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〈随筆 永遠なれ創価の大城〉21 大東京に凱歌の朝

2017年6月17日

「いまだこりず候」と今日も前へ!  感激の同志と綴る誉れの歴史は不滅

 

 

【荒川区、足立区……と活気ある街々を走り、やがて彼方には東京スカイツリーが。

                                                手前の流れは荒川(池田先生撮影。6日、葛飾区堀切付近で)】

 

戸田先生と私との師弟の語らいは、常に御書と共にあった。1957年(昭和32年)の 7月、「大阪事件」の渦中、

関西本部で先生と拝した一節がある。 「今の世間を見るに人をよくな(成)すものはかたうど(方人)よりも

強敵が人をば・よくなしけるなり」(御書917頁) 先生は、私と一緒に難に立ち向かってくれた関西の同志を

讃えられ、「これで、ますます強くなるぞ。福運に満ち満ちた、大境涯への飛躍を遂げた」と微笑まれた。

私は申し上げた。  「『いまだこりず候』――この仰せ通り、いよいよ強く朗らかに、民衆の正義の大連帯を

拡大してみせます。どうか、ご安心ください」と(御文は御書1056頁)。  東京に舞い戻り、私は直ちに常勝

不敗の “東の錦州城” を築き始めた。けなげな宝友たちが、私と同じ不屈の闘魂で、汗を流し戦ってくれた。

それが、愛する庶民の都・荒川であったのだ。

 

牧口先生と郷土

以来60年となる、この 6月 6日、私は懐かしい荒川へ向かった。西日暮里、町屋へと進み、わが友が模範の

近隣友好を進める商店街の賑わいも、うれしく拝見した。 牧口先生の生誕146周年の日であり、荒川文化会館

では、先師の遺徳を偲び、懇ろに勤行をさせていただいた。思えば、牧口先生の故郷は新潟の荒浜(現・柏崎

市内)。荒川と同じ「荒」の字を含むことに、不思議な縁を感じる。  先生は大著『人生地理学』において、

郷土こそ「自己の立脚地点」なりと着目なされている。人が長じて国家、世界で活動しゆく “源の力” が郷土

であるとされ、その大恩に報いていくべきことを強調されたのである。 先生ご自身が、身近な縁を大事にされ

ていた。同郷の集い「東京荒浜協会」の会長も務め、後輩たちに尽くされている。1928年(昭和3年)7月に、

現在の東京・調布にあった京王閣で総会を開き、会長として挨拶されたことは、郷土の新聞でも報じられた。

それは、牧口先生が、日蓮大聖人の仏法と巡り合われた直後であった。 6月に先生は、豊島の池袋に住む紹

介者のもとへ約10日間、通われた。そして57歳のこの年、日蓮仏法の実践を開始された。以来、ここ大東京を

本陣として、広宣流布の対話の波を起こし、仏縁を広げ抜いていかれたのだ。  まさに、「仏種は縁に従って

起る」(御書1467頁)である。  東京中に留められた先師と恩師の足跡に思いを馳せつつ、私は荒川からの帰

り道、思い出深き足立を回り、さらに隅田川沿いに進んだ。葛飾、墨田、台東、江東など、いずこも共戦の地涌

の友らが走る街並みに題目を送りながら!

 

人生勝利の要諦

日蓮大聖人は、大難の佐渡で綴られた。 「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く・一切法華経に其の身

を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得・広宣流布大願

をも成就す可きなり」(同1357頁) この御文を拝し、戸田先生は「法華経の行者」たる私たちの広布と人生の

勝利の要諦を教えてくださった。  第一に「信心に退転無く」である。「進まざるは退転」という。題目で元初の

太陽を昇らせ、勇敢に、弛まず前へ進むのだ。 第二に「身に詐親無く」とは、自らの行動にウソ偽りがないこ

とだ。誰人にも誠実を貫き、真実を語り切る。それが仏の慈悲に通ずるのだ。  第三に、「一切法華経に其の身

を任せて」いくことである。何があろうとも、全てを御本尊への祈りに入れて、一つ一つ勝ち切っていくのだ。

「法華経に勝る兵法なし」である。  最後に、「金言の如く修行」である。如説修行であり、「権門をかっぱと

破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(同502頁)と、折伏精神を燃やして打って出るのだ。

創価学会は、この通りに戦ってきたからこそ、「勝妙の大果報」を得て、世界広宣流布の大願成就へ大前進して

くることができたのだ。

 

