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☆四条金吾と日眼女(にちげんにょ)

 

四条金吾の正式な名称は、四条中務三郎左衛門尉頼基(しじょう なかつかさ さぶろう ざえもんのじょう

よりもと)です。 略して四条金吾(しじょうきんご)と称されました。

江間家に仕え、武術にも医術にも卓越した人物でした。

27歳のころ日蓮大聖人に帰依し、竜の口の法難(たつのくちのほうなん)においては、大聖人の馬のお供をし

ました。 文永(ぶんえい)9年(1272年)2月には、佐渡流罪中の大聖人を訪ねました。

大聖人が身延へ入られた同11年(1274年)9月、金吾は主君の江間氏を折伏します。 しかし、江間氏は浄土宗

の信者であると同時に、極楽寺良観の信者でもあり、結果、迫害を受けました。

建治3年(1277年)6月、金吾は徒党を組んで乱入し、法座を乱したと讒言され、江間氏から「法華経の信仰を

捨てなければ所領を没収する」と言われました。 所領は没収されても信仰を捨てないとの決意で耐え忍びました。

その後、江間氏が重病にかかりました。 金吾は治療を施し、江間氏は重病を克服します。

この金吾の働きに主君は勘気を解き、建治4年(1278年)9月に没収されていた領地が返され、三倍の領地を得ま

した。 

弘安(こうあん)元年(1278年)10月、病に伏せられていた大聖人を看病し、平癒させました。同5年(1282年)

10月、日蓮大聖人の御入滅の際に最後まで看病にあたり、大聖人に寄り添いました。 妻は日眼女(にちげんょ)。

子は月満御前(つきまろごぜん)、経王御前(きょうおうごぜん)。 

日眼女は、金吾とともに大聖人に帰依して信心に励みました。


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