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雪山童子

 

日蓮大聖人の時代、雪とはいかなる存在だったのか。 御書には以下のように述べられている。 『四壁はあばら

に雪ふりつもりて消ゆる事なし・かかる所にしきがは打ちしき蓑うちきて夜をあかし日をくらす』(御書916頁)

身延山は知食如く・冬は嵐はげしくふり積む・雪は消えず極寒の処にて候』(御書972頁) 『国の習なれば冬

は殊に風はげしく雪ふかし・衣薄く食ともし』(御書1052頁) 普通なら、1日として耐えられない極寒の地で、

大聖人は闘われていたのである。大聖人は、私たちの生活の数百、数千倍の苦難の中で生き抜かれた。さて、涅

槃経に、雪山童子(せっせんどうじ)が登場する。 雪山(せっせん)とはヒマラヤである。

その山中で修行をしていた童子(僧)がいた。 鬼神が訪れ来て、仏の悟りの半偈を唱えた。

「諸行無常 是生滅法‥」 (諸行は無常である。この世の全ては生まれては滅し、滅しては生まれる) その半偈

を聞いた雪山童子は、鬼神の前に進み出て教えを請う。 鬼神は、雪山童子を見下ろし、恐ろしい形相で吼えた。

「教えてもよい。ただし、その見返りとして汝自身を食す」 雪山童子は答えた。「お教え下さい。私の命でよけ

れば、差し上げましょう!」 鬼神は残りの半偈を説いた。  生滅滅已 寂滅為楽」(生滅の迷いを滅し、悩みの

ない境地を楽とする) 生滅は一体不二であり、生命は永遠であることを仏は悟る。雪山童子は歓喜した。童子は、

山中の岩や木に、この十六文字を刻み付け、後世の人々が、悟りを得る手がかりを残した。

そして、鬼神との約束通り、自らの命を捧げるのである。 「わが人生に悔いなし!」 童子は巨木の上から身を

投げた。 けれど、雪山童子は死ななかった。鬼神が、童子の求道と利他の行動に敬服し、帝釈天となって守護し

たのである。雪山童子は、この修行の後に仏となり、多くの民衆を幸福にした。

雪山童子は、釈尊の前世の姿である。別して私たち自身である。 求道の人生を歩む私たちは、現代の雪山童子で

ある。


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