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釈 迦

 

◇生命の内奥に秘められた仏性を悟る。 釈尊は、釈迦族の王子として生まれた。 当時のインドは、種々の神々

を祭る伝統的なバラモン教が重んじられていた。そこでは、厳格な身分制度があり、その階級の最上層部にバラ

モン僧が位置していた。若き釈尊は、「生老病死」という人間にとって根源的な苦悩を解決するために、十九歳

の時に出家した。

種々の思想家たちに学び、さまざまな「苦行」にも励んだ。やがて釈尊は、ガヤ(俄耶)という街の郊外の木の

下で、一人、瞑想をし、ついに「永遠の生命の法」を自身の内奥に見るのである。一説に三十歳。釈迦の成道で

ある。

釈尊は、「(真理に)目覚めた人」という意味で「ブッダ」と讃えられた。このブッダの音を漢字で「仏陀」と

写した。仏法とは、仏が悟った法であるとともに、万人をブッダ(仏)にする法でもある。つまり、釈迦が悟り、

万人の胸中に秘められた「仏の命」を、あらゆる人々に目覚めさせ、あらゆる人々の苦悩を解決するために、仏

法は生まれたのである。釈尊は最初、華厳経で説法を行った。

出家・在家、老若男女を問わず、分け隔てなく仏法を語り弘めた。バラモンを最上とするカースト制度の中で、

「人は生まれによって高貴なのではなく、行いによって高貴になる」と訴え、全ての人々に「友よ」と呼びかけ

た。しかし、当時の人々には意味がまったく分からない。 そこで、華厳経の説法を27日(37日の説あり)で中

断し、阿含経(小乗経・12年の説法)から開始した。  徐々に高度な内容を説きながら機根を整え、最終的に真

実の法門を説くためである。 例えるなら、釈迦は、幼稚園、小学校、中学校、高校と民衆を教化し、基盤が整っ

たときに、「これから説く法門こそ、真実である」と述べて、ついに法華経(8年の説法)を説いた。法華経を円

教というのは、欠けることのない完成した経典だからである。 法華経以外の経典は不完全であり、クルマに例え

るなら欠陥車である。 最後まで弘教の旅を続けた釈尊は、死を目前にして、「私は、皆に、分け隔てなく、一切

の法を説いてきた。真実の仏陀の教えというのは、奥義や秘伝などといって、握り拳のなかに、何かを隠しておく

ようなことはない」と、悟りのすべてを説き切ったことを宣言して入滅した。釈迦に秘密の法などない。

経典こそ、釈迦の残した全てである。釈迦滅後、仏法はシルクロードを渡り、中国・朝鮮半島を経て、東土の日本

に伝来した。インドでは、バラモン教が変形したヒンズー教によって侵食され、仏教は消滅した。今、創価の力に

よって、再びインドに仏教が興隆しつつある。

釈迦が願って止まなかった広宣流布は、3000年を経て、創価によって果たされることだろう。


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