「伝統の座談会」と呼ぶのも、 ”長年、続いている” からではない。座談会を根本に
一人一人を大事にしてきた、その「心」が、学会の伝統なのです。
学会はつねに、無名にして健気なる「民衆」を、励ましぬいてきたのです。
そこに座談会の ”魂” がある。
人間交流の場「座談会」 --- 膝詰めの語らいから創価の基盤はつくられていく
布教の目的は、ただ会員を増やすことにあるのではない。皆が幸福になっていくことにあ
る。そのためには、拡大がなされれば、なされるほど、会員一人ひとりに光を当て、皆が
仏法への理解を深め、喜び勇んで信心に励めるように、きめ細かな指導と激励を重ねてい
くことが大切になる。
その人間の交流の場となるのが座談会であり、なかでも、組織の最小単位である組(=後
のブロック)で行う座談会は、忌憚のない人間の語らいのオアシスとなる。
当時の組は、平均十数世帯で構成されており、いわば、一人ひとりの膝詰めの語らいが可
能な、組織の単位といえた。そこには、小人数であるだけに、質問があれば気兼ねなく尋
ねることのできる雰囲気もある。また、小回りも利き、形式にとらわれることなく、新入
会の友に合わせながら、話を進めることもできる。
そして、そこに歓喜の輪が広がり、信仰への強い確信がみなぎっていく時、たくましい
”草の根” のような、強固な創価の基盤がつくられていく。
(小説『新・人間革命』第4巻「青葉」の章)
「座談」というのだから二人集まれば立派な座談会である
「座談」というのだから、二人集まれば、立派な座談会である。
たとえ相手が一人でも、「よく来ましたな」「ゆっくりお話ししましょう」と声をかけ、
じっくりと悩みや意見を聞いていただきたい。
「学会の会合は、たとえ一人でも、二人でも、その人を大切にし、その人のために仏法を
説き、感激をもって、真剣に語り合っていくことだ」
そう戸田先生も言われていた。
先生は、座談会の重要性を知り抜いていたがゆえに、そのあり方について、細かく指導さ
れた。特に、幹部が座談会に臨む姿勢を、厳しく教えられた。
私が書きとどめたご指導の中から、さらにいくつか紹介しておきたい。
「座談会で、同じ人が、同じ話を繰り返す。これでは、惰性になり、新しい人を救うとい
う精神を失った座談会になってしまう。座談会に、新しい人を連れてくることを忘れては
いけない」
「座談会は、会員を集めて、偉い幹部が何かをしゃべる場ではない。座談会は、信心のぶ
つかりあいをする場所だ。一対一から始まるんだ」
「座談会にせよ講義にせよ、指導者は学会精神を鼓舞しゆくことだ」
「中心者の信心が確かならば、座談会も、仏界、菩薩界を現すことができる」
「話し上手になれ! 聞き上手になれ! 話し方ひとつで、喜んでやってくれるものだ。
叱って押し付けたり、命令なんかでは、人は動かんよ」
全部、大事なご指導である。しっかり心にとどめて、実践していただきたい。
座談会は迎えるまでの活動が結実する
友人の方々が、楽しく集える座談会。新会員が元気になる、和楽の座談会。普段なかなか
会合に参加できない人が来ても、「本当に来てよかった」と納得する座談会 ---
そのために、徹底して相談し、それぞれの地域、組織の特長を生かせるよう、中身を考え
ていただきたい。
座談会を迎えるまでの活動が大切だ。リーダー率先の、一軒一軒への励ましが、当日の充
実した集いとして結実するのである。 (中略)
会場提供者への配慮を決して忘れてはいけない。
また、会場には多くの人が出入りする。近隣への配慮も不可欠である。