるのです」と語る。
開目抄には、「維摩経に云く『維摩詰又文殊師利に問う何等をか如来の種と為す・答えて曰く・一切塵労の疇
(ともがら)は如来の種と為る・五無間を以て具すと雖(いえど)も猶(なお)能く此の大道意を発す」等云云』
(192頁)と記されている。
池田先生は聖教新聞に、維摩詰について次のように述べられていた。—————————— 仏法における
菩薩の究極の精神が示されています。 あらゆる人の苦しみを我が苦しみとし、同苦し、それを共に乗り越えてい
く。 そのために、あえて自らも病気の姿を現しているというのです。 仏法では、このことを願兼於業(がんけん
おごう)と説きます。 人々を救うために、自ら願って悪世に生れ、宿業と戦う。そして、自らの生き方、振る舞
いを通して、仏法の偉大さを教えていく。 その人にしか救えない人が必ずいる。 その人にとっては、眼前の病気
との闘いこそが、即、一生成仏と広宣流布の使命の戦いなのです。 ——————————加えて、池田先
生は、「信心がないから病気になるのではない。 信心を強めて、人間革命をするために病気がある」とも語られ
ている。(大白蓮華の巻頭言)
人生の途上で、人は病気もするし苦難にも遭う。 悩みも悲しみもある。 けれど、一切は、「その人にしかできな
い使命の種子」になる。 私も課題が沢山あります。私も病気も怪我もします。 でも、見ていてください。全部、
使命に開きますから。私、頑張りますから! ですから、皆さんも開いてください。頑張ってください!(^^)