☆子供がいない夫婦の信心
国府入道(こうにゅうどう)夫妻。佐渡流罪の時、阿仏房・千日尼夫妻と共に大聖人をお守した門下の夫妻です。
当時、大聖人は念仏者らから命を狙われていました。 その大聖人を外護し、純真に信心を貫いた国府入道夫妻に
ついて次のように記されています。 「私が佐渡にいる間、人目を忍んで夜中に食べ物を届けてくださいました。
ある時は、国からの処罰も恐れず、日蓮の身代わりにすらなろうとしてくださいました」(趣意・1325)
夫の国府入道は、建治元年、日蓮大聖人が54歳の御時、妻からの御供養の品である単衣(裏地をつけない衣服)
と阿仏房の妻から託された銭300文を携えて、はるばる身延の大聖人のもとを訪れています。さらに3年後も国府
入道は身延への御供養に向かおうとします。
しかし、稲刈りの時期が近く二度目の身延への御供養は断念せざるを得ませんでした。(趣意・1314)
日蓮大聖人が佐渡にご滞在されたのは2年4ヵ月です。その滞在期間に、入信間もない国府入道が命を懸けた信心
をし、流罪赦免の後、遠い身延までを旅して御供養しました。
いったい、国府入道とはいかなる人物だったのでしょうか。
国府夫妻の間には子がいませんでした。 このため、「信心をしているのに子供がいないと揶揄されていた」こと
が御書に記されています。さらに、「あなた方には子供がいない。蒙古の襲来があったら、身延にいらっしゃい」
(趣意・1323)とも記されています。
国府入道夫婦は、末法の御本仏の大聖人の弟子になれたことに、無上の幸福を感じていたのであり、身延の大聖
人にお会いし、日本一の名山の富士を感動を持って見入ったのです。大聖人の仏の境涯にふれ、内奥の仏の境涯が
感応していたのです。
その伴侶の妻も同様の境涯を得ていたと思うのです。佐渡流罪に遭った大聖人が苦難の中で悠然と振舞われ、その
大聖人から最高の仏法を直にご教示され、自界叛逆難難(じかいほんぎゃくなん)の予言が的中し、さらに赦免され、
鎌倉に帰られたその年に蒙古襲来がありました。
その時代の中心者たる大聖人を守り抜き、学び、生きられた幸福 ・・・ それは何ものにも代えられない大幸福、
大歓喜であったことでしょう。