6月6日は牧口常三郎初代会長の誕生日です。1871(明治4)年のこの日、牧口
会長は現在の新潟県柏崎市に生まれました。
北海道尋常師範学校(現在の北海道教育大学)を卒業した後、小学校の教員となり、
教育者の道に進みます。
そして1901(明治34)年に上京し、その2年後に『人生地理学』を発刊します。
東京でも、小学校長を長く務めるなど、一貫して教育者としての道を歩んだ牧口会
長は、1928(昭和3)年、日蓮大聖人の仏法と出会います。求め続けていた“人間
主義の哲学”に触れた牧口会長は、日蓮仏法の信仰者の道を歩むことを決意。
「今こそ、長年温めてきた教育学説を世に問おう」と、1930(昭和5)年11月18日に
『創価教育学体系』第1巻を発刊します。そしてこの日が、創価学会(当時、創価教育
学会)の創立記念日の淵源となったのです。
次第に戦争へと傾斜していく軍部政府は、思想統制に乗り出し、国民に国家神道を強制していきますが、
牧口会長は、信教の自由と日蓮大聖人の仏法の信仰を貫き通すため、これを拒否します。
その結果、1943(昭和18)年7月6日、治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕・投獄されました。
牧口会長は、担当の検事にも仏法を説いて聞かせるなど、獄中にあっても決して信念を曲げることはあ
りませんでした。そして、逮捕から1年4か月が過ぎた翌44年の11月18日、牧口会長は、栄養失調と
老衰のため、巣鴨の東京拘置所で尊き殉教を遂げました。73歳でした。
牧口会長が何ものをも恐れず貫いた“不屈の精神”と“正義の闘争”は、戸田第二代会長、池田第三代会長
(現名誉会長)に受け継がれ、創価学会の永遠の原点となったのです。