師弟共戦で勝つ

わが故郷であり、創価の源流である東京――。  牧口先生と戸田先生は暴走する国家主義と対峙し、共に巣鴨

の牢獄に囚われ、先師は殉教された。  恩師は敗戦直前に移送された中野の獄舎から出獄し、戦後の焼け野原

にただ一人立ち、「妙法流布の大願」を高く掲げられたのである。  学会再建への第一歩を踏み出したのは、

目黒駅の近く、品川の上大崎に借りた事務所からであった。戦前に創価教育学を実践した時習学館があった地域

でもある。  私は大田で、この師と出会い、立正安国の戦いを起こした。 東京には、仏意仏勅の教団たる学会

の指揮を、三代の師弟が厳然と執ってきた不滅の歴史がある。それがゆえに、常に、障魔の嵐は我が東京に襲い

掛かってきた。   だが我らは、師と共に、「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同1448頁)と

胸張り、全ての強敵に打ち勝ってきた。  師と同じ誓願、師と同じ責任感、そして師と同じ威光と勢力で、万年

の創価の勝利を決するのが、本陣東京の永遠の誇り高き使命なのである。  「東京は強い根っこだ。東京は徹し

て断じて強くあろうよ」と、東京・北区の十条で語り合った思い出がある。 1979年(昭和54年)の 7月のこ

とだ。  偉大な婦人部の献身に感謝を込め、東京の歌「ああ感激の同志あり」を、皆で声高らかに歌った。

「感激の同志」との異体同心の前進ある限り、感激の逆転劇を必ず創っていける。

師弟誓願の魂が燃える大東京は明るく、底抜けに朗らかだ。今こそ、創価家族の模範の団結で進むのだ。

わが新宿・信濃町には、広宣流布大誓堂が、威風堂々と聳え立つ。時折しも、2020年の東京オリンピック・

パラリンピック会場は、間近で建設されている。  今、この時、世界広布の本陣で戦う我らには、どれだけ大き

い使命があることか。計り知れない宿福深厚の人生を歩んでいるのである。

 

青年が立つ時だ

6月から7月へ、学会は燃え上がる「青年」の勢いで進む。それが創価の栄えある伝統である。

6月30日には、男女学生部が結成60周年の佳節を迎える。英知と智慧の若き諸君が、民衆勝利という父母の

願いを胸に、希望の突破口を開いてくれていることを、私はよく知っている。 さらに7月11日は、わが後継の

闘将・男子部の結成の日。 7月19日は、平和と幸福の門を開く女子部の結成の日――。いずれも66周年の節

を刻む。直前の八日は、「白蓮グループの日」でもある。  青年が立つ時だ。青年が戦い勝つ時だ。

君よ、貴女よ、新時代の地涌の若人たちよ、創価の完勝を担いゆけ!

 

夜明けが来た!

今、何よりも有り難いことは、尊き多宝の父母が学会精神を満々と漲らせ、意気軒昂に奮闘してくれているこ

とだ。「肉体は老いても、精神の若い老人がいる」  これは、戸田先生が「妙悟空」の筆名で執筆された小説

『人間革命』の一節である。  私はこの一書を恩師より直接、賜った。  60年前(1957年)の 7月 3日――

恩師の「出獄の日」より12年。奇しくも私の「入獄の日」のことであった。「夕張炭労事件」を皆で勝ち越え

た北海道から、大阪に向かう途中、羽田空港で飛行機を乗り換える待ち時間である。  この折、権力の魔性が

牙をむく「大阪事件」の嵐に突き進む私に、文京支部の婦人リーダーが必死の声で言った。  「同志へのご伝

言を!」  私は一言、贈った。  「『夜明けが来た』と伝えてください」  獄中闘争は、約二週間に及んだ。

7月17日、中之島の中央公会堂で行われた大阪大会で、私は烈々と訴えた。  ――最後は、信心しきったもの

が、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!  この師子の確信を、今、二十一

世紀の後継の直弟子が、厳然と受け継いでくれている。  いかに困難が立ち塞がろうが、最後は勝つ。断じて

勝つ!  これが我ら創価の信念であり、誓願であり、本懐なのだ。  さあ、いよいよ世界広布新時代の本門の

「夜明け」が来た!  師弟の日「7月3日」の晴れやかな凱歌の朝を共に! 歓喜と感激の同志と万歳を共々に!

 

                    後 継 の                 

        元 初 の 生 命 よ

          勝 ち 昇 れ

        万 年 照 ら す

          凱 歌 の 朝 に

                        〈随筆 永遠なれ創価の大城〉21 大東京に凱歌の朝


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