☆立宗宣言以来の仏敵
東条景信(とうじょう かげのぶ)。 安房国長狭郡東条郷(ながさごおり とうじょうのごう)の地頭。
念仏の強信者で、建長5年(1253年)4月28日、東条郷にある清澄寺で、大聖人が立宗宣言された時、東条景信
は怒って大聖人に危害を加えようとした。大聖人は清澄寺の兄弟子にかくまわれて脱出、鎌倉に渡られた。
景信はその後、大商人門下の大尼の領地の寺を奪おうとしたが、大聖人が味方した大尼が勝訴となった。この領
地をめぐる争いもあって、景信はますます遺恨を深めた。
大聖人は建長3年(1263年)に伊豆流罪を赦免され帰郷、工藤吉隆(くどう よしたか)の邸宅に向かう途中、
東条景信は数百人の兵で襲撃した。(小松原の法難) この事件で、大聖人は頭部に深手を負われ、左手を骨折し、
工藤吉隆と鏡忍房が殉教した。 東条景信は法難の後、しばらくして狂死したと伝えられる。
